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52人目。ちょうど4クール、1年です(!?)

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じゃんじゃじゃーん!
お久しぶりです。にゃんちゅです。
この自己紹介も人前ですることが減り、今では恥じらいさえ覚えてきたので
もう一度エンジンを温めるには2L程度のビールと2つ程度の鳴子が必要かなと感じています。

早速ですが折角バトンを頂きましたので、
加入経緯、今までの思い出、これからへの思いを書いていこうと思います。
拙文ではございますが、少しお付き合い頂けますと幸甚に存じます。

■ぴとぅ加入経緯
私は神奈川県横浜市出身で、社会人1年目、23歳の2017年1月末に大阪に赴任して参りました。
ぴとぅに加入したのは2019年の作品からですから、大阪に来てから1年間は本当に仕事だけの生活でした。
周りの知り合いは会社の人たちだけ、酒の席での話は必然的に仕事・職場の話に終始し、代り映えのしない毎日を過ごしていました。

そんな中、連休中に実家に帰り、大学時代に加入していたよさこいチームを手伝う為、あるお祭りに参加しました。
久々のお祭りは忘れかけていた日常で、当たり前に楽しくて。シンプルにいいなって思いました。
他のチームで踊る元チームメイトを見て、もし私もよさこいを続けたら、またこんな日常が帰ってくるかもしれない、この人達とどこかの祭りで会えるかもしれない、そういう期待に胸が躍り、家に帰ってから「よさこい 大阪」でグーグルさんに調べて頂き、一番上にヒットしたぴとぅの門を叩くこととなりました。

■加入からこれまで
2018年12月末の体験会が初参加でした。緊張しました。それはもう。
寂しいのが嫌で、つまらないのが嫌で、繰り返しの毎日が嫌で、そんな思いで飛び込んだ世界には、全く知らない人たちがたくさんいて、怖かったです。ビビりました。
何が怖いって、こんなに人がいるのに誰にも話しかけられない私自身の縮こまり様に、です。
体験会のあとに懇親会がありましたが、緊張のあまり食べられなかったらイヤだなと思い、
懇親会前に一人サイゼリアでミラノ風ドリア2個食べました。それ程に緊張していました。

懇親会は、後に正式加入を決めるきっかけとなったのですが、とても良くして頂いたのを覚えております。皆さん話しかけてくれたり、お酒を楽しく飲んでいたり…非日常的日常をそこに見ました。特に某三姉妹の次女がとても元気に接してきてくれて、その時に作ってくれた折り紙は、(一度ポケットに入れて洗濯してしまいましたが)今でも部屋のテレビの前に飾ってあります。
学生チーム出身としては、次踊るなら幅広い年代層がいて、家族で参加できるようなチームが良い、と思っていたので、そういう意味でも非常に共感でき、加入させて頂くことになりました。

■思い出
思い出は、挙げようと思えばきりがありません。
○○祭りが楽しかったこと、練習はきつかったけど某インストに励ましてもらって頑張れたこと、某インストと何故か漫才を練習し披露したこと、お酒の席で失敗したこと…
振り返ると、いつの場面を切り取っても、キラキラしていて懐かしく、少し震えます。

ただ、一番印象的だったのは、演舞について踊り子からの意見を聞いて頂ける機会があり、
加入1年目のど新人の意見も尊重してくれるチームの風土でした。
よさこい経験者といっても学生主体、人数もせいぜい40人、鳴子は演舞中の半分くらいしか持たず、今では名古屋の色濃いチームの出身です。
夢源風人の雰囲気とは180度違っていたと思います。


そんな私でも、こうやりたい・こうした方がよく見えると思ったことを伝える機会があり、それを考えて貰える環境がありました。これはチームの規模感や組織体系を見ても稀有なものだと思います。

■これからへの思い
これからについて考えていきたいと思います。
このご時世で、気持ちも身体も足踏みをしてしまうことが増えてしまい、
おかげで体重は1年間で10キロ近く落ちましたが、その分大切な何かも落としてしまったのではないかと不安になることもあります。

いきなりですが、
皆さんは自分の感情で好きなものはありますか?

私は、「楽しい」が一番だと思っていました。
上の問いをある人にしたとき、「さみしい」と言われたことがあります。
不思議だなと思いました。
あまり深入りするのも違うと思い話はそこまでにしてしまいましたが…
今思うと、私が夢源風人に入った理由は「さみしさ」からで、それをきっかけにこんなにたくさんの人、場所、思い出に出会うことができました。

なるほど、その人は筋トレの次の日の筋肉痛が好きな人なのだと気づきました。

今はまた心のボディメイキングと認識して、
まるまんてんデビューに向けて準備を進めて参ります。
また、踊り子として、フラフ班の一員として少しでもチームに貢献できるよう精進します。

さて、末筆になりますが、
大阪から早く帰りたいと思っていた1年目の私が
これほど大阪にいたいと思う未練をくれたのは夢源風人でした。
そこに関わってくれる全ての人でした。本当にありがとうございました。
今年も、新しく加入された方が何人もいらっしゃると伺っております。
また新しい思い出が増えていくことがとても楽しみです。

相も変わらずどうしようもないお調子者の私ではございますが、

引き続き、よろしくお願い申し上げます。

よさこいがなくても生きていけるけど,よさこいがあるから人生は楽しい。

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こんにちは,うっでぃです。
気付けばぴとぅに出会って丸10年,ぴとぅに来るようになって,今年で10年目。
すっかり古株の割にコミュ力が低く存在感の薄い僕ですが,この度ブログの声がかかったので,書きます。

場さえいただければ割とよくしゃべるので長くなると思います。


祭りと踊りは自己表現方法の一つ

地車が盛んな地域で育った僕にとっては,お祭りは小さな頃から身近なもので, 毎年やってくるのが楽しみな日。

小学生の頃は今にさらに磨きをかけた真面目少年で,先生や他の子からも「良い子」としてみられることに全力で生きていたので、学校ではあまり自己主張できず,素も出せずにいた。

けど,家に帰ってから兄や仲の良い友達と遊ぶときは人が変わったようにしゃべるし,遊びまわるし,それなりに行動的な面もあった。

そんな僕にとっては,祭りの日はめずらしく自分の素を出して,ありのままになれる日。
ある年の地車祭りで普段あまり話さない同級生と会ったときに,「めっちゃしゃべるんやね!普段と全然違って別人みたい!」と、言われたことがあった。

自分を知ってもらえたような気がしてうれしかった覚えがある。

祭りとよさこいが好きなことの原点はここにあるのかなと思う。


そんな自分が踊りに初めて憧れを持ったのが,小5の時。
地元の小さな祭りで当時中3の兄が,学校の行事の一環で「南中ソーラン」を踊るのを見たときだった。


普段見せないくらいの笑顔で踊る兄と,何より大人数で踊るカッコよさに圧倒され,「自分も中3になったら絶対に南中踊る!」と心に決める出来事になった。

時が経ち,自分も中3になる。伝統としては残っていたけど,有志で声が上がれば文化祭で踊るというような形式に変わっていたので,声が上がらなければ踊ることはない。

普段はあまりガツガツ前に出ることはなかったけど,このときに限っては誰よりも先に学年の皆に声をかけて先頭に立って頑張ったことを覚えている。

迎えた本番はとにかく夢中で心地よくて,大人数で一つのものを作り上げる達成感と踊ることの楽しさを強く感じた。

おとなしかった自分が、踊りを通して変わったと感じられる経験になった。


よさこいと夢源風人との出会い

よさこいとの出会いは大学時代のサークル。

新歓のときに先輩が踊っていた南中をみて、中学の記憶がよみがえり,再び踊ることへの憧れが強くなって,入部(入サー?)。楽しくて仕方なくて、それからはよさこい沼にハマっていった。

学生時代の自分は今の自分からすると考えられないくらいのよさこいバカで、毎日自主練は当たり前だったし,他チームにいろいろ行ったり,県外の祭りにもいろいろ参加したり,他大の友達には「どこ行ってもおるな(笑)」と言われたこともあった。


当時できた繋がりが今も続いていたり,踊ること以外のよさこいの楽しみを知れたので,人見知りなりに顔広げててよかったなぁ,と思うことは今でも多いです。
ぴとぅを通して再会した人も実はそこそこいるのがけっこう嬉しい。

そんな感じで沼にハマりにハマっていた当時は,走って間に合うところならすべて参加するほど総踊りが大好きで,2011年の神戸よさこいでは,それなりに距離のある会場でもとりあえず走って総踊りに参加していた。


日が暮れてその日最後の総踊りに参加するべく高浜岸壁会場にいたとき,衣装に目を惹かれたチームを発見。

当時は高浜岸壁会場は大阪湾をバックにしていたので,真っ黒な背景に,衣装の明るい色がとても映えていて,目を奪われた。

そして曲がかかると,曲にも踊りにもすぐに心を奪われて,「このチームで踊ってみたい!!」と一瞬で虜になった。

それが夢源風人との出会いだった。

☟当時の動画
https://www.youtube.com/watch?v=46dwg2y3yrc

その年のぴとぅに参加していた大学の先輩がいたので,間をとりもってもらう形で連絡し,冬頃にぴとぅの練習に初参加することになり,2012年の高知はぴとぅで行こうと決意した。

ぴとぅでの初めての演舞は2012年,「かざぐるま」。

この年の地方車は風車数百本で作られていて,見ていても涼しく、綺麗で、すごく思い出深い地方車だった。本祭1日目の夜に大雨が降ったときには水車になった。圧巻だった。

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初めての高知はとりあえずすべてがキラキラしていて,「終わるな,終わるな」と思いながら踊っていた覚えがある。


高知の魅力に触れて,また帰ってきたいと思える場所になった。

翌年から正式にぴとぅのメンバーとなり、多くの人に出会って、いろんなことを経験させてもらい、たくさんの思い出をもらった。

ぴとぅに入って自分の人生は大きく変わった。入ってよかったと心の底から思う。

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よさこい観が変わった千賀先生の言葉

2014年に初めて先生練があったときに,千賀先生にもらった言葉が,今の自分のよさこい観になっている。

「よさこいが苦しくて嫌なら離れたらいい。それでもいま皆が踊っているのは,みんなよさこいが好きだからでしょう。よさこいがなくても生きていけるけど,よさこいがあるから人生は楽しい。」

この言葉は当時も心には響いたけど,一番よく感じたのはよさこいを始めて以降唯一踊らなかった2017年。
踊りに対しての気持ちがよく分からなくなって,苦しむくらいなら一度離れようと,思い切って離れてみた1年。

それからカメラにハマったり,旅行にハマったり,今までやりたかったけどしていなかった趣味に身を投じようと,1年を過ごしていたのだけど,8月になって,よさこい祭りが近づくと,やはり気持ちはよさこいに流れ,祭りの3日前くらいに見に行こうと決意して,8月10日には高知にいた。

そこで感じたのは,踊っている人たちがうらやましかったことと,自分はやっぱり見るより踊る方が好きだな,ということ。その夜は,踊らなかったことを後悔して,いっぱい泣いたことを覚えている。

だから,その翌年また高知に踊り子として帰れた時は,それまで以上に踊れることへの喜びが感じられた。踊らない1年があったからこそ気付くことができた気持ちだから,今はそういう意味ではあってよかった1年かなと思う。

今は昔ほどの熱意はないし,踊らないでいたいと思う時もあるけど,嫌いになったわけではなくて,距離を取りつつずっとよさこいが好きな中で日々過ごすことができている。少なくとも,この先よさこいのない人生は今は考えられない。
よさこいのおかげで今の人生すごく楽しいです。


特に自分に当てはまるのだけど,一度よさこいから離れてからもう一度戻ろうと決意することにすごくエネルギーのいる人もいる。でも,その一歩が踏み出せたらまた楽しい世界の中に飛び込める。

今よさこいからすっかり離れていて,心のどこかで「もう一度踊りたいな」って少しでも思っている人がいるなら,ぜひ一歩踏み出してみてほしいと思う。

よさこいがなくても生きていけるけど,よさこいがあるから人生は楽しい。

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楽しいことは良い事だ。

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こんにちは!
踊り子兼フラフ班,リンといいます。


このような機会を頂き嬉しいような気恥ずかしいような,そんな気持ちで書いてみました,よろしくおねがいします。

よさこいとの出逢い

 私がよさこいに出逢ったのは小学4年生の時の運動会。よさこいソーラン節を4年生全員で踊るというものでした。塗装など何もない,音も全然響かない鳴子を持って踊ってたような気がするのですが…残念なことに正直全然覚えていません(笑)

 自分の意志をもってよさこいと再会したのはそこから約8年後,大学1回生の時です。
大学の入学式によさこい同好会の人たちが踊っているのを,楽しそうやな―とぼーぜんと見ていたのですが,その中でもひときわ笑顔でイキイキと踊っている人が。その人から目が離せなくなり,そのまま吸い寄せられるように入部しました。
踊ってみると楽しいのなんの!!
体を動かすのはもともと好きだったのですが,今まで踊りは全くしたことが無い未経験者。にも関わらずここまで楽しく活動できたのはチームの先輩方のおかげだと思います。
何よりも人前に立って踊るなんて,そんな怖いことしたくないと思っていた私がここまでよさこいを楽しんで踊ってるとは…入部当時全く想像してませんでした(笑)

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大学時代の京都マラソンにて


夢源風人との出逢い 

 夢源風人に出逢ったのは同好会入部から約1か月後,福井大学での酔踊祭でした。
自分自身,人前での演舞はまだ2回程,まだまだ人前での演舞にド緊張…!(今でも緊張はしますが,この時とはまた違う緊張の仕方だなと思います(笑))
2回あるうちの1回が終わり,とりあえずホッと一息。2回目を待っている間他のチームの演舞を見ることに。その中の1つが夢源風人でした。
演舞曲は「あふさかん・シンフォニー」
リズミカルで小粋な音楽に覚えやすくて楽しい手拍子,そしてやっぱり踊っている人たちの笑顔・笑顔・笑顔!!

うわーーーー!なんて楽しそうなんだ!!!!!?

 演舞を見ている間は緊張も忘れ,ただただ楽しみました。
この時の私の中での夢源風人は「どこかの社会人チーム」位の意識で,今この演舞を作った人たちと一緒に踊っている事に驚きです。
 最近気づいたのですが,どうやら私は上手く踊る人よりも楽しそうに踊っている人に目が向いてしまうらしく,家に帰ってもチーム名も知らないその人たちの姿を思い出しては楽しそうだったなー私もあんな楽しそうに踊れたらいいなーとひそかに思いながら大学でのよさこい活動を楽しんでいました。

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2019よさこい イン ふじいでらでの「あふさかん・シンフォニー」再演時に皆さんと撮ってもらった写真。初対面時のインパクトそのまま。
「楽しそう」と思ってた演舞はやっぱり楽しかったです!

夢源風人に入会

 その初対面から時は経ち。実際に夢源風人に入ったのは大学4回生の春,2019年度「郷-Sato-」のタイミングでした。
きっかけは大学のチームからの引退。
引退はしたけど…大学のチームで出来ることはしたけど…でもまだ踊りたいなーなんて思いがありました。1番の心残りは本場・高知よさこいには1回も行ったことがない事。
大学のチームでも,よく先輩や同期から高知よさこい祭りの話を聞いてたので,その心残りは年々強くなっていました。
 今まで社会人チームに行きたいけど自分にはチーム掛け持ちなんて器用な真似は出来ないと足踏みをしていましたが,引退したとなると話は別。とりあえずどこかに入って高知のよさこい祭りに行こう!と決意。
関西合同説明会に行き,演舞動画をあさり,お祭りを見に行き,最終的に夢源風人に入ることに決めました。
決め手は大学の同期がいる事・郷の雰囲気・衣装の素敵さ・あとはやっぱりお祭りの時の皆さんの笑顔!!私もこのチームで楽しみたい!と入会しました。

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私の「郷-Sato-」お披露目,かえる祭りで個人賞頂きました★

入ってよかった!

 実を言えば,最初は高知が目当てだったのでそのあとの事は考えていなかったのですが,あれよあれよと今まで続いています。
理由はやっぱり楽しいからです。
それに踊り子だけならず,フラフまでも。
私がやっていいのか…?という思いもあったのですが「やってみたら」と背中を押していただき今に至ります。
まだまだ未熟で見せれたものじゃないですが,私のペースで楽しんでがんばれたらいいなと思います。それをよしとしてくれるチームの懐の広さもすごいなと思います。

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写真が無く練習動画からのスクショ。久しく練習に行けてないです。
遠方からの参加なので,踊り子のZOOM自主練は今のところ参加率高め。
お時間あえば一緒に踊りませんか?(笑)

楽しい事は良い事だ。

 さて「よさこいとの出逢い」「笑顔」「楽しむ」をキーワードに進めてきましたが,最後に私の演舞中1番の笑顔で終わりたいと思います(笑)
それがこちら↓

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…めっちゃ笑顔!?私ってこんな顔して踊れたん!?とびっくりした一枚(笑)
高知で写真班さんに撮って頂いた写真です。ありがとうございます。
楽しい!って気持ちがめっちゃ顔に出ている,お気に入りの写真です。
私ってこんな顔で踊れたんか…(2回目)

 またこんな笑顔で皆さんと楽しく踊れる日々が来るのを願っています。
拙い文章でしたが,ここまで読んで下さりありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。ではでは,リンでした!

ミニドラ☆とよさこい

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初めまして、こんにちは。
ミニドラ☆です。

夢源風人で踊り子兼フラフ班で活動しています。宜しくお願いします(^ー^)

~なんとなく始めたよさこい~

某スポーツGYMで働いてた時に、
スタジオイベントの企画の1つに
期間限定でよさこいのクラスがありました。
発表の場として『第5回こいや祭り』に参加する。という企画でした。

企画担当してる先輩に「一緒にでよ~や」
と誘われ、やる気満々でした🎵
しかし、先輩はプライドも高く完璧主義なので、1回目の練習に参加できひんし、
スタートが出遅れるのが嫌だと言う理由で
やらない事を選択。

それから受講するかどうか私は悩みます。
答えがでないまま当日の開始1時間前まで
受付フロント前で悩みます。

悩みの理由が「踊れるかな?」とかではなく
お客様と一緒に仲間としてやっていけるかどうか?という不安があったのです。
踊りの場では仲間でもその時間以外はスタッフとお客様。と言う立場だったからです。

それでもやってみたいと言う思いのが強く
覚悟を決め参加しました。
それが私のよさこいの始まりです。

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~ぴとぅとの出会い~

こいや祭りを終えて社会人チーム
『おおきに蒼天慶』として活動するのですが、
小人数な為、人数制限のある大きな
お祭りには出れないのです。

当時は、こいや練が毎週火曜日にあった
ので参加して他チームとの交流も楽しみ、
ました。この年に出会った仲間は今でも
繋がりがあります🎵

こいや練で仲良くなった当時のぴとぅのメンバーが浜松がんこ祭りで踊ろ~?
って誘ってくれたので、
喜んで参加させてもらいました。
初めての演舞曲は『2004年思いの花火』

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そして、その翌年『2005年大地の恵み』
で初めて夏の高知を経験しました🎵

たくさん踊れる事も楽しいし
地域の方みんなあったかいし
知らない人にご飯ごちそうになるし
桃までもらったし、
いろんな思いでいっぱい。
なんせ楽しかった(^ー^)

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~ぴとぅに所属するきっかけ~

その後も他チームで活動はしてましたが、
2008年以降はチームには所属せず、
お祭りを見に行き、たまに誘われたら
踊ると言う状態でした。

その都度「一緒に踊らない?」
って誘ってくれるかなーみがいて、
はなちゃんが代表する年に「入るわ。」
ってなって『2014夏色に心踊りて夢ひらく』
で正式にメンバーになりました。

ぴとぅを知って、
ぴとぅと出逢ってから
ちょうど10年後(笑)

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写真は2017年『ハレ、晴れ』

~ひどい頭痛に悩まされ~

体力的には全くしんどくないが
頭痛とひどい吐き気(嘔吐)がくる為、
なかなか思う存分踊る事が難しく、

2016年は様子見ながら
近くのお祭りだけにしたり高知はあきらめた。2017年も様子見ながらだけど、
やっぱり高知行きたいから回数の少ない
全国大会だけに参加。
それでもやはり、ひどい頭痛がやってくる。

半分楽しいけど半分楽しくない。
そんな気持ちの時もありました。

そんな時は無理せず
じぶんの気持ちを大切に。
休んだ年もあったりしながら踊っています。

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~フラフをやろうと決めた事~

元々フラフは男性が振るものだと思っていたけど、女性のフラフ師もいる。

やりたいなぁとは思ったけど、
無責任に口先だけですぐにやりたいとは
言えなかった。

色々考えた結果、
やらずにグダグタ言うてても
始まらないし、後悔したくないし
でやりたい気持ちを伝えて
フラフ班のメンバーになりました。

まだまだ持ち上げてただ振る。
だけしかできてないですが、
フラフが気持ちよく泳いでるように見えるように振れるように頑張りたいと思います。

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お披露目でもたせてもらえました。

~最後に~
ぴとぅと言うチームはやりたい事を応援してくれるあったかいチームだと思います。
それは出逢った2004年からも代わらない
コンセプトにもある『目には見えない思いのつながり』がそれぞれの心に自然とあるんだと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

「夢源風人」に出会って人生が変わりました。

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っていうタイトルにすると詐欺広告みたいですね😅

皆さんこんにちは。

夢源風人のフラフ班で活動をしています、やっちゃんと申します。

さてさて今回ブログのバトンがまわってきたわけでありますが、率直な感想を申し上げますと

「何書いたらいいんじゃ〜い(´Д` )」

といったところであります😅
なにせワタクシ、ぴとぅに入ったのが1年半ぐらい前で、チームに在籍している年月=コロナ禍での自粛期間という壮絶な人生・・・いや、ぴとぅ生を送っているわけで、練習以外に人前でメンバーとしてフラフを振ったのが、まるまんてんのお披露目1度のみ💧1年半も在籍してるのに他のメンバーとあんまり顔を合わせてないので、なかなか名前と顔を一致させるのも一苦労というワタクシ。

そんなワタクシに書けることと言えば、夢源風人というチームとの出会い、そしてメンバーとして参加するに至った経緯でしょうか?

まだまだ「お前誰やねん」と思われていそうな気がする幽霊部員的な何か(笑)のお話ですが、気になったら最後まで見てやってください。長いですが(´∀`)

◯夢源風人というチームとの出会い
夢源風人というチームと出会ったのは3年前の6月、いずみよさこいでした。それまで生でよさこいを見たことはなく、更に関西圏にチームが存在することすら知りませんでした。よさこいは以前から知ってましたし、なんだったらまあまあ好きでよく動画も見ていて、関連のアニメなんかも見ていたのですが、高知のお祭りであるという先入観と自身の想像力のなさから、大阪でよさこいの祭りやイベントがあることを全く知らなかったのです😅

その日はたまたま仕事でお祭り会場であるエコール和泉に行っていて、仕事終わりにほんとたまたま通りがかっただけ・・・のはずだったのですが、そこで目と耳に入ったのは賑やかな音楽と威勢の良い煽りマイク、鳴子の音色とそれを鳴らす綺麗な衣装を着た気持ちの良い笑顔の踊り子さん達、そして観客の頭のすぐ上を通る「夢源風人」と大きく書かれた迫力満点のフラフでした。

もちろん一瞬で観入ってしまい、他のチームの演舞も見たかったので、そのまま祭りの最後まで夢中になって観ていました。その日は仕事でものすごく嫌なことがあったのですが、それを忘れるぐらいの元気と夢源風人の団扇を貰って帰ったのを今でも鮮明に覚えています。

◯よさこいをやってみようと思ったが・・・
いずみよさこいの日の夜、大阪でもよさこいができると知った私は、自分もやってみたいという衝動に駆られました。できればフラフを振りたい、最初は祭りで振れなくてもいい、練習していつか振れるようになりたい。そう思い立ったが吉日(?)早速自分が見たチームのことを調べました。団扇を見ながら「夢源風人」ってなんて読むの(´Д` )とか考えながらグーグル先生に聞いてみると、まあたくさん出てくる出てくる😅写真や動画、そして発見しましたホームページ 。早速チーム加入の条件や練習日をチェックしました。しかしながら残念なことに、夢源風人に加入するにはなんとかしなくてはいけない大きな問題があったのです。

当時私が働いていた会社は所謂ブラック企業で、練習にほぼ参加できないという難題が。やったことのないことをするのに練習に参加できないのは致命的。相談すればなんとかなったかもしれませんが、その頃は相談できるという考えが働きませんでした。そして夢源風人への加入は断念。しかしよさこいへの想いは捨てきれず、練習に参加できて仕事と両立できるチームを探そうと考え、実はいずみよさこいで気になっていたもう一つのチームを調べたところ、条件にバチっとハマったのですぐに見学→加入になりました。それが今でも所属させていただいている「舞心座蒼(まごころざそう)」というチームです。

◯初めてフラフに触れた瞬間
しかし蒼にはフラフがなく、踊り子として練習する日々。ですが例えフラフが振れずとも、祭りやイベントに参加できなくてもよさこいができるということが幸せで、毎日暇さえあれば練習したり、色んなチームの動画を見て勉強したりと日々の生活が大きく変わりました。もちろんぴとぅも忘れてません。参加する祭りやイベントが蒼と同じときは、可能な限り観に行くようにしてましたし、そうでなくても休みの日で「◯◯でぴとぅが観れる」という話を聞けば、必ず足を運んでいました。

そんな折、あるご縁からぴとぅのフラフ師海人さんがフラフの練習会を開くという噂を耳にしました。私がフラフを振りたいのを知っていた知人が「行きませんか?」と誘ってくださいました。もちろん「はい!行きます!」と即答でした😃

練習会当日、初心者の私は、最初綿旗ではなくポンジという軽い素材の旗を持たせていただき、練習をしていました。なんとか基本の8の字で旗を動かせるようになったので、一旦他の方と交代し、休憩をしていたのですが、たまたま海人さんがぴとぅのフラフを振っていたので眺めていると、不意に目が合い、何故かすごい勢いでこちらに向かって歩いてきます。そして「はい」と声をかけられて、いきなりフラフをわたされました。もちろん綿旗は初めてで、振ったことなどなかったのですが、ポンジで振れていたのでいけるかもと心のどこかで思っていたのと、憧れのぴとぅのフラフを持たせてもらったことで、無理でも一度は振ってみたいと思い、ダメ元で振ってみたところ、「お、重っ!」と思わず言ってしまったほど衝撃の重さで、なんとか落としはしなかったものの、持ち上げるのがやっと。一振りで腕が死にました😱人生で初めてフラフに触れた瞬間でした😅

◯人生の転機
そんなこんなでフラフ練習会があると参加させていただけるようになり、しばらくしてぴとぅが大東で「郷-Sato-」を披露した後でした。残念ながら大東には仕事で見に行けず、さくらよさこいも参加できなかったため、ようやく生で郷-Sato-を観れたのが三井アウトレットパークのイベントでした。初めて観たときは涙が出そうになり、感動のあまりFacebookによさこいへの想いを綴ったのを覚えていますw今から思えばこれが大きな転機への引き金になったような気がします。

そのあとかえる祭りに参加するも、休みにも関わらず、職場と祭り会場を行ったりきたり、祭りに集中して楽しめない、最後のかえる祭りなのに(´Д` )結局ぴとぅの演舞を1度も観れず、自チームの演舞も1回参加できませんでした。これで完全にスイッチが入りました。そもそも職場で私がよさこいをやっているのを良く思われておらず、馬鹿にされる始末だったので、ものすごく邪魔をされている気になりました。その少し後に紀州よさこいへの参加が決まっていたので、このままでは紀州よさこいも同じことになる。これでは自分の人生においてよさこいを楽しめないと思い始め、気づいたら会議で辞める宣言してました😅そして引き止められるも半ば強引に退職届けを出し、今の仕事に転職。人生の転機が訪れた瞬間でした。

◯憧れのチームへ
ここから急に運が上向き始めました。まず紀州よさこいでなんと憧れだった海人さんがヘルプでフラフを振ってくださることになり、更に「2日目の1回目の演舞で振ってみないか?」と声をかけてくださいました。急遽のことでしたが、チームの代表に許可をいただけたので準備をして会場へ。後にも先にもあれほど緊張したことは今までありませんでした。そしてその祭りの最後に「一緒にぴとぅで振らないか?」と・・・。転職先は練習にも祭りにも存分に参加できる環境。断る理由はありませんでしたので、蒼と掛け持ちで参加したい旨を伝えると、最初「それはちょっとなあ」という返事。しかし、そう言っていた海人さんが色々考えてくださり、なんとか掛け持ち参加でオッケーになり、晴れてぴとぅのメンバーとなりました。初めて夢源風人と出会い、1年半後のことです。

◯最後に
めっちゃ長くなってしまいましたが、いかがでしたか?実は私のよさこい歴=夢源風人と出会ってからの年月なのです。そして自分の人生において、何かしら重要なタイミングでぴとぅが関わってくるというのは、これはもう運命なのでは?🤤

まだまだコロナ禍で色々自粛中ではありますが、あの日見た夢源風人の演舞で元気をもらったように、「自分の演舞を見た人が元気になる。」そんなよさびとを目指して日々精進してまいります💪早く皆さんと祭りやイベントに参加できる世の中が来ますように!やっちゃんでしたノシ

ぴとぅとの縁、つながり

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初めましての方もそうでない方も
こんにちは!
夢源風人専属でフラフを振らせていただいている海人(かいと)です!
拙い文章ではございますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
まず初めに「フラフッテナニ?」という方のために軽くご紹介。

フラフの由来

フラフは、オランダ語で旗を意味する「vlag」が外来語として定着したものといわれています。
また英語の「Flag(フラッグ)」が土佐流に訛り、フラフと言われるようになったという諸説もあります。
よさこいの本場高知県東部では、長男が丈夫に育つことや、健やかに育つことを願って母親のお里の家紋を染め抜いて、お里から贈るという慣習があります。贈られた家では端午の節句に庭先に長さ15mほどの竿を建て「フラフ」を
鯉のぼりなどと並べて、7歳まで掲げています。
明治元年創業 北村染物展の四代目
北村文和氏によると、二期作が盛んだった
香長平野を中心とする地域で、明治30年代後半から盛んになって、大きさや絵柄の勇壮さを競い合うようになり、現代にまで続く初夏の風物詩となっているそうです。

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フラフについての動画リンク貼っておきますね(^^)https://www.youtube.com/embed/2N3rXEzZ53k?rel=0https://www.youtube.com/embed/uo06g8W-F8U?rel=0https://www.youtube.com/embed/tdiPKl-Z914?rel=0https://www.youtube.com/embed/0zAd_-fTQnM?rel=0

フラフの分類

フラフには大きく分けて2種類のものが存在します。
先ほど紹介した子どもの健やかな成長を願い端午の節句に掲げられる「フラフ」

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制作技法はフラフと同じ手描き手染めで、素材は綿で出来ており、よさこい祭りなどで用いるために作られたチーム名が入っている「よさこいフラフ」

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「用途の違い」で考えるとわかりやすいですね!
※化学繊維(テトロンポンジ、トロピカル)などの旗はフラフとは呼びません。
大漁旗も素材が綿や手描き手染めの物がありますが、フラフとはまた別の括りになります。

とりあえずフラフの説明はこれくらいにしときます!
軽くご紹介と言いましたが長くなりましたね、すみません!
次はよさこいとの出会いについてです!

よさこいとの出会い

遡る事7年前 2014年5月3日
夜中に友達から、明日名古屋行かへん?と連絡がきて、要件を聞かずに行くと即答しました。
翌日バスの中で愛知県名古屋市で開催されている「よさこい夢まつり」というお祭りに参加するということ、僕にチームスタッフとして参加してほしいということを知りました。
「よさこい」というものを聞いたことはあるけど見たことはない、程度で参加したお祭りで
特に印象に残っているのが鯨が描かれた旗を振っていた「國士舞双」さん、白龍、武将が描かれた旗を振っていた「乱痴気」さんでした。
粋で優雅に、まるで生きているかのような旗を見て、すごく心を惹かれたの覚えています。
数年後、同じステージでこの方達と一緒に
フラフを振っているとは当時思いもしてなかったです笑https://www.youtube.com/embed/2NIPn8mYVX8?rel=0https://www.youtube.com/embed/vgg-3gY1Ruw?rel=0

ぴとぅとの出会い

2016年に当時自分が在籍していたチームに
夢源風人現代表の佳奈美さんが踊りにきたのがぴとぅを知ったきっかけです。
初めて演舞を見たのが2016年に開催された大東ふれあいフェスタでの「あふさかん・シンフォニー」
曲、振り付け、衣装、煽り、隊列美、一人一人の踊り子さんのレベルの高さ、全てに魅了されたのを覚えています。

月日は流れ2017年9月
フラフを振らせてもらえるチームを探していた僕は、以前心を惹かれた夢源風人の練習会見学へ。
フラフへの想いを伝え、フラフの代金は全て実費でいいのでこのチームで振らせてほしいと
伝えました。
結果的にフラフをチームで制作してもらえる事に。
見ず知らずの人がやってきて、フラフを制作して振らせてくれるチームはまずないです。
やる気や熱意を持ってる人に対して全力で応えてくれる素敵なチームだと思いました。

制作開始から2ヶ月後、届いたぴとぅフラ

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当時のML。
デザインはぴとぅのコンセプトでもある
「目には見えない思いのつながり」
自分が入会した時に作ってもらった思い入れのあるフラフ、これからも大切に振らせていただきたいと思います。

最後に

ぴとぅメンバーの中で何かをやりたい気持ちを持っている人は勇気を出して一歩踏み出してみてください。
夢源風人は本人にやる気、熱意さえあれば最後まで見捨てず、その気持ちにしっかり応えてくれるチームです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

とばさんです!

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こんにちは

夢源風人の写真部で活動してます「とばさん」です。

いつもお祭りやイベントの時にはカメラ持って会場をふらふらしているので
馴染みがない方もいてるかと思いますが一応メンバー登録はさせていただいてます(笑

まずよさこいを最初に知ったのは2013年のKOBEALIVEかな~
知り合いの人が「よさこい踊ってるので1回見に来て~」っと言われふらっと見に行ったのがきっかけです。

2013東京よさこい なな丸隊東京よさこい なな丸隊


2014年にはKOBEALIVEと第11回泉州YOSAKOIゑぇじゃないか祭りは少しだけ見に行きました。
この頃撮影などは、ほとんどしていませんでした。
てか、チーム名等々も全く分からずに見ていました(笑

2014みつば家

みつば家さん

2015年には撮影するのに興味が出来てしょぼい機材を購入しました。
一眼レフを使って写真を撮るってのは、十代の頃アイドルを撮ってた時以来でしたので機材の進歩にはびっくりしました。
アナログ時代の機材から一気にデジタル機材に・・・わけわからん状態でした・・・
まぁそんなこんなで2015年にカメラを持って撮影を開始しました。


んで、ぴとぅを最初に見たのは。第12回泉州YOSAKOIゑぇじゃないか祭りでした。
この頃もまだ全然チーム名とかは把握せずに、適当に色んなチームさんを見て撮ってしてました。
この時の写真をSNS等にアップしていたのがきっかけで、ぴとぅ沼へ入ってきてしまいました(笑

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2015ゑえじゃないか祭り

2016年からはしょぼい機材を処分し、ちょっとこましな機材をそろえてのよさこい撮影が始まりました。(機材のアップデートはちょこちょこしています)
またこの年の夏からスタッフ登録をして現在へ至ります。

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2016よさこい祭り 全国大会

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2017さくらよさこい

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2018能登よさこい祭り

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2019年第66回よさこい祭り

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2021お披露目inりんくう公園 石舞台


また、みんな笑顔で会える日を楽しみに待ってます。

太陽に当たれなくても続けてきたよさこい。

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皆さん こんにちは

夢源風人の踊り子兼カメラ部の しほです。

まずは、簡単に自己紹介から始めます。


私の趣味は
絵を描くこと、写真を撮ること、ハンドメイド、アイドル鑑賞、YouTubeを見ること、お洒落なカフェを巡ること、食べることなど
結構多趣味です。

出身地は北陸の富山県です。
日本地図のどこの地域にあるのか分からない人が多いような県ですが、
日本海側に面していてホタルイカや白エビ、ブリなどの新鮮な魚が食べれるのが魅力の自然豊かな街です。

とても控えめな性格なのですが、慣れてくると結構喋ります。


どうぞ よろしくお願いします!😌


お祭りでは日差しが強い時、日傘をさしていることが多いです。


なんで日傘さしてるの?

女子力高め!など思われる方もいらっしゃるかと思います。

私は紫外線を浴びることができません。

しかし、日に当たれなくなってからも よさこいを続けてきました。

〜 踊り子のはじまり 〜

私は 2017年のハレ、晴れの時から夢源風人で踊ってきました。
興味のあることには進んで挑戦しにいく性格で、小さい頃から地元のお祭りでよさこいを見ていて、自分もいつか踊ってみたいと思っていました。
新しい趣味を探している時に偶然見つけたのが夢源風人でした。

チームに入りたての頃は 鳴子を鳴らしたのは初めてだったので、実際に踊りながら鳴らすことは想像していたよりも難しくて、振りチェックの日が終わるまでは周りに付いていくことに必死でした。

なんとかお祭りデビューを果たして、年間を通して沢山のお祭りに参加し踊ることで、よさこいに楽しさを感じるようになり、気が付くとよさこいも趣味のひとつになっていました。

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写真:いずみよさこい、瑞浪バサラカーニバル

ハレ、晴れの年が終わり 2018年 ココロ咲く夏のお披露目が始まる時期、

訳あって突然 日に当たれなくなってしまいました。


今年も1年間 普通に踊れると思っていました。

京都さくらよさこい、いずみよさこい、かえる祭り、能登よさこい、吹田祭り、高知よさこい、原宿表参道元氣祭スーパーよさこい、こいや祭り、安濃津よさこい、大阪大会、四日市よさこい、瑞浪バサラカーニバル …


また踊りたい と思っていたお祭りで踊ることができなくなった時、悔しさやショックがとても大きかったです。


外で踊れないのは致命的な問題でした。


しかし、その時は よさこいを辞めることはあまり考えられなくて、踊り子を続ける方法を探しました。


そして、紫外線を浴びる時間をなるべく減らすことで 踊ることが難しいと思っていた屋外のお祭りでも踊ることができるようになりました。

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写真:四日市よさこい 

8月には、参加することは不可能だと思っていた高知のよさこい祭りにも参加することができました。

真夏の炎天下で 日中は踊れませんが、夕方の日が落ち着いてきたくらいの時間から踊らせていただきました。
後夜祭では この地へ〜 にも参加させていただきました。

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写真:よさこい祭り 帯屋町にて。(写真使わせて頂いてます。)

こうして 今まで踊りを続けることが出来ていたのは、事務局の方、サポートしてくださるスタッフの方、メンバーの方、見守ってくださる周囲の方々のお陰でした。

周囲の人達と同じ様に普通に踊れなくなっても、踊らせていただけて本当に有り難いことだと思っています。

いつもありがとうございます!

〜 写真を撮りたいと思える瞬間 〜

日に当たれなくなってから初めて参加したお祭りは、かえる祭りでした。

屋外と室内の会場があり、室内の1演舞しか踊ることが出来なかった時、初めて踊らずに日陰からチームメンバー達が踊る姿を眺めていました。

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写真:かえる祭り (iPhoneカメラ)

その時は、iPhoneカメラで撮っていました。
写真を見返すと みんな笑顔が素敵でキラキラして見えました。
それから 何度かメンバーが踊る演舞を眺めてるうちに、せっかくの踊っている姿を写真に収めたい と思うようになりました。
踊ることが好きでしたが、よさこいを見ることもこんなに楽しいんだ!と気付かされた瞬間でした。自分にできることで、少しでもチームの役に立てたらと思っています。


〜 チームの良いところ 〜

夢源風人は、事務局さんやメンバーがしっかりサポートしてくれるので、安心して活動する事ができています。
個性の強い方も多いですが、皆んな心が優しい方々ばかり。
私は 踊れなくなってからは最悪な気分で、周囲に距離を置いて疎遠になりかけていました。そんな時でも、メンバーは気に掛けて優しい心で普通に接してくれました。
そんな環境だから今までやって来れたのだと思います。
チームにいることで、私の特技も活かすことが出来ていると感じています。
できないからと 諦めてしまう必要はないと思います。


新しくよさこいの代わりになるものを見つけようと思ったけれど、よさこい界にいる時が一番しっくりきて居心地の良さを感じるので、安心できるこの場所が私は好きなのです。

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参加できるお祭りは減ってしまったけれども、踊れる場所があることに感謝したい。

続けることで 何か意味を持たせたい 。

そう思っています。


よさこいは どんな人でも楽しむことができる 薬 です。

これからも 踊れる機会があれば踊れる限り積極的に参加していきたいし、色んなお祭りのキラキラした雰囲気を写真に沢山収めたいと思っています。


また お祭りで皆様とお会いできることを 楽しみにしています。

ご覧いただき、ありがとうございました。

巻き込まれ事故でした(笑)

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まず自己紹介
ちょこです。
ぴとぅでは、カメラ部に所属しています。
学生時、そんな学部でカメラの勉強は一通りしたような気もしますが。
カメラ部では動画のみ撮影しております。

びっくりするくらいインドアで腰が恐ろしく重く、そしてめちゃくちゃ人見知りです。

両親共に郷が高知県の西の果てなので、夏には毎年のように高知へ帰省していました。
帰省時は、フェリーが高知港に着いたら、市内観光もせずそのまま西の果てへ直行でした。
両親の田舎が大好きだったので、ホントによく帰っていたんです。
両親が帰らなくても帰っていたほどです。
っと田舎自慢したいところですが、ここでのコンセプトとは違うので聞きたい方は個人的に聞いてください(笑)

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高校生になるまで、よさこいというものがあるのを全く知りませんでした。
亡き祖父母からよさこいを聞いたこともなかったですし、
母も「大阪へ来るまでよさこいを知らなかった」そうで。
亡き父からよさこいの話を聞いたことがなかったので、きっと父も知らなかったのだと思います。(お父さん、知ってたらごめん)
きっと高知市内から遠すぎる土地柄もあったのだと思います。

なんなら高知と言えば「リープル」だと知ったのは、シンフォニー(2016年)のスタッフで高知へ行ったとき。
チームのメンバーと一緒に行った市内のコンビニで「高知と言えばやっぱりリープル買わな☆」と言われて(そうなの?!)と思いつつ「もちろん♬」と思いっきり知ったかぶりをしました。
リープルさん、あの時はごめんなさい。素直になれませんでした。

ついでに。
桂浜水族館はあるのは知っていたけど、社会人になるまで行ったことがありませんでした。
おとどちゃん、毎年のように高知へ帰省していたのにごめん。

今は、リープルも桂浜水族館も高知へ行った時は、必ず訪れて飲んでます☆


よさこいを知ったきっかけ

は、従兄です。
高校生時に、高知市内の専門学校に通っていた従兄がよさこい祭りに出るということで、親戚の伯父さんの家のテレビではじめてよさこい祭りをみました。
初めてテレビでみたよさこいを踊っている従兄は、かっこよかったです。
どこのチームで踊っていたのか知りませんが、キラキラしててアイドルのようだったのを覚えています。

でも、別に踊りたいなぁと思ったわけでもなく。
(こんな世界があるんやなぁ~)で終わりました。


で。
ちゃんとよさこい祭りを肉眼で見たのは2003年。
すっかり社会人になってからです。

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ちゃんと写真撮ってた私えらい(笑)
田舎への帰省時、たまたま市内で宿泊し、たまたまよさこい祭りをしていて、踊り子さんが楽しそうに笑顔で踊っている姿を見て(このお祭りは見るよりきっと踊る方が楽しいんだろうなぁ。私は踊らないけど。)と思って終わりました。

その次が2005年、後の旦那さんと田舎へ帰省時。
この時はよさこい祭りが開催されてるのを知ってて、折角高知に来てくれるのだから、高知のお祭りを見せたいと目的をもって見に行きました。
見た直後の旦那さん「凄いな~」っと感動しきりで、見せて良かったと思ったのをよく覚えています。

あとは。
題名の通り旦那さんがすっかりよさこいにハマってしまいまして。
私と子達だけ、先に西の果てに帰省。
よさこいを堪能した旦那さんが後から合流な形になったりして「お前の旦那は、またよさこい見に行きよるがか?」と親戚の方々から突っ込みを受けたりしつつ月日が流れます。


私がぴとぅを知ったきっかけ

は勿論旦那さん。
大東市であったお祭りに旦那さんが用事で行けなくなったので
「行けそうなら代わりに見に行って。何ならついでに撮って来て」
と言われて、何となく大東市であったお祭りに行ったときはじめてぴとぅの演舞を見たんです。
楽しそうに踊ってはるなぁ~と思ったのが第一印象。
動画も撮影はしたのですが、当時2歳の末っ子があまりにノリノリに手を叩いていたのを思わず撮っちゃったのでボツにされました。

なので今回蔵出し動画になります。
携帯で撮影してるので画質荒いです。
何も考えてないので逆光です。

2016年3月20日
あふさかんシンフォニー 大東ふれあいフェスタ

ブログ用03

その時は、まさかこの4か月後に長女と次女がこのチームでよさこいデビューして踊っているなんて。
私がこのチームのカメラ部に入りますって言うなんて夢にも思ってない時期ですね。

カメラ部に入ったきっかけ

ある日の祭りで旦那さんに
「そこ居るならついでにビデオ回してて」とビデオカメラを渡されまして。
何となく動かして撮ったのですが、びっくりするくらい出来が悪くて。
ボツ映像(消去)になりました。
それがすごくショックで。
旦那さんは、別に気にしなくても良いと言ってくれたのですが。

踊り子さんにとっては、大事な記録。
奥の方の踊り子さんも良い顔して踊ってるのをちゃんと撮りたい。
私の撮った映像が、世に影響するとかそういう大それたものでもないのですが、せっかく撮るならチームのみんなにちゃんと喜んでもらえるものが撮りたい。そう思ってしまったのです。

カメラ部へ正規加入

ちゃんとカメラ部に入ったのは16期「ハレ、晴れ」から。
シンフォニーの時は高知のスタッフ登録していただけだったんです。
似非カメラ部だったんですねw
カメラ部に入って良かったと思ったことは、「ちょこさんの動画好きやわ」って言って貰えた時。
愛。込めて撮ってます♡

2017年11月26日 四日市よさこい  諏訪公園メイン会場 「ハレ、晴れ」
https://youtu.be/nLFMsJItyTA

2018年8月11日 高知よさこい祭り 中央公園「ココロ咲ク夏」
https://youtu.be/ndJmOrYLtxI

2019年8月12日 高知よさこい祭り 高知城「郷-Sato-」
https://youtu.be/M6Ct7Cl1Usc

カメラ部で残念なことは我が子入れ食いで撮影できないこと。
やっぱり親なので子は気になります。
でも撮影してると入れ食いで見れないんですよね。
撮りながら、子が映ると手が止まりそうになります。
そんな子供で止まりそうになってる動画がちらほら。。
はい。
反省しています。<(_ _)>
撮影時は、チームのみんなに愛を込めるように心がけております。

巻き込まれ事故だったけど(笑)

きっと旦那さんがよさこいにハマっていなければ、田舎の祖父母も、父も亡くなって久しく、高知への帰省が遠のいていたと思います。
旦那さんがよさこいにハマって、子供達がよさこいデビューして、我が母も高知まで孫たちの追いかけをしてくれて。
まさか高知市内在住の従姉ご夫婦の家へ洗濯機を借りに自転車を走らせる日が来るなんて(笑)

また高知に帰ってこれるようになって旦那さんには感謝しています。

家族でよさこいやってみるの良いものですよ。

2021年3月20日
まるまんてんお披露目アンコール演舞

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またみんなでわいわい楽しく踊れますように。

おしょう(♀︎)です。

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夢源風人の踊り子兼カメラ部兼ちっちゃいものクラブの一員、おしょうです。
見た目は高校生と言われますが、20代半ばです。

夢源風人の追っ掛けをしている父に読まれることを覚悟して、ブログを書きたいと思います。

よさこいとの出会い

私がよさこいに出会ったのは、大学1回生の春。

先に大学のよさこい部に入部していた友人の誘いで部活動を見学することになり、その場で入部を決意しました。

それまでの人生は、全くと言っていいほどよさこいとは縁がなく、ダンスも未経験。ですが、踊りに興味はありました。

見学に行けば、クセが強くて面白そうな先輩方が歓迎してくださり、とても楽しそうな雰囲気。
週2回の練習会も丁度良い頻度だし、何より部室の時計が私の好きな某アニメのキャラクターだったことから、これは入部するしかないと強く思いました。笑

大学生活はしっかり遊びたいし、緩く運動できる部活やサークルは無いかと探していた私にとって、よさこい部はとても魅力的だったのです。(踊りは全く緩くなかった。笑)

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このよさこい部との出会いがきっかけで、大勢の素敵な仲間たちに出会うことが出来、私の人生はとても色鮮やかなものとなりました。

全ては大学に行かせてくれた両親のお陰だなと思います。

お父さん、お母さん、ありがとうね。

読んでたら連絡ください。

夢源風人

部活動の休憩時間中でも、大好きな仲間たちと休まず踊る程によさこいにドハマリしていた私。

大学2回生になり、大学のよさこいチームでは参加していなかった本場の高知よさこい祭りに参加したいと思い、部活の先輩と同期が所属していた夢源風人の体験会や練習会に参加することにしました。

当時の『あふさかん・シンフォニー』の衣装や曲、振り付けが好きで、同じ部活の2人の先輩と共に、まずは高知よさこい祭りまでを目標にした限定メンバーとして夢源風人に所属することを決めました。(この時、大学のチームと掛け持ち状態。)

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目標にしていた高知よさこい祭りに参加し、圧倒的な楽しさと最高なお盆休みの過ごし方、そして素敵な仲間たちに出会ってしまった私は、夢源風人でこれからも踊り続けたいと思い、正式メンバーになることを決めました。

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正式メンバーになってからでも、その後約1年間は大学のチームと掛け持ちをさせてもらっていたので、両チームが参加するお祭りでは、衣装チェンジや会場移動などで大忙し。
演舞が始まろうとしているのに着替えが間に合わず、着替えを手伝ってもらったり、MCさんに時間稼ぎをしてもらったりと、たくさんご迷惑をお掛けしました…。(苦笑)
それでも、皆さんは嫌な顔をせずに、優しく見守ってくださっていました。
ほんとに、優しい人ばかりなんですよね。

大学のよさこい部を引退してからは、夢源風人のみで活動するようになり、今に至ります。


カメラ部

約3年前から大好きなチームになにか貢献出来ればと思い、サポートする側にも回りたいと考えるようになりました。

私は写真や動画を撮ることが好きで、自らカメラ部に立候補し、踊り子兼カメラスタッフとして活動することにしました。

実際のところ、踊り子としての活動が9割なのですが、ごく稀に動画を撮影したり、自前の一眼レフカメラや何十万円とするカメラを他のスタッフさんにお借りして撮影したりと、緩く活動させていただいております。

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(撮ってるところ撮られがち。)


”撮ること”に興味を持ったのは高校生の時で、父にCanonのデジカメを買ってもらい、高校に持ち込んでは、よくクラスメイトを撮影していました。

今の時代で言う、”映え”写真を撮りたいからではなく、”大好きな人たちとの思い出を、忘れないように残しておきたい”という気持ちが大きかったからです。

今は時代や周りのカメラ好きの方々の影響で、カメラの魅力に気づいてしまい、”映え”を意識していないといえば大嘘になるのですが…。

私が撮影をする大きな理由は、今も変わっていません。


この気持ちを私史上最大限に表したものが、2019年の高知よさこい祭り期間中と、大阪から出発、高知を離れるまでを撮影・編集した、こちらの動画です。

  夢源風人 2019 「郷-Sato-」 高知オフショット集
https://youtu.be/MyBoDicQ1jQ

この動画で、メンバーにはただ楽しかった記憶を思い出してもらえたら嬉しいですし、初めて観てくださった方には、夢源風人の楽しさが少しでも伝わっていれば良いなと思います。

よさこいが無い生活でもそれなりに楽しいけれど、よさこいのある生活の方が何億倍も楽しいことを私は知っているので、また大好きな仲間たちと楽しく踊ったり、心置き無く撮影できる日を楽しみに、毎日健康に気をつけて生きて行きたいと思います。

またみんなで元気にお会いしましょう!‪‪

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このWebサイトはぴとぅ広報班が管理しています。
52人目。ちょうど4クール、1年です(!?)
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じゃんじゃじゃーん!
お久しぶりです。にゃんちゅです。
この自己紹介も人前ですることが減り、今では恥じらいさえ覚えてきたので
もう一度エンジンを温めるには2L程度のビールと2つ程度の鳴子が必要かなと感じています。

早速ですが折角バトンを頂きましたので、
加入経緯、今までの思い出、これからへの思いを書いていこうと思います。
拙文ではございますが、少しお付き合い頂けますと幸甚に存じます。

■ぴとぅ加入経緯
私は神奈川県横浜市出身で、社会人1年目、23歳の2017年1月末に大阪に赴任して参りました。
ぴとぅに加入したのは2019年の作品からですから、大阪に来てから1年間は本当に仕事だけの生活でした。
周りの知り合いは会社の人たちだけ、酒の席での話は必然的に仕事・職場の話に終始し、代り映えのしない毎日を過ごしていました。

そんな中、連休中に実家に帰り、大学時代に加入していたよさこいチームを手伝う為、あるお祭りに参加しました。
久々のお祭りは忘れかけていた日常で、当たり前に楽しくて。シンプルにいいなって思いました。
他のチームで踊る元チームメイトを見て、もし私もよさこいを続けたら、またこんな日常が帰ってくるかもしれない、この人達とどこかの祭りで会えるかもしれない、そういう期待に胸が躍り、家に帰ってから「よさこい 大阪」でグーグルさんに調べて頂き、一番上にヒットしたぴとぅの門を叩くこととなりました。

■加入からこれまで
2018年12月末の体験会が初参加でした。緊張しました。それはもう。
寂しいのが嫌で、つまらないのが嫌で、繰り返しの毎日が嫌で、そんな思いで飛び込んだ世界には、全く知らない人たちがたくさんいて、怖かったです。ビビりました。
何が怖いって、こんなに人がいるのに誰にも話しかけられない私自身の縮こまり様に、です。
体験会のあとに懇親会がありましたが、緊張のあまり食べられなかったらイヤだなと思い、
懇親会前に一人サイゼリアでミラノ風ドリア2個食べました。それ程に緊張していました。

懇親会は、後に正式加入を決めるきっかけとなったのですが、とても良くして頂いたのを覚えております。皆さん話しかけてくれたり、お酒を楽しく飲んでいたり…非日常的日常をそこに見ました。特に某三姉妹の次女がとても元気に接してきてくれて、その時に作ってくれた折り紙は、(一度ポケットに入れて洗濯してしまいましたが)今でも部屋のテレビの前に飾ってあります。
学生チーム出身としては、次踊るなら幅広い年代層がいて、家族で参加できるようなチームが良い、と思っていたので、そういう意味でも非常に共感でき、加入させて頂くことになりました。

■思い出
思い出は、挙げようと思えばきりがありません。
○○祭りが楽しかったこと、練習はきつかったけど某インストに励ましてもらって頑張れたこと、某インストと何故か漫才を練習し披露したこと、お酒の席で失敗したこと…
振り返ると、いつの場面を切り取っても、キラキラしていて懐かしく、少し震えます。

ただ、一番印象的だったのは、演舞について踊り子からの意見を聞いて頂ける機会があり、
加入1年目のど新人の意見も尊重してくれるチームの風土でした。
よさこい経験者といっても学生主体、人数もせいぜい40人、鳴子は演舞中の半分くらいしか持たず、今では名古屋の色濃いチームの出身です。
夢源風人の雰囲気とは180度違っていたと思います。


そんな私でも、こうやりたい・こうした方がよく見えると思ったことを伝える機会があり、それを考えて貰える環境がありました。これはチームの規模感や組織体系を見ても稀有なものだと思います。

■これからへの思い
これからについて考えていきたいと思います。
このご時世で、気持ちも身体も足踏みをしてしまうことが増えてしまい、
おかげで体重は1年間で10キロ近く落ちましたが、その分大切な何かも落としてしまったのではないかと不安になることもあります。

いきなりですが、
皆さんは自分の感情で好きなものはありますか?

私は、「楽しい」が一番だと思っていました。
上の問いをある人にしたとき、「さみしい」と言われたことがあります。
不思議だなと思いました。
あまり深入りするのも違うと思い話はそこまでにしてしまいましたが…
今思うと、私が夢源風人に入った理由は「さみしさ」からで、それをきっかけにこんなにたくさんの人、場所、思い出に出会うことができました。

なるほど、その人は筋トレの次の日の筋肉痛が好きな人なのだと気づきました。

今はまた心のボディメイキングと認識して、
まるまんてんデビューに向けて準備を進めて参ります。
また、踊り子として、フラフ班の一員として少しでもチームに貢献できるよう精進します。

さて、末筆になりますが、
大阪から早く帰りたいと思っていた1年目の私が
これほど大阪にいたいと思う未練をくれたのは夢源風人でした。
そこに関わってくれる全ての人でした。本当にありがとうございました。
今年も、新しく加入された方が何人もいらっしゃると伺っております。
また新しい思い出が増えていくことがとても楽しみです。

相も変わらずどうしようもないお調子者の私ではございますが、

引き続き、よろしくお願い申し上げます。