「夢源風人」に出会って人生が変わりました。
っていうタイトルにすると詐欺広告みたいですね😅
皆さんこんにちは。
夢源風人のフラフ班で活動をしています、やっちゃんと申します。
さてさて今回ブログのバトンがまわってきたわけでありますが、率直な感想を申し上げますと
「何書いたらいいんじゃ〜い(´Д` )」
といったところであります😅
なにせワタクシ、ぴとぅに入ったのが1年半ぐらい前で、チームに在籍している年月=コロナ禍での自粛期間という壮絶な人生・・・いや、ぴとぅ生を送っているわけで、練習以外に人前でメンバーとしてフラフを振ったのが、まるまんてんのお披露目1度のみ💧1年半も在籍してるのに他のメンバーとあんまり顔を合わせてないので、なかなか名前と顔を一致させるのも一苦労というワタクシ。
そんなワタクシに書けることと言えば、夢源風人というチームとの出会い、そしてメンバーとして参加するに至った経緯でしょうか?
まだまだ「お前誰やねん」と思われていそうな気がする幽霊部員的な何か(笑)のお話ですが、気になったら最後まで見てやってください。長いですが(´∀`)
◯夢源風人というチームとの出会い
夢源風人というチームと出会ったのは3年前の6月、いずみよさこいでした。それまで生でよさこいを見たことはなく、更に関西圏にチームが存在することすら知りませんでした。よさこいは以前から知ってましたし、なんだったらまあまあ好きでよく動画も見ていて、関連のアニメなんかも見ていたのですが、高知のお祭りであるという先入観と自身の想像力のなさから、大阪でよさこいの祭りやイベントがあることを全く知らなかったのです😅
その日はたまたま仕事でお祭り会場であるエコール和泉に行っていて、仕事終わりにほんとたまたま通りがかっただけ・・・のはずだったのですが、そこで目と耳に入ったのは賑やかな音楽と威勢の良い煽りマイク、鳴子の音色とそれを鳴らす綺麗な衣装を着た気持ちの良い笑顔の踊り子さん達、そして観客の頭のすぐ上を通る「夢源風人」と大きく書かれた迫力満点のフラフでした。
もちろん一瞬で観入ってしまい、他のチームの演舞も見たかったので、そのまま祭りの最後まで夢中になって観ていました。その日は仕事でものすごく嫌なことがあったのですが、それを忘れるぐらいの元気と夢源風人の団扇を貰って帰ったのを今でも鮮明に覚えています。
◯よさこいをやってみようと思ったが・・・
いずみよさこいの日の夜、大阪でもよさこいができると知った私は、自分もやってみたいという衝動に駆られました。できればフラフを振りたい、最初は祭りで振れなくてもいい、練習していつか振れるようになりたい。そう思い立ったが吉日(?)早速自分が見たチームのことを調べました。団扇を見ながら「夢源風人」ってなんて読むの(´Д` )とか考えながらグーグル先生に聞いてみると、まあたくさん出てくる出てくる😅写真や動画、そして発見しましたホームページ 。早速チーム加入の条件や練習日をチェックしました。しかしながら残念なことに、夢源風人に加入するにはなんとかしなくてはいけない大きな問題があったのです。
当時私が働いていた会社は所謂ブラック企業で、練習にほぼ参加できないという難題が。やったことのないことをするのに練習に参加できないのは致命的。相談すればなんとかなったかもしれませんが、その頃は相談できるという考えが働きませんでした。そして夢源風人への加入は断念。しかしよさこいへの想いは捨てきれず、練習に参加できて仕事と両立できるチームを探そうと考え、実はいずみよさこいで気になっていたもう一つのチームを調べたところ、条件にバチっとハマったのですぐに見学→加入になりました。それが今でも所属させていただいている「舞心座蒼(まごころざそう)」というチームです。
◯初めてフラフに触れた瞬間
しかし蒼にはフラフがなく、踊り子として練習する日々。ですが例えフラフが振れずとも、祭りやイベントに参加できなくてもよさこいができるということが幸せで、毎日暇さえあれば練習したり、色んなチームの動画を見て勉強したりと日々の生活が大きく変わりました。もちろんぴとぅも忘れてません。参加する祭りやイベントが蒼と同じときは、可能な限り観に行くようにしてましたし、そうでなくても休みの日で「◯◯でぴとぅが観れる」という話を聞けば、必ず足を運んでいました。
そんな折、あるご縁からぴとぅのフラフ師海人さんがフラフの練習会を開くという噂を耳にしました。私がフラフを振りたいのを知っていた知人が「行きませんか?」と誘ってくださいました。もちろん「はい!行きます!」と即答でした😃
練習会当日、初心者の私は、最初綿旗ではなくポンジという軽い素材の旗を持たせていただき、練習をしていました。なんとか基本の8の字で旗を動かせるようになったので、一旦他の方と交代し、休憩をしていたのですが、たまたま海人さんがぴとぅのフラフを振っていたので眺めていると、不意に目が合い、何故かすごい勢いでこちらに向かって歩いてきます。そして「はい」と声をかけられて、いきなりフラフをわたされました。もちろん綿旗は初めてで、振ったことなどなかったのですが、ポンジで振れていたのでいけるかもと心のどこかで思っていたのと、憧れのぴとぅのフラフを持たせてもらったことで、無理でも一度は振ってみたいと思い、ダメ元で振ってみたところ、「お、重っ!」と思わず言ってしまったほど衝撃の重さで、なんとか落としはしなかったものの、持ち上げるのがやっと。一振りで腕が死にました😱人生で初めてフラフに触れた瞬間でした😅
◯人生の転機
そんなこんなでフラフ練習会があると参加させていただけるようになり、しばらくしてぴとぅが大東で「郷-Sato-」を披露した後でした。残念ながら大東には仕事で見に行けず、さくらよさこいも参加できなかったため、ようやく生で郷-Sato-を観れたのが三井アウトレットパークのイベントでした。初めて観たときは涙が出そうになり、感動のあまりFacebookによさこいへの想いを綴ったのを覚えていますw今から思えばこれが大きな転機への引き金になったような気がします。
そのあとかえる祭りに参加するも、休みにも関わらず、職場と祭り会場を行ったりきたり、祭りに集中して楽しめない、最後のかえる祭りなのに(´Д` )結局ぴとぅの演舞を1度も観れず、自チームの演舞も1回参加できませんでした。これで完全にスイッチが入りました。そもそも職場で私がよさこいをやっているのを良く思われておらず、馬鹿にされる始末だったので、ものすごく邪魔をされている気になりました。その少し後に紀州よさこいへの参加が決まっていたので、このままでは紀州よさこいも同じことになる。これでは自分の人生においてよさこいを楽しめないと思い始め、気づいたら会議で辞める宣言してました😅そして引き止められるも半ば強引に退職届けを出し、今の仕事に転職。人生の転機が訪れた瞬間でした。
◯憧れのチームへ
ここから急に運が上向き始めました。まず紀州よさこいでなんと憧れだった海人さんがヘルプでフラフを振ってくださることになり、更に「2日目の1回目の演舞で振ってみないか?」と声をかけてくださいました。急遽のことでしたが、チームの代表に許可をいただけたので準備をして会場へ。後にも先にもあれほど緊張したことは今までありませんでした。そしてその祭りの最後に「一緒にぴとぅで振らないか?」と・・・。転職先は練習にも祭りにも存分に参加できる環境。断る理由はありませんでしたので、蒼と掛け持ちで参加したい旨を伝えると、最初「それはちょっとなあ」という返事。しかし、そう言っていた海人さんが色々考えてくださり、なんとか掛け持ち参加でオッケーになり、晴れてぴとぅのメンバーとなりました。初めて夢源風人と出会い、1年半後のことです。
◯最後に
めっちゃ長くなってしまいましたが、いかがでしたか?実は私のよさこい歴=夢源風人と出会ってからの年月なのです。そして自分の人生において、何かしら重要なタイミングでぴとぅが関わってくるというのは、これはもう運命なのでは?🤤
まだまだコロナ禍で色々自粛中ではありますが、あの日見た夢源風人の演舞で元気をもらったように、「自分の演舞を見た人が元気になる。」そんなよさびとを目指して日々精進してまいります💪早く皆さんと祭りやイベントに参加できる世の中が来ますように!やっちゃんでしたノシ