ブログ* スタッフ日記

ぴとぅ史上最高のYESマン

こんにちは、タクトです。

気が付けば2015年からぴとぅでMCやってます。
なにやらブログを書くことになったのでなぜMCになったか書きます。

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1st YES(pact)

遡ること2014年。
当時ぴとぅでよさこいをやってた友達から「高知のスタッフしてみない?」とお誘いを頂き吹田祭りにぴとぅのスタッフで行ったのが全ての始まり。

当時は暇してました。
そんでよさこいってほぼ知らなかった。

なんかやることも無いし、とにかく誘われたら「YES」って言うようにしてました。どんな事するかなんで全くわからないまま受けました。

んで吹田祭り、人見知りおじさんなので緊張しました。
(当時、人との交流など主に会社くらいだったので、今となってはよく行ったなって思います。)
なんとか吹田祭りのスタッフ(ほぼ何もしてない)をやりました。

次はもう高知でした。

そんなにぴとぅの人達とも交流ができてないままに、
スタッフとしての手続きをし、知らない人がいっぱいのバスに乗り高知へ向かいました。
行きのバスは周りの人殆ど知らないので終始無言だったような。。。少し喋ったような。。。
隣の子金髪で怖くて話とか出来なかったおもひで。

暑いし、知らない人一杯だし、よさこいとかほぼ知らないし、肝心の友達も事務局等で忙しくてなかなか会えなかったり。
撮影とかした事のないけどビデオカメラ持って走って追手筋の撮影したり、
地方車に千賀先生(当時は誰か全く知らなかった)が乗ってくるタイミングで何故か同乗してビデオ撮影したり、
全国大会のひろめ打ち上げで泥酔したあきべ○さんを救助したり、
色々ありました。
人見知りには色々刺激的な高知よさこいでした。

うん、結果楽しかった。

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スタッフ中の写真、何このポーズ

2nd YES(pact)

そして高知の後もスタッフでこいやは行った、ほぼ行っただけに近い状況でした。

それから少し時は流れ11月頃だったかな?
再び友達からお誘いが来ました。
「バサカニで歌ってみない?」
確かそんな感じ。

答えは「YES」

なんでも「YES」期間だったので割と即答だったような。
演目は「アナ雪」
それから1週間に4、5日連続でカラオケに行って同じ曲だけを歌い続ける。デュエットって難しいよね。
やる事なかったのでずっと会社の行き帰りとかその曲聴いて勉強、、、
時間があるって素晴らしいことです。

そして本番当日、岐阜の瑞浪は3℃でした。
知らない土地で、知らない人たちの前で歌う。
割とグズグズだった。
緊張と寒さで少し失敗したりとか色々悲しい感じだった。
未熟だった、というか圧倒的に力不足、、
リベンジを誓いましたが、それからそういう機会もなかったな。
バサカニ寒かった、けど楽しかった。

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3rd YES(pact)

そのバサカニの帰りに、ぴとぅのMC班の人からMCやってみない?って言われた。
その時は有耶無耶になって答えてなかったけど、
今考えればそこがスタート地点。

それから年が明けて2015年1月
MC班の方から突然「MC本当にやってみない?」というLINEが来ました。

そこでも答えは「YES」

そしてぴとぅでのMCとしての活動がスタートしました。

2ヶ月後位にはデビューしてました。

今考えると恐ろしい話ですが、よさこい未経験者が2ヶ月くらいでMCデビューしてました。
今はチームの人数が多くなったので考えられない事です。

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さくよさの時の写真、始めたばかりにしてはそれっぽい!


万華鏡から始まり、「あふさかんシンフォニー」「ハレ、晴れ」「ココロ咲く夏」「郷-Sato-」(実は「夏色に心踊りて夢ひらく」も一回だけやりました。)
たまに気まぐれで踊ったり、踊らされたり、ラジバンダリ。

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初年度は何度かフリー素材とし告知画像にもなりました。
これ以外にも何度かあったような

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YESは自分を幸せにする

パイナップルの告知もしました。
この時演舞中にパイナップル食ったね。
こいやのやぐら会場の事は毎年1月から考えてます。
毎年あれが本祭なんじゃないかってくらいに。

色々ありましたが、とりあえずの「YES」から始まったよさこい人生。
他のみんなみたいに凄いよさこい熱がある訳でもなく、ただ自分が思うようにやってきたよさこいです。
まだまだ未熟者です。
ですが「何か楽しい」
そんな魅力のあるよさこい。

みんなも誘われたらとりあえず「YES」って言ってみるといい。

案外幸せだから

こいや祭りと出会って…

お久しぶりです!はじめまして!
MC班のポッターです。
いつも楽しみに見ていたブログリレーがついにMC班に回ってきたということで今回書かせていただきます。
喋る方は得意ですが、文章を考えるのが苦手でかなりな長文になってしまいました…
お時間ある時に良かったら読んでみて下さい。

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小さい頃からとにかく喋ることが大好きで、小中学生の頃は学級代表や生徒会役員になり学年行事や式典などで人前で喋ることも多く、将来はアナウンサーや高校受験の時に勉強のお供として良く聞いていたFMラジオのパーソナリティになりたいと思うようになりました。

そして高校卒業後の2003年春、夢を叶える為、大阪市内にある専門学校に進学し喋りの勉強をすることになりました。
ちなみに「ポッター」というあだ名は専門学校時代のクラスの女子達から「京野君ってハリーポッターに似てない?じゃあ、あだ名ポッターでよくない?」ということから呼ばれるようになりました。
まさかそれから現在(36歳)まで人生の半分をこのあだ名で呼ばれ続けることになるとは…
あだ名決めは大事ですよ笑

さて、あだ名と同じく自分の人生を大きく左右する出来事がありました。

こいや祭りとの出会い

「第4回こいや祭りでのボランティアMC募集」

先輩から勉強になるから一緒にやらないかと声を掛けてもらい、1日だけMCをやることになりました。
人生初めてのMCはタイムテーブルの時間通りに全然進行出来なくて会場担当の方に予定にない総踊り時間を何度も入れてもらうなど散々な結果となりました。
とにかく悔しくてこの時すでに来年もMCやってリベンジすると心に誓いました(実はかなりの負けず嫌いです…)

翌年5月、どういう経緯でやることになったかは忘れてしまいましたが毎年5/3〜5/5まで開催される中之島まつりでもボラスタMCをすることになり、この時に現在の事務局のつもりさんやインストのみっつんと出会いました。

そして第5回こいや祭りではメイン会場でMCをさせてもらいなんとかリベンジ成功!さらに翌年の第6回こいや祭りではMC部門長として実行委員に加わり、こいや祭りが切っても切り離せない生活の一部になっていました。

写真②(第5回こいや祭り)
写真③(第6回こいや祭り)

初めての高知、踊り子デビュー

実行委員になってからはこいや祭り主催の練習会(こいや練)に毎週参加し、たくさんの踊り子さん達と仲良くなり、そんなある日のこと、高知のよさこい祭りの存在を知る出来事がありました。

当時のこいや祭りは8月下旬の開催で開催直前の会議後、夜遅くになり帰ろうとした時に「ポッター、今から高知のよさこい祭り見に行かん?」と声を掛けられ、たまたま次の日予定がなかったので、人生初の高知へ!

翌朝、まだ人も少なくお店もほとんど空いてないひろめ市場で朝食を取り、その後升形競演場に移動し、スタート付近に座り踊りを観ることになりました。

固定したタイムテーブルがない中で祭りが行われていることに祭り側の人間として一番驚かされ、更に演舞前にチームのスタッフさんからいろいろ物を貰えたことに「お客さんとしてもこんなにも楽しめる祭りがあるんだ!」と、本場のよさこい祭りの凄さを感じました。

第6回こいや祭りが終わった後もこいや練やバサカニ、WTCで行われた年越しよさこいイベントに参加して、その頃からぴとぅの人達とも仲良くなり、そして2006年のWorldあぽろんに遊びに行った時に当時の代表に「チームスタッフとして一緒に高知に行きたい」と伝えました。
すると返ってきた言葉が…

「踊り子で参加すればいいじゃん」

予想していなかったこの一言により、まさかの踊り子として参加決定!
これまでは総踊りくらいしか踊ったことがなかったので正直踊れるか心配でしたがみんな優しく教えてくれたのでなんとか覚えることが出来ました。

初めて踊り子として参加した高知での1番の思い出は「夜の追手筋」
当時のぴとぅは代表がMCを担当していましたが、盛り上がり最高潮のこの場所でMCをさせてもらえることに!
地方車の上でではなく、実際には前口上だけ言って、演舞中は隊列に入って踊ってというやり方やったけどまさかの花メダルまでゲット!

MCをさせてもらえただけで嬉しかったのに花メダルまで貰えるなんて思ってもいなかった為、踊り終わってからみんなの前で大泣き…笑
今となっては一生忘れることの出来ない思い出です!

写真④(花メダル組集合写真)

高知後もちょこちょことイベントや祭りに参加させてもらい、翌年3月に参加した浜松よさこいにて正式にぴとぅに入り(遅っ!)、現在に至ります。

10周年の演舞曲「夢のみなもと」から演舞中の煽りをメインで考えさせてもらうようになり、5年前の演舞曲「万華鏡」からは祭り中全く踊らない「専属MC」というポジションを作り、最近はMCメンバーも増えてきたので祭りや練習会への参加率は年々低くなっていますが、これからもぴとぅ人としてよさこいを続けていけたらなと考えています。

写真⑤(四天王寺ワッソ)
写真⑥(バサカニ写真)
写真⑦(ちゃんと踊ってた時代)

ターニングポイント

今回のような機会はあまりないので、改めて自分のよさこい人生を振り返ってみましたが、「こいや祭り」との出会いがなければ自分の人生180度変わっていたと断言できるぐらい大きなターニングポイントでした。

そして、そこからよさこいを知り、ぴとぅに入ったことでこの歳になっても楽しめるものがあり、全国に友達も出来て、いろんな世代の人達と出会うことも出来て、本当にぴとぅに入って良かったなと思っています。

コロナの影響で色々と我慢の時期ですが、また気軽に練習会や祭りで会える日が来るのを今を楽しみながら乗り越えていきましょう!

写真⑧(MC集合写真①)
写真⑨(MC集合写真②)
写真⑩(MC集合写真③)

最後に

専門学校卒業後は大きな放送局ではありませんでしたが自分の夢であったFMラジオのパーソナリティとして喋りの仕事を数年間していました!
京阪沿線の某駅の改札前にあるサテライトスタジオで喋っていた時に凄く視線を感じることがあり、スタジオの前を観ると現代表のかなーみさんがこちらを観ていて、とても驚いたことを今でもはっきりと覚えています(笑)

ここまで読んで下さった皆さん、ありがとうございました!

ティリッティー!!

ぶんたです。
ブログというものは初めてで、ティリーになりそうですが、お付き合いいただければと思います。
できるだけ、端的に綴ります。詳細は、、飲み会などで聞いてもらえれば、と思います。
話が古く、写真がない項目が多数ありますがご容赦ください。むしろ持っておられたらいただけると有り難いです!

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大きく分けて3つ、綴ります。
①よさこいとの出会い
②ぴとぅとの出会い
③ MCのはなし
では早速、、、

①よさこいとの出会い

よさこいとの出会いは1998年
それは名古屋の大学1年生の5月頃でした。
「祭りで踊る団体」というサークル勧誘ビラを見て、昔から盆踊りを踊るのが好きだった私は興味を持ち、練習を見学に行きました。
そこで見たものは、今まで見たことのないモノをカチャカチャ鳴らしながら楽しく踊る学生の姿でした。
そこで鳴子をいただき、「これが鳴子、これを持って踊るのがよさこいだよ」と。
全く新しいジャンルとの出会いでした。
ただ、私は部活でラグビーを始めたこともあり、この学生チームには大学2年〜3年(1998〜2000年あたり)の部活が夏のオフになる期間を中心にソーラン、瑞浪、ど祭り、高知全国大会をはじめ、東海地域のお祭り等に参加し、大変お世話になりました。
また、にっぽんど真ん中まつりが立ち上がった時期でもあり、今思えばよさこいが全国に広がり始めた時期に私も関わり始めた、と感じています。

②ぴとぅとの出会い

ぴとぅとの出会いは2005年
2002年に就職し、初任地の岡山で偶然が重なり、うらじゃを始めていた私は2005年7月に大阪に転勤になる際、よさこいを続けようと、当時のうらじゃメンバーであり、よさこいにも詳しかった方に、
「高知本祭に出場している大阪のよさこいチーム」を紹介してもらうことにしました。
彼は3つチームを挙げた上で、「お前ならぴとぅだな笑」と、当時の代表に連絡を取ってくれました。
その後、転勤して1ヶ月くらい経った8月頃に‟VHSの振りビデオ”が
「こいやで踊るから覚えて来てね!」
の手紙と共に送られてきました、、、

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(VHS知らないとか言わないで…)


多分こいやは参加したはずですが、不慣れな土地で人も踊りもわからず必死で、詳しい記憶はありません!
このあと、仕事がバタバタし、半年程はチームに顔を出せずにいました。
その後、2006年のWTCに久々に参加しましたが、誰がいるかもよく分からずさまよっていたところ、2000年くらいに京都のよさこいチームで踊っていたぴとぅメンバーが声をかけてくれました。
彼は私と世代が近く、学生チーム同士だったこともあり、昔話など、盛り上がりました。
そしてこの時、
「学生チームでよさこいやっててよかった」と思うと共に、
「あ、ぴとぅでなんとかやっていけそうだ」と感じました。
この時の出会いがなければ、現在私はよさこいをしてなかったかもしれません。
入って日が浅い私に声をかけてくれたこと、感謝しかないです!
私は全国を対象にした転勤の可能性があるのですが、偶然大きな転勤がなかったこともあり、今まで長らくぴとぅにお世話になっています。

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③MCのはなし

私がMC業を知るきっかけは、岡山でした。
当時岡山では、岡山の文化であるうらじゃ踊りや、新しい総踊りであるうらじゃ音頭を広めようというPR隊なるものがあり、私はそこに所属し、中四国のお祭りに参加していました。
チームにはMCをする方が複数名いらっしゃいましたが、たまたま、とある四国のお祭りでどなたもいらっしゃらず、
「誰かやりますか?」
となり、こんな機会もそうないし!と、ノリと勢いでステージでうらじゃ音頭を煽りました。
また、ミニ地方車付きパレード会場もあり、地方に載せていただき、MCの先輩にご指導いただきながら煽りました。
「MCって、面白い!!」
踊り子で煽られたことはあっても、煽る側は初めての経験。全てがめちゃめちゃ新鮮でした。
その後、踊り子が中心でしたが、たまにMCの機会をいただき、高知全国大会でも緊張しましたが、煽る機会をいただいたりもしました。

そしてぴとぅに来て、、
1年目、2006を踊ったとき、ぴとぅのMCは代表がやっていることを知りました。
代表はいろいろ忙しく、それなら代表ではない、MCというポジションが必要なのでは。そんな気持ちと同時に、自分が煽ってみたい気持ちがあったように思います。
そんな6期(2007年)の始まりで、今期やりたいことをメンバーにアンケートが来たとき、MCの話をしていたところ、当時の代表(現代表ですね!)に
「じゃあ、MCやって!」と煽られました。
そう言われると思っていなかったので、びっくりしましたが、新しいモノを作ることにワクワクし、2つ返事でOKし、MC班ができた次第です。

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始まった当時は1人でグイグイ煽ってましたが、私は転勤などがあり、ずっとMC班を仕切っていける保証がありませんでした。
そこで、2年目からはMCの楽しさ、素晴らしさを多くの踊り子に知ってもらい、実際に経験して欲しいと考え、高知スポットを含めて今後のMC班を引っ張っていくメンバーの募集、スカウトを続けてきました。
年々、徐々に高知スポットを含むMCメンバーが増えていきました。
そして今は有り難いことに、専属部隊も出来、私はメインメンバーをサポート、応援しながら、たまに楽しく煽らせていただいてます。
みなさんも、是非一度はMCしてみてください!

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さいごに。

結局、長くなってしまいました。
さいごに。
「目には見えない想いのつながり」をベースに、ぴとぅが持続可能なチームであり続けられるよう、踊りだけでなく、飲みや遊び等、私のできることで引き続き盛り上げていけたらなと思います!

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乱筆失礼しました。ティリッティー!!

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もう一つの表紙画像候補

こんにちは!にゃーこです☆

こんにちはMCのにゃーこです。

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よさこい歴何年目になるのかな?3年目?4年目?
5年目ですね。
好きなものは猫とイラスト書くことと寝ることです。

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よさこいとの出会い

よさこいと初めて出会ったのは、、、、
いつだっけ?
まったく覚えてません。
お母さんが言うには、1歳くらいに、高知の追手筋の北側だそうです。
12年前、2008年の頃、よく覚えてますね。
写真はありませんが、そういうことでーす。
ってどういうことですかー!
2010年は高知へばんぶを見に行ったっぽい。
2011年も高知へばんぶを見に行ったっぽい。。
2012年は高知へ行ってるけど、よさこいは 見に行ってないらしい。。
2013年は高知へ行ってるけど、よさこいは 見に行ってないらしい。。
どれも一つも覚えていないです。

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写真は2011年の高知

ぴとぅとの出会い

ぴとぅとの出会いは、お父さんがぴとぅのBBQに連れて行ってくれたとき、
よさこい体験会があって、体験したあとに、よさこいやる?って聞かれて、やる!って言ったのがぴとぅに入ったきっかけです。
万華鏡作ったことは覚えてるけど、よさこい体験会は覚えてなかった。
MCをやっている理由としては、身体が弱かったからです。
振りはちゃんと覚えましたよ。

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ぴとぅでやってみたこと

むげんさんちのかじぴとぅくん(冊子)2018年
みゆかと一緒に制作して大感謝祭で披露

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芋けんぴ作ったよ。(PITWU STUDIO)2018年

ぴとぅのオリキャラ作りました。2019年

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ぴとぅのオリキャラ描いてました。2020年
https://twitter.com/mugenkajipitwu/status/1245330916735471616

まるまんてんを描きました。2020年
イラスト35枚、非公開です。

ぴとぅは、学校とは違う別の友達(年齢幅広い)に出会えるところだと思っています。
たくさん友達増えた!学校だと同じメンバー。ぴとぅは増えていくから。

頭の中でよさこい=楽しい=新しい(毎年振りが変わるから)ってなってる。
デバ祭の金賞は嬉しかった!
高知の地方車乗るの楽しい!
地方車の上からテンション上がってるみんなを見るのも楽しい!
語彙力なくてすみません。

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誰が顔でかいねん!!!俺か!!!!

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僕で良いのかドキドキしてますが、映えある新年の一人目として長文になりますが、どうぞご覧下さい。

ブログ写真_210105

高知よさこい祭り、それは人生を変えるお祭りでした。

20代後半の頃(そんな時もあった)、僕は日本一周一人旅をしていました。
気が向くままに、夏は東へ冬は西へ、楽しそうな事や色んな人に出会いに行く旅と称し、ある時は温泉、ある時は飲み屋街、またある時は何かしらのイベントへと「何か」を求めて旅をしていました。

そんなとき、偶然TVで見たカツオの塩タタキを見て、これは食べに行こう!と思い立ち、翌日に高知へ出発し、その日の夜に着きましたが、なんとカツオの塩タタキは売り切れ。
「なんでやねん」と心の中で思っていましたが、当時の僕は今よりも小心者だった為、人に声をかけれずひろめ市場でオドオドしていました。
そんな時、市場の奥のトイレ(2014年のぴとぅメンバーには強烈なインパクトが残ってる、あの場所)で優しそうなお兄様に勇気を振り絞って声をかけました。

「お、大阪から今来たのですが、カツオのタタキを食べれるところを知りませんか?」
お兄様
「えっ、大阪?うーん、僕も分からんから彼女がトイレから出てきたら聞いてみますね。」
彼女さん
「えっ、大阪?それは食べてほしい!でも、もう空いてる店あるか分からんから友達にも聞いてみるね。」

ここが噂の「よっ!〇〇!」事件になる現場とは当時は思っても見なかったです。

それから一時間程かけて、一緒に空いてる店を探して下さり、なんとかタタキが提供される店に入店。
しかし、最後の一人前が僕の入店時に他客からご注文…
これは無理だなと思った瞬間、お二人が
「この人、大阪から来られた人やき、なんとかこっちに塩タタキをまわしてもらえませんか?」

!!!

そんな事ある?!
まさかそこまでしてくださるとは…

お二人のお力添えがあり、なんとかカツオの塩タタキを食し、電話番号の交換と来年夏にお祭りがあるからその時にお会いしましょうとお話しし、お別れしました。

これが僕のよさこい祭りとの出会いです。

あっ、まだ祭り見てないです。

続きは次項お楽しみくださいませ。

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見知らぬ電話

そして、10ヶ月後、知らない番号から着信。
「あー、木村くん?そろそろ祭りやから、いつ来るか連絡しよ思って。」

…。

あれだけ親切丁寧に対応して下さったのに、勝手に番号交換を社交辞令と判断し、登録をしていなかった自分を責めたいです。
すいません。

その時は青森県に旅をしていた為、更に仕事を休むのはどうかと一瞬考えましたが、これもご縁だと思い、会社におそるおそる休日延長のお電話。

社長
「おー、いいよー」

早っ!!

という事で青森から高知へ。

1年ぶりにお会いし、感謝の気持ちを伝え、初めての「高知よさこい祭り」を体験しました。

商店街の中のなんとも言えない熱気、超近距離の迫力のある演舞、とびきりの笑顔の踊り子さん。
僕は一瞬でその魅力にとりつかれ、気付けば高知のお二人を置いて、次の会場、また次の会場と走り回っていました。

夜になって、初めてお二人とゆっくりお話しをしながらあのカツオのタタキを食べました。
お兄様
「木村くん、よさこい祭りはどうやったが?」

「やばかったです!」(語彙力なし)
彼女さん
「木村くん、私ら置いて走り回っちょったもんねー。笑」
お兄様
「そうそう、僕達来月結婚式するき、木村くん良かったら来てよ。」

「?!?!?!」
彼女さん
「待っちゅーよ!」

暑いお祭りの中、素敵なお誘いに感動し、翌月、僕は緊張の中、おそるおそる結婚式へ1人で行きました。

誰も分からん…
当たり前か!と1人ぶつぶつ言いながら、新郎新婦を待ち参列していると、お姉さんが

「大阪から来られた人ですよね?」

「あっ、はい。」
お姉さん
「お話し聞いてます!よさこい祭りに出たいんですよね?良かったらうちのチームで踊りませんか?」

「あっ、アリガトウゴザイマス…」
急な出来事と毎週往復八時間程かかる状況に耐えれるかの判断でこんな感じだったと思います。はい。

「でも、必ず踊りたいですので、またお会いしましょう!」
そう言い残し、お二人の祝福を祈り、大阪へ戻りました。

次項「木村くん、夢源風人を検索する」
お楽しみに!

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木村、夢源風人に出会う

大変お待たせしました。
いや、待たせすぎたかもしれません。

大阪への道中、あんな事言ったけど大阪でよさこい祭りに行くチームってあるんかなぁ。
と、不安になりながら帰って検索をしてみると、なんと!
何件かヒットするじゃないですか!!
ふむふむ、歴史あるチーム、新しいチーム、学生さん主体のチーム…
いっぱいあるから分からん!
でも一つ目に出てきたチーム気になるし、名前よくわからんけど、ここ見学行ってみよ。

見学当日
肌寒いけど、本当にやってんのかなぁ。
あっ、だれか来た。
さとし「こんばんはー、夢源風人のさとしです」
こっちで見学出来るんで、どうぞ!

大阪城公園の噴水周りで数人踊ってるではないか!
かなみ「こんばんはー、初めましてかなーみです」
はな「はなでーす」
みんな元気で活力があって、めちゃくちゃ楽しそう!
1番偉い人(当時)「あっ、、、」
 →正解者には拍手を送ります。

一演舞見させていただき、カッコいい、踊りたいと思い
早速入会。

これが僕の夢源風人のスタートでした。
「2011夢のみなもと」
憧れのよさこい祭り

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今からいいこと言います!

人はどんな時に人生が変わるかは分かりません。
時には人に助けてもらい、時には人を助ける側にまわり。
夢源風人は単年度制のチームですが、単年度制だからこそ楽しめる部分や経験がたくさんあります。
一年毎にメンバーが変わり、スタッフも変わる、良い部分を代々受け継ぎ進化する。
この経験が僕の人生を大きく変化させてくれたと思います。

チームのコンセプトは
『目には見えない思いのつながり』
どれだけ離れていても、すぐ側に感じる仲間達がたくさんいる。
僕も自分の夢を追い続け、源になる仲間を信じ、風や自然を大切にし、人とつながり続けます。
こんなご時世ですが、コロナだからこそ出来る事がたくさんあると思います。
みんなのつながりを楽しみに、またお会い出来る日を楽しみにしています。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。

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よさこいと私

ぴとぅ最年長No.2予約班のみっこです♪

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今ではプライベートでも仲良し最年長ゆかりさんからバトンが回ってきたので、今回は私の話にお付き合いください(笑)

高知よさこいを目指して、2018年ココロ咲ク夏で夢源風人に入りました。出身は高知ですが、よさこいは見る側ばかりで、何十年と高知よさこいを見てきましたが、踊り子歴はまだ3年ぐらいです。よさこいは踊りも衣装もどんどん変化していき、自由で個性的なチームが出てきて、大人気のお祭りになったと感じています。そして私が一番衝撃を受けたチームが、忘れもしない須賀ダンススタジオチームの出現でした。「えー!😱今までのよさこいのイメージと違う!ダンスみたいでカッコイイ!!」  さらにその後、セントラルチームの出現で私のよさこいへのイメージが劇的に変わりました。「よさこいってめっちゃカッコイイ〜❤️」よさこいが大好きな自分に変わっていきました。その後、セントラルチームのよさこいを見て感銘をうけた北海道の青年がYOSAKOIソーランを広め、よさこいが全国的に知られるようになり、高知でも更に素敵なチームが増えていき、十人十彩の出現などにつれて、私は更によさこいファンになりました💖💖💖

夢源風人との出会い

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私が夢源風人チームを知ったのは、娘のTAGGYがきっかけです。夏は毎年高知に帰省して、娘を連れて帯屋町筋によさこいを見に行ってたので、娘がすっかりよさこいファンになっていました。そして2013年高知よさこいから帰って来た娘が「私、大阪の夢源風人っていうよさこいチームにはいる事にした」と言ったので、「えー!大阪のよさこいチームに入るのー!?」衝撃でした😱 私は高知よさこいしか見たことがなかったので、大阪のチームに入るという発想がなかったのです。そうか!!大阪のチームに入ってよさこいすればいいんや!なんでそれに気付かんかったんやろ💦それから娘はよさこいをはじめてからすごく変わりました。ものすごく楽しそうで生き生きしていました。娘が夢源風人に入って、大阪や他県でこんなによさこい祭りやイベントがあることを初めて知りました。それから夢源風人の演舞を何度か見てステキなチームだなぁと思ってましたが、若い人が多く、私のような年配の人が入れるのかなあ?と思ってました。でも2017年「ハレ、晴れ」を見て、めっちゃカッコイイー!!やっぱり私も夢源風人で踊ってみたいー✨夢源風人に入って憧れの帯屋町筋をパレードしてみたいと思いました!

いざ!夢源風人✨   

心配していた年齢の壁はなく、それどころか快く歓迎してくれたのでその場で入る事を決めました。ココロ咲く夏で初めて、帯屋町筋をパレード出来た時は最高〜✨✨楽しい〜❣️その後、原宿のスーパーよさこい、大阪のお祭りと参加させて頂き、めっちゃ楽しい〜💖💖💖  

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私の「第二の青春」のはじまりでした。 ぴとぅメンバーは本当にエネルギッシュで、ぴとぅメンバーといるとわたしも年齢のことを忘れ元気になれます。仕事と子育てに追われて過ごしてた何十年、やっと子育てが終わり第二の青春が始まったのも、ぴとぅメンバーのお陰です。色々な面でサポートしてくれるぴとぅメンバーは本当に凄い❗️愛と思いやりで繋がってるぴとぅメンバーの仲間になれて本当に幸せ✨

ぴとぅの事務局さんをはじめインストさん、スタッフさんには感謝しかありません。世代を超えて沢山の仲間に出会えて、本当に私はラッキーです🤞

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娘は私のお陰でよさこいに出会えたことに感謝してくれますが、私は逆に娘のお陰でぴとぅに出会えた事に感謝しています。今年は孫も生まれおばあちゃんになりましたが、まだまだぴとぅの踊り子で頑張りたいです。一日でも長くぴとぅのメンバーでいたいです。 これからもよろしくお願い致します🤲

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みっこでした♪♪

年長記録更新中(^^)v

こんにちは!予約班のゆかりんことゆかりです。

生まれてこのかた大阪在住で高知ともよさこいとも無縁だった私の老いてからの青春の一幕にしばしお付き合いくださ~い。

★よさこい&夢源風人との出会い★

28年勤めた会社を早期退職してから、パートと子ども達の学校でのPTA活動をせっせとやってて、気づいたら56歳💦

このまま、朽ち果てるのは嫌だ‼️と思って、何か夢中になれることやりたい!といろんなことにチャレンジしてた頃のある日、娘から友達のよさこいサークルの話を聞いて、なんでよさこい?っていう好奇心からパソコンによさこい、大阪、社会人チームで検索したら、一番に「夢源風人」が!しかも、“老若男女どなたでも”の文字が〰️😆❤️

即、問い合わせて大阪城公園での練習会を見学に行きました。そこには、あおさかんシンフォニーの曲に乗って笑顔で楽しく踊る皆の姿✨が目に飛び込んできました!

私の心の中で花火が打ちあがりました!これや~! やっと見つけた!私の生きる糧!

でもでもやっぱり一応年齢相応の体力の心配が…当時の代表のきむにいに聞いてみたら「やれるかではなくて、要はやりたいっていう気持ちですよ」ってありがたいお言葉!

気持ちはいっぱいある!ありまくり!とりあえずMCさんに入りたいです!ってことだけ伝えて時間もなかったので退出…次の練習会には振り落としをしてもらっていました。

が、何回教えてもらっても覚えが悪く、覚えてたところまで、翌週には忘れ…

付いていける自信が帰りには乏しくなってたけど、行くとまた楽しさに魅せられて、インストさんやチームの仲間に迷惑かけつつ、ようやく、9月のこいやデビューまでたどり着いたのです。

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↑2016年四日市よさこいで。

初めての高知参加は、翌年のハレ晴れ!家庭の事情でたった一日しか出れなかったけど、超楽し過ぎました!感動の一日でした!

私にとってのよさこいは、踊るのももちろん楽しいけど世代の違う仲間たちとワチャワチャ楽しむことがとっても好きです。

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2018年度のココロ咲く夏の大東よさこいの打ち上げの日、現代表のかなみさんに勢いで「私、60までって言ってたけどやっぱりまだこのチームにいても良いですか?大阪万博まで!」って叫んでいました。

この時、還暦誕生日を半年過ぎてたんですが…

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★私の役割★

私も何かお役に立ちたいな~と思って、地元の吹田まつりのお祭り担当に手をあげたのもこの年。だけど、台風が来ちゃって中止に(;;)

で、昨年から予約班に入れてもらいました。

あまりまだ活躍できてないけど…

最近嬉しいことに、ちょっと年齢の高い方も見学や体験に来られることが増えてきたのですが、年齢のことで躊躇している方に実年齢を明かして、だから大丈夫!ってお話しさせてもらうとホッとした表情になってくれます。

それがとても嬉しい、私にぴったりのお役目でしょ?( ´∀` )

★この道の先はまだ~♪(まるまんてんより)★

私にとって、よさこいと夢源風人に関わる全てが一期一会。

コロナ禍の今年は、オンラインで自主練、飲み会、高知の先生方のレッスンを受けたり、よさこい8のHEI🖤WAを世界の人達と踊ったり、アナログ世代の私が初めてのpaypay登録(笑)

こんな60代を過ごすとは想像つきませんでした😅

こんな一期一会に感謝!ぴとぅの皆に感謝!出会った方々に、そして毎度文句も言わず出してくれる家族に感謝です。

いつまで踊れるのか、この愛するチームにいれるのか、わかりません。

私の望みは、足腰が立てなくなるまで、やれるとこまで、“今”を楽しみたいです。

あれ?大阪万博までって、かなみさんに言ったのに…(笑)

この道はまだまだこれから!

とりあえず、早くコロナが収束してお披露目で、お祭りで、皆と「まるまんてん」を踊りたい!

お祭り会場で見かけたら声かけてくださいね。

マスクしないでお喋りできる世界に戻ってますように・・

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ゆかりでした。

夢源風人とは『大切な家族や仲間との想いを繋げてくれる場所✨』

予約班をしています、TAGGYと書いてたぎーと言いますっ!前の職場の先輩に名付けてもらってからそう呼ばれることが多く、ぴとぅ内でもみんなからそう呼んでもらってます!

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ブログを書くのはとっても苦手なんですが、せっかくの機会をいただいたので少しでも私のことを知ってもらえたら幸いですっ♪

私がよさこいを知ったきっかけ★

私がよさこいを知ったきっかけは母です!

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母が高知出身なので、赤ちゃんのころから毎年よさこい祭りをしている時期は母の実家に帰省していました🚗

なので、いつよさこいを認識したかは分かりませんが毎年おばあちゃん家に行くと夏のお祭りはよさこい!って思っていて、大人になってからもその感覚は変わってません!(笑)

でも、いつも見る側で実際に踊ろうって気持ちになったのは20代でした😅

20代になって毎年見ているうちに自分も踊りたいなーって気持ちが出てきて、2013年の夏におばあちゃん家から帰省後にインターネットで『よさこい 大阪』って調べると『夢源風人』が出てきて行動派の私はすぐに見学を申し込みそのままチームに入りました!

デビューは2013年のゑぇじゃないか祭りで『ひとつなぎ』を踊りました♪そして、次の年に念願の高知デビュー✨

今まで見る側だったけど、景色が全然違ったこと今でもすごく覚えててなんしか楽しすぎました!なぜ、もっと早く始めなかったんだろうかと思ったくらいです(笑)

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プライベートでも、ぴとぅメンバーとはいろんな思い出をいっぱいつくりました😆

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これは、みんなで富山に行った時っ!

他にも、BBQ🍖

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あとは、鍋パしたり、甲子園見に行ったり、お花見したり、飲みに行ったりもいっぱいして、いつも楽しい時間を過ごすことができましたっ!

チームに入ってから本当にたくさんの仲間とのご縁をいただき私は幸せ者すぎます✨もし、よさこいをしていなければこんなにたくさんのご縁には出会えていないと思います!

そんな私も私情で一度チームを離れることになり、しばらくは踊っていませんでした。

でも、また私が踊るきっかけをくれたのは母でした♪

母が2018年からぴとぅに入って、踊るところを見るためにお祭りに行くと私を覚えてくれていたメンバーからまた踊ろうといっぱい声を掛けてもらい再開することにしましたっ!!!

2019年の『郷』でぴとぅに復帰🎉

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この年の高知で母が生まれ育った旭会場で一緒に郷という演舞を踊れたのには、ちょっと感動しましたし、心から嬉しかったです!本当に親子で踊れてよかったです!

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母には本当に感謝してもしきれないくらい感謝の気持ちでいっぱいです✨✨✨普段、素直になかなか本人に言えないのでこういう機会をいただけてぴとぅの事務局さんはじめ運営に携わっているすべての方々にも感謝しかありません!

今、コロナ禍でたいへんな思いをしている方がいっぱいいると思います。私も仕事が大変だったり、ぴとぅメンバーとなかなか会えない日々だったり、練習もできなくて毎日とても悔しい気持ちです。

でも、『明けない夜はない』と思い毎日自分がやれることを頑張っていきたいと思っています!1日も早く平和な世の中になるといいですね♪

ここまで、私のつたない文章のブログを読んでいただいて本当にありがとうございますっ!!!!!

また、お祭りなどで会える機会がありましたらお声掛けくださいねー!よさこいを通して、もっともっと素敵なご縁を繋げていきたいですっ♪

『目には見えない思いのつながり』

本当にチームコンセプト通りの素敵なチームだと思いますっ!ぴとぅと出逢えて、仲間になれて本当に本当によかったです💕

今後も、よろしくお願いいたしますっ!

TAGGYでしたーっ♪

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僕のよさぴとぅSTORY

こんにちは!こんばんは!初めまして!お久しぶりです!!
夢源風人2年目、予約班のすーがくです☆☆
大阪で生まれ大阪で育ち
この人生も来年で30周年を迎えようとしています♪
そんなわたくしが、今回のブログを担当させていただきます(^O^)/

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いつの間にかよさこいというものにハマって約10年ほど経ち、それなりに踊り子をやってきておりますが、こういう機会を頂きましたので懐かしさも感じながらこれまでのよさこいストーリーを遡ってみたいと思います。

長かったらごめんなさい!
最後まで是非お付き合いください!!
飽きないでください!!!

〇よさこいとの出会い〇

まず、僕が踊りそのものを始めたのは大学のサークルでした。
『龍谷大学 華舞龍』
知ってますか?知ってますよね??(笑)
知らない方は、YouTubeで検索♫検索♫

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↑2011年の大学三回生の頃

大学の入学オリエンテーションで踊りを披露しているサークルを見て『かっこいい!!』って印象があって、そしたらサークル勧誘でそでふれ×よさこいをしているサークルに捕まり(後に、自分が観たチームは華舞龍ではなく同じ大学で別キャンパスの『京炎そでふれ!輪舞曲』と判明)、そのまま活動することになったんですねぇ。

これが2009年……

そして、本格的によさこいに触れるのは
この翌年の2010年の夏になるんです。

大学一回生。
初めて参加したこいや祭りの京橋会場。
ここで観たチームさんに何とも言えない衝撃が。
振りもかっこいい、衣装も曲もかっこいい、迫力あって揃っていて、個性がやばくて(笑)

このチームさんが気になりだして、いろいろ情報収集するうちに高知のよさこいをちゃんと知り、そこで演舞している動画を見てこのチームに参加したいって気持ちが芽生えた頃には、2009年も終わりを迎えようとしていました。

そこから、東京に時折通い2010年度の演舞曲を覚え、練習に参加させていただき2010年の8月、早稲田大学‘’踊り侍‘’で念願の高知よさこいデビューをしました!!

生まれて初めての感覚が次々と頭の先から足の指先まで駆け巡り、高知で踊ることの楽しさや、お祭りの温もり、何より人と人との繋がりを感じまくってすっかり高知よさこいの虜に。

上町会場の待機中に八百屋のおばちゃんがくれたスイカの味は、
今でも忘れられません。
人の心って温かいなぁと実感、同時に高知を好きになった瞬間でした。

気が付けば、本祭と全国大会の3日間が終わっていて、すごい達成感とちょっぴり寂しい気持ちで、初の高知よさこいの幕が閉じました。

〇よさこいフラフラ期〇

サークルを引退して、その後はよさこいを踊っては1年~2年踊りを休止、また踊ってを繰り返していました。その期間は友達と少人数のチームを立ち上げたり(夢源風人にゆかりのある方)、別の趣味を経験してみたり、またよさこいチームに所属したり……

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気がつけば、去年の夏まで二度目の高知よさこいを体験せずに過ごしてきました。
観に行ったりはあったんですけどね(^-^;

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いい加減またあの場所で踊りたい!!!!!
と、思い始めておりまして……

〇想い今ここに、繋げて〇

ここで登場ですね!

夢源風人!!!!

練習見学にお邪魔したのは去年の夏前やったんですが、
このチーム自体はずいぶん前から知っていました(*‘∀‘)

それこそ学生の頃から!

多分大体の人と同じ入り口だと思うけど、
『このチームの呼び方なんやろう?』
から印象にあって、そしたら当時の知り合いが加入していたり
所属してたって人と後々出会ったり……

そういうものの繋がりを感じて、このチームの練習見学に行くことに決めました。(大阪で千賀先生の振り付けを踊れる!!もだいぶ大きいですけど)

そしてこの見学から所属するまでは少し間が空くんですが、
12月の体験会……。

‘’郷‘’の振りの一部を教えてもらい、改めてなんだかすごいなって感じで(語彙力!)もう頭の中は即決でしたね、このチームで高知よさこいに行くというのは(*’▽’)

チームに入って、今でも覚えています。
振りを一通り教えてもらった後の振りチェック。
インストのはなさんの横で踊って、めっちゃガチガチやったー(笑)
もうなんか、よくわかってなかったけどすごい人の横で踊ってるなぁって感覚で、細かい記憶は落としてきました(;’∀’)
その後、本所属していたチームの活動もあったのでちゃんと練習に参加しだしたのは5月くらい。

そこから、能登でぴとぅデビューをし、合宿に参加し、吹田祭りを経て、
人生二度目の高知よさこい!!!

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やっぱり良かった!
幸せやった!
いつ来ても温かい人達の空気が、高知の街を包んで夢心地でした(#^^#)

何より、このチームで高知に行ったというのが大きかったですね。

まだまだ入りたてで祭り参加も周りに比べて少なかった僕ですが、普段の練習からいろんな人に良くしていただいて、踊りへの向き合い方も自分らしくできるし、いつ行っても居心地が悪くなく自分らしくいれました。

いろんな個性を受け入れてくれる場所。
やりたいことを後押ししてくれる場所。
笑顔が繋ぐ景色が素敵な場所
そして、幸せを与えてくれる場所。

それが、夢源風人だと僕は思っています。

この記事を書いているタイミングで決まってしまった
【まるまんてん、お披露目延期】

いろんな方々の想いがあちこちで溢れていますが、きっとその先の気持ちは一つだと思っています。

お披露目のその瞬間を少しでも早くいろんな方と分かち合える日が来るのを信じて、どんなこともきっと輝かしい未来に繋がると信じて、まるまんてんな日々を過ごしていこうと思います!!

今こそ、想い、繋げましょう!!!

以上、すーがくでした(*’▽’)

~おしまい~

出会いとCM出演と謎めいた人!?けりぃ

■プロローグ

ワガハイハシメキリガナイトヤラナイイキモノデアル。

書けた人から連絡してねという優しい言葉をいいことに
締切がいつなのかをあえて聞かずにブログを書くことを
放置しつづけたワタシ。

それを見透かされたのか締切が設定されてしまった。

夏休みの宿題は早く済ませる年もあれば、
ギリギリになってからじゃないとやらない年もある、
気まぐれな性格。

そして、ブログはwordpressかCMSに投入するのだと勝手に思ってたけど、
さっきログインしてwordpressでもCMSでも無い事に気づいて、
あ、これ私の写真量だとフォトショ要るやつだ!納期が・・・
と焦っている。
午前5時。

ワタシは、けりぃ。

年齢も本名も非公表だからなのか、
謎めいてるとよく言われる。
本名をググれば、職業柄Wikipediaに名前が乗ってたり、
他にも色々な理由で非公表なのである。

職業は非公表ではないけど聞かれない限り、
自分からは言うことは基本無い。

でも、今日は思いきって自分の話を少しだけ。

■けりぃについて

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現在の職業はクリエイター。
具体的には、主にデザイナー、コーディング、ライター、フォトグラファー、ナレーター、イベント運営、企画、ディレクターなどのお仕事をさせて頂いている。

びとぅでは予約班に所属。


■ぴとぅとの出会い

ぴとぅとの出会いは、2015年。

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それまで、バドミントンサークル、ジム、ヨガ、運動会サークルなど
運動系もあれば運動系じゃないサークルを立ち上げたり、
運営に関与せず所属だけとかゆるくやってきた人生だったけど、
急に、日本的な激し目の踊りで、職場から近くに稽古場があって、
週2~3くらいの頻度で練習をたくさんする団体に
所属したいと思うようになった。

そこで初めてよさこいの存在を知って、
よさこいの団体もたくさんあることを知って、
職場から近くで週2~3練習しててメンバー募集中の
「夢源風人」に出会った。

よさこいのシーズンは終わっていたので、
ぴとぅの演舞を見るチャンスは無かったけど、
まず は練習を見学してみませんかということだったので、
2016年1月初めて練習会に参加しその日にメンバーになった。

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電化製品とか、家の引越しとか、ジムを決める時は、
Excelで比較表を作って他と比べたりするのに、
「夢源風人」はなぜか他と比べる気には全くならなくて、
他のチームと迷うことは一切なかった。

初めのうちは、練習会に通っていた。

初めての合宿にも行った。

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デビューもさせてもらった。

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でも、踊りのセンスも姿勢も悪くて鳴子も思うようにならなくて、
一生懸命教えてくれるインストさんにも申し訳なくて、
隊列練の段階になってくると自分ができないと、
周りにも迷惑がかかるモノなのだと知って、
何度もくじけそうになった。

そして、仕事の帰りも遅くなったりで、練習会に行けない日が
増えてきたこともあって、辞めようかなと思っていたある日、
「Xperia」のWebCM出演のオファーが来た。


■「Xperia」のWebCM出演とぴとぅ

エキストラとか映り込みとかじゃなくて、
自分の名前がテロップに出るテレビの出演ならさせてもらったことあるけど、WebCM出演は名古屋で1回だけしか経験が無い。

当時「Xperia」は、職業や趣味などでXperiaを活用している人に
フォーカスを当て密着取材とインタビューをして、
XperiaCMを制作し、シリーズ化していた。

はじめオファーが来た時は、
職業のほうを密着したいということだったけど、
夢源風人でよさこいに題材を変更してほしいと
お願いして変更して頂いた。

ぴとぅの当時の代表は、私の職業と勤務先を知っていたし、
以前から「けりぃ、テレビで夢源風人紹介してやぁ~」と、
冗談なのか本気なのかわからないけど、言われていて、
チームを辞めるなら、なにか恩返しをしてからにしたいと
思っていたから。

そして、ロケ地は「こいや祭り(2016)」に決まり、
CMのロケが行われた。

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このとき、代表や事務局の方々はもちろん、
チームメンバーにも、ご協力頂き、
メンバーにCMにも出演してもらって、
ようやく気づいた。

人見知りで話したことないメンバーも多かったけど、
ほんとにぴとぅメンバーが、あったかくて、
思いやりがあって、素敵な方々の集まりだということを。

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こんな素敵なチーム、まだ辞めたくない
夢源風人の一員でいたいという気持ちが芽生え、
練習に行けるときは例え最後の20分くらいしか参加できなくても、
練習に行き、よさこいのよの字も踊れてるかどうかはわからないけど、
入った当初よりかは少しずつだけど自分なりに進歩し、
辞めずに継続することになった。

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■その後

翌年2017年度、ハレ、晴れ
2018年度、ココロ咲ク夏
2019年度、郷-Sato-
2020-2021年度、まるまんてん
と今に至る。

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あの時、本当に辞めなくてよかった。


ぴとぅに居るおかげで、他ではできないような夢のような体験も
いっぱいさせてもらってるし、
お祭りで、ぴとぅを応援してくれる方々を見つける楽しみも増えたし、
いっぱい練習会をしてくれるから日々運動もできて
練習会も演舞イベントもお祭りもいっぱいあるから、
私生活も充実してプライベートのスケジュール調整能力もついて、
気さくなメンバーがたくさん居るからコミュ力の無い私でも、
自主練の呼びかけまでできるようになって、
プライベートで大好きなUSJも一緒に行ってくれるメンバーもいて、
本当にぴとぅのおかげで人生がより良いものになった。


何より、代表をはじめ、ぴとぅには、
愛と思いやりにあふれている素敵なチームで、その一員であることを
誇りに思う。
大スキ!

職業柄色んなところでロケしたりイベントしたりしてる関係で、
このコロナ渦のご時世、万が一のことがあったらぴとぅに迷惑かける可能性があったり、
練習会やイベントと仕事がかぶったりで、
コロナ渦以降、ぴとぅの練習会に行けてないけど、
練習会やイベントやお祭りで、
メンバーやお客様にまた会える日が来る日までsee you again!

このWebサイトはぴとぅ広報班が管理しています。
ぴとぅ史上最高のYESマン

こんにちは、タクトです。

気が付けば2015年からぴとぅでMCやってます。
なにやらブログを書くことになったのでなぜMCになったか書きます。

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1st YES(pact)

遡ること2014年。
当時ぴとぅでよさこいをやってた友達から「高知のスタッフしてみない?」とお誘いを頂き吹田祭りにぴとぅのスタッフで行ったのが全ての始まり。

当時は暇してました。
そんでよさこいってほぼ知らなかった。

なんかやることも無いし、とにかく誘われたら「YES」って言うようにしてました。どんな事するかなんで全くわからないまま受けました。

んで吹田祭り、人見知りおじさんなので緊張しました。
(当時、人との交流など主に会社くらいだったので、今となってはよく行ったなって思います。)
なんとか吹田祭りのスタッフ(ほぼ何もしてない)をやりました。

次はもう高知でした。

そんなにぴとぅの人達とも交流ができてないままに、
スタッフとしての手続きをし、知らない人がいっぱいのバスに乗り高知へ向かいました。
行きのバスは周りの人殆ど知らないので終始無言だったような。。。少し喋ったような。。。
隣の子金髪で怖くて話とか出来なかったおもひで。

暑いし、知らない人一杯だし、よさこいとかほぼ知らないし、肝心の友達も事務局等で忙しくてなかなか会えなかったり。
撮影とかした事のないけどビデオカメラ持って走って追手筋の撮影したり、
地方車に千賀先生(当時は誰か全く知らなかった)が乗ってくるタイミングで何故か同乗してビデオ撮影したり、
全国大会のひろめ打ち上げで泥酔したあきべ○さんを救助したり、
色々ありました。
人見知りには色々刺激的な高知よさこいでした。

うん、結果楽しかった。

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スタッフ中の写真、何このポーズ

2nd YES(pact)

そして高知の後もスタッフでこいやは行った、ほぼ行っただけに近い状況でした。

それから少し時は流れ11月頃だったかな?
再び友達からお誘いが来ました。
「バサカニで歌ってみない?」
確かそんな感じ。

答えは「YES」

なんでも「YES」期間だったので割と即答だったような。
演目は「アナ雪」
それから1週間に4、5日連続でカラオケに行って同じ曲だけを歌い続ける。デュエットって難しいよね。
やる事なかったのでずっと会社の行き帰りとかその曲聴いて勉強、、、
時間があるって素晴らしいことです。

そして本番当日、岐阜の瑞浪は3℃でした。
知らない土地で、知らない人たちの前で歌う。
割とグズグズだった。
緊張と寒さで少し失敗したりとか色々悲しい感じだった。
未熟だった、というか圧倒的に力不足、、
リベンジを誓いましたが、それからそういう機会もなかったな。
バサカニ寒かった、けど楽しかった。

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3rd YES(pact)

そのバサカニの帰りに、ぴとぅのMC班の人からMCやってみない?って言われた。
その時は有耶無耶になって答えてなかったけど、
今考えればそこがスタート地点。

それから年が明けて2015年1月
MC班の方から突然「MC本当にやってみない?」というLINEが来ました。

そこでも答えは「YES」

そしてぴとぅでのMCとしての活動がスタートしました。

2ヶ月後位にはデビューしてました。

今考えると恐ろしい話ですが、よさこい未経験者が2ヶ月くらいでMCデビューしてました。
今はチームの人数が多くなったので考えられない事です。

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さくよさの時の写真、始めたばかりにしてはそれっぽい!


万華鏡から始まり、「あふさかんシンフォニー」「ハレ、晴れ」「ココロ咲く夏」「郷-Sato-」(実は「夏色に心踊りて夢ひらく」も一回だけやりました。)
たまに気まぐれで踊ったり、踊らされたり、ラジバンダリ。

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初年度は何度かフリー素材とし告知画像にもなりました。
これ以外にも何度かあったような

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YESは自分を幸せにする

パイナップルの告知もしました。
この時演舞中にパイナップル食ったね。
こいやのやぐら会場の事は毎年1月から考えてます。
毎年あれが本祭なんじゃないかってくらいに。

色々ありましたが、とりあえずの「YES」から始まったよさこい人生。
他のみんなみたいに凄いよさこい熱がある訳でもなく、ただ自分が思うようにやってきたよさこいです。
まだまだ未熟者です。
ですが「何か楽しい」
そんな魅力のあるよさこい。

みんなも誘われたらとりあえず「YES」って言ってみるといい。

案外幸せだから