ブログ* スタッフ日記

12年くらい前の話

わたるんです。

では、簡単に自己紹介を、、、
・2008年10月にぴとぅのメンバーになる(8期がスタートした頃)

・12期までは踊り子として祭にも参加していた

・ぴとぅの公式サイトに関わっている

きっかけ

2008年4月、当時の職場でぴとぅのメンバーの人に出会いました。
それがきっかけとなり、今に至ります。

昼休みの食事中にほぼ毎日、よさこいの話をしてくる人がいました。ぴとうのメンバー(8期の副代表)の人でした。

半年くらいそんな日々が続いて、練習会の見学をさせてもらうことになり、
2008年10月のとある水曜日に大阪城公園に行きました。

見学するだけのつもりだったのですが、
鳴子を貸してもらって、振りを教えてもらうことに。

自分にできるのか心配であったものの、
その日のうちにメンバー登録しました。

高知よさこい祭りに向けて

その後の練習会はほぼ毎回参加して、
あと、イメージ・トレーニングをしたり。
メンバーになる前とは全然違う生活になりました。

練習の甲斐あって、高知のよさこい祭りにもなんとかいけました。

はりまや橋にて

広報の一員として

2年目からはぴとぅの公式サイトの管理にも関わります。
※当時は広報じゃなくてHP班という名称でした。

当時はほぼ何も知らない状態だったのでギャップを埋めるべく、入門書を数冊読み漁って、HTML, CSSを2ヶ月ほど、その後はPHPという言語を勉強。その後CMSというものを導入することになって、データベース(DB)の勉強。あとはGoogle Apps Scriptとか。その都度色々と吸収していきました。

最後に

これからもなんらかの形で関わっていくつもりです。

いつも誰かが繋いでくれた、よさこい

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初めまして。りこです(*´꒳`*)
よさこい 歴16年目、ぴとぅ歴6年目、気づけば人生の半分以上よさこいをやってました。笑
よさこいとの出会い、ぴとぅとの出会いお話しできたらなと思います。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。(*´-`)

今思えば、自分の人生、よさこい人生、ずっと誰かからの繋がりで、繋がってきた人生だと思います。

★小学校の先生が繋げてくれたよさこい

小学校5年生の時に引っ越してきた大阪の学校で、よさこいを知ることになりました。
私は、夏休みに関東から引っ越してきたのですが、秋にある運動会で踊るよさこいの練習中でした。
よさこいというものを初めて知った瞬間です。
運動会では、毎年10月に開催される「大阪メチャハピー祭」の総踊り曲を踊る予定でした。
当時の私は、総踊りの中で声を出す「儲かりまっか」や「ぼちぼちでんな」などに少し抵抗があって、よさこいをそんなに好きにはなりませんでした。(思春期ですかね?笑)
次の年、これまた運動会で、「南中ソーラン」を踊りました。
これが運命を変えたと思います。
前年の時とは違い、すっかり大阪の学校にも慣れ、最終学年ということもあり、ものすごく気合いを入れて踊りました。友達とたくさん練習したことも覚えています。
運動会も無事終わり、すっかり南中ソーランの虜になった私たちに先生は、

「みんなでよさこい祭りに出てみないか?」

と誘われたのです。
私たちには、「出たい!!!」しかありませんでした。
その年の10月、学年の有志で(学年のほとんどの子がいた)「大阪メチャハピー祭」に出場しました。
(今思えば、保護者への説明や引率など、先生の苦労は計り知れなかったと思います。)
そこで、よさこいというものを知りました。
笑顔で、活気があって、みんなキラキラしていました。
いろんな踊りがあって、みんな違って、みんないい!!
私たちもよさこいをしたい!!!いつの間にかそんな気持ちになっていました。

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当時の写真見つかりました。ネット恐るべし。。

★親たちが繋げてくれたよさこい

出場した大阪メチャハピー祭りで見たあるチームの影響で、よさこいチームを立ち上げることになりました。
それは、「風神」です。
自分たちの演舞が終わってから、何チームか見て、このチームが目に留まりました。でも、遠方だったので、現実的にチームに入ることは難しかったのです。
そこで!なんとかよさこいを出来ないか?と立ち上がってくれたのが、私たちの親たちでした。

地元でチームを立ち上げよう!!

右も左もわからないまま、とにかくよさこいをしたい私たちを踊る場所を作ってくれた、親たちには感謝しかありません。
自分たちでチーム名を考えて、衣装や練習場所の確保、全て一からでした。
でも、全て親たちや先生たちの手助けがあって、なんとか立ち上げることが出来、そのチームは今でも存続しています。結成2年目の年の大阪メチャハピー祭りの大賞にあたる「メチャハピー賞」も受賞することが出来、一生忘れることのない思い出の一つです。

これが私とよさこいの出会いでした。

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おそらく、結成後一番初めに出たお祭り。下が鉄板のように焼けていて、裸足だったので、めちゃくちゃ火傷した覚えしかない、、、。笑笑

★かなみさんが繋げてくれた夢源風人

時は流れて、私は、新社会人1年目になりました!(飛びすぎやろ!笑)
もちろん、ずっとよさこいは続けていました。全ていろんなご縁があって、何個かのチームにお世話になっていました。そんな時です。
私は、GWに開催されるお祭りに笑輝というチームで参加していました。
その時、たまたま一緒に参加していたかなみさんに出会い、お互いゲストで参加していて、いろんなお話の中に夢源風人の話がありました。

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もうよさこい人生も長かったので、もちろんチームは知っていたし、一度見学に行ったこともありました。笑
当時は、あふさかんシンフォニーの年でした!動画を見て、まず踊りたい!と思いました!
その時にお話をし、見学に行くことになりました(^^)
見学後は、すぐチームに入る決断をし、秒で振りを覚え、すぐにデビュー!笑笑

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デビューは、これの前。デビュー時の写真なかった。笑

そんなこんながあり、今があります。

★最後に。。。

私がよさこいを始めるきっかけになったことは、ものすごくレアケースだと思います。(聞いたことない。笑)
でも、よさこいの魅力に触れて、それが輝いて見えて、そこに飛び込みたい!と思った気持ちは、皆同じではないかと思います。
どんなきっかけでもいいです。
よさこいをしている友人がいたら、
見に行ってみて下さい。
よさこいをたまたま近くでイベントしていたら、
足を運んでみて下さい。
きっと、その魅力に引き込まれると思います。
引き込ませますっ!!

そして、よさこいをやってみたら、いろんな繋がりに出会えると思います。
よさこいをやっている人は、いろんな趣味や仕事、よさこい以外に何かしている人がものすごく多いと思います。

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コスプレだって、しちゃいます!笑

私は、縁があって、夢源風人までたどり着くことが出来ました。
ブログ見てくれているあなたにも、たくさんの縁が届きますように。。。


読んでくれてありがとうございました!!!

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僕とよさこいと高知

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はじめまして、こんにちは、お久しぶりです。
秦演舞場のある東秦泉寺生まれ(育ちは県外です)のぞえでございます。
今回人生で初めてブログを書きました。長くなるかもしれませんが最後まで読んでいただければ幸いです。

≪よさこいとの出会い≫

このブログを書くにあたって改めて母親に僕とよさこいの出会いを聞いてみました。すると冗談半分に「産まれる前からやないが(笑)」と返ってきました。嘘だろって思いました。詳しく聞いてみると僕の生まれる3ヶ月前の第46回よさこい祭りの本祭を母親が実家のテレビで観ていたそうです。その時にお腹の中で僕が動いたように感じたということでした。自分のことながら本当かよと思いました。追加で現実的な出会いを聞くと翌年の第47回よさこい祭り本祭を見に行ったことらしいです。地方車からの音にあまりびっくりしなかったことが印象に残っているそうです。
僕の記憶では5歳の頃にバスに乗って夜の愛宕競演場を観に行ったのが最も古い記憶です。バスから観た地方車のライトがとてもかっこよかったのがとても印象的でした。

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2020年8月11日の愛宕商店街

≪よさこいにハマったきっかけ≫

幼少期からよさこいと出会っている僕がよさこいにハマった理由をあえて家族に聞きました。すると「地方車」という答えがほぼ全員から帰って来ました。母親からは初めて追手筋本部競演場に観に行った時に会場より地方車の待機場所の方が目を輝かせていたのがとても印象に残ったそうです。
僕も自分の中で改めてハマったきっかけを考えてみました。男性の方は共感される方が多いと思うのですが小さい頃電車や車など乗り物に興味深々だったことはないでしょうか。僕もその一人でした。ただその興味の先が「地方車」でした。一年で二日間(本祭)だけで見える貴重な乗り物という認識でした。また昔は今以上に地方車がトラックでは無い感が強かったので少年心をしっかり掴まれました。それから今に至るまでよさこいの一番好きな要素になっています。

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2017年 夢源風人 地方車

≪観客から踊り子へ≫

僕は毎年よさこい祭りを見に行っていたのですが踊り子として参加したのは高校一年生の時でした。生まれは高知県でしたがその後はずっと県外に住んでいました。なので踊り子になるという選択肢は頭にありませんでした。そんな中で高校生の時に友達から地元のよさこい連に誘われました。その地元チームは高知にもちゃんと参加していたのでその誘いに乗りました。そしてその夏高知デビューをしました。その年は楽しかった記憶より暑かった記憶が強いです。その翌年二度目の夏で夜の追手筋本部競演場を踊ることが出来ました。その時はきれいな景色に涙が出ました。そして花メダルをもらうことが出来ました。その翌年には自分から申し込んで他チームさんで踊らさして頂きました。

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2016年の貰った花メダル

≪夢源風人に加入≫

大学入学のタイミングで関西に来ました。その際に高知で踊れるちゃんとしたチーム探しをしました。その中で『夢源風人』に出会いました。失礼ながらこの時まで全く知らないチームでした。ただ調べていく中でとても面白いチームに感じました。またちゃんと高知のことを大切に考えているチームでした。そして見学会に行ってみると楽しそうに踊る踊り子さんを目の前で見ることができました。その場で加入を決めました。

≪地方車の上へ≫

ぴとぅは班制度をしています。僕が所属しているMC班もその一つです。地方車大好きな僕にとって煽り・MCというポジションは長年の憧れの場所でした。そこに挑戦ができるチャンスがあるということでぴとぅに入って一年も経たないタイミングでMC班に入りました。
そして2019年第66回よさこい祭りで地方車に乗るという長年の夢を叶えることが出来ました。あの場所から見た景色は忘れがたいものがありました。

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2019年上町競演場で地方車に乗った時の写真

≪僕とよさこい≫

2020年はよさこい祭りは史上初めて中止となりました。ただ夏に高知に行かないには逆に気持ち悪かったので万全に対策をして静かな各会場巡りをしました。高知の町中を歩いて一切地方車に会えなかったのは分かってはいましたがとても寂しかったです。僕の人生においてとても重要で大きなピースになっている『よさこい』はこれから先もそして来世でも大切にしたいなと思います。

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2020年8月11日の菜園場商店街

最後にここまで読んでくださりありがとうございます。
もし次回があるなら今度は地方車だけにスポットをあてて書きたいなと感じました。今年は夏に高知で地方車に出会えることを願って終わりたいと思います。
ありがとうございました。

                            MC班 ぞえ

ぴとぅ史上最高のYESマン

こんにちは、タクトです。

気が付けば2015年からぴとぅでMCやってます。
なにやらブログを書くことになったのでなぜMCになったか書きます。

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1st YES(pact)

遡ること2014年。
当時ぴとぅでよさこいをやってた友達から「高知のスタッフしてみない?」とお誘いを頂き吹田祭りにぴとぅのスタッフで行ったのが全ての始まり。

当時は暇してました。
そんでよさこいってほぼ知らなかった。

なんかやることも無いし、とにかく誘われたら「YES」って言うようにしてました。どんな事するかなんで全くわからないまま受けました。

んで吹田祭り、人見知りおじさんなので緊張しました。
(当時、人との交流など主に会社くらいだったので、今となってはよく行ったなって思います。)
なんとか吹田祭りのスタッフ(ほぼ何もしてない)をやりました。

次はもう高知でした。

そんなにぴとぅの人達とも交流ができてないままに、
スタッフとしての手続きをし、知らない人がいっぱいのバスに乗り高知へ向かいました。
行きのバスは周りの人殆ど知らないので終始無言だったような。。。少し喋ったような。。。
隣の子金髪で怖くて話とか出来なかったおもひで。

暑いし、知らない人一杯だし、よさこいとかほぼ知らないし、肝心の友達も事務局等で忙しくてなかなか会えなかったり。
撮影とかした事のないけどビデオカメラ持って走って追手筋の撮影したり、
地方車に千賀先生(当時は誰か全く知らなかった)が乗ってくるタイミングで何故か同乗してビデオ撮影したり、
全国大会のひろめ打ち上げで泥酔したあきべ○さんを救助したり、
色々ありました。
人見知りには色々刺激的な高知よさこいでした。

うん、結果楽しかった。

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スタッフ中の写真、何このポーズ

2nd YES(pact)

そして高知の後もスタッフでこいやは行った、ほぼ行っただけに近い状況でした。

それから少し時は流れ11月頃だったかな?
再び友達からお誘いが来ました。
「バサカニで歌ってみない?」
確かそんな感じ。

答えは「YES」

なんでも「YES」期間だったので割と即答だったような。
演目は「アナ雪」
それから1週間に4、5日連続でカラオケに行って同じ曲だけを歌い続ける。デュエットって難しいよね。
やる事なかったのでずっと会社の行き帰りとかその曲聴いて勉強、、、
時間があるって素晴らしいことです。

そして本番当日、岐阜の瑞浪は3℃でした。
知らない土地で、知らない人たちの前で歌う。
割とグズグズだった。
緊張と寒さで少し失敗したりとか色々悲しい感じだった。
未熟だった、というか圧倒的に力不足、、
リベンジを誓いましたが、それからそういう機会もなかったな。
バサカニ寒かった、けど楽しかった。

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3rd YES(pact)

そのバサカニの帰りに、ぴとぅのMC班の人からMCやってみない?って言われた。
その時は有耶無耶になって答えてなかったけど、
今考えればそこがスタート地点。

それから年が明けて2015年1月
MC班の方から突然「MC本当にやってみない?」というLINEが来ました。

そこでも答えは「YES」

そしてぴとぅでのMCとしての活動がスタートしました。

2ヶ月後位にはデビューしてました。

今考えると恐ろしい話ですが、よさこい未経験者が2ヶ月くらいでMCデビューしてました。
今はチームの人数が多くなったので考えられない事です。

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さくよさの時の写真、始めたばかりにしてはそれっぽい!


万華鏡から始まり、「あふさかんシンフォニー」「ハレ、晴れ」「ココロ咲く夏」「郷-Sato-」(実は「夏色に心踊りて夢ひらく」も一回だけやりました。)
たまに気まぐれで踊ったり、踊らされたり、ラジバンダリ。

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初年度は何度かフリー素材とし告知画像にもなりました。
これ以外にも何度かあったような

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YESは自分を幸せにする

パイナップルの告知もしました。
この時演舞中にパイナップル食ったね。
こいやのやぐら会場の事は毎年1月から考えてます。
毎年あれが本祭なんじゃないかってくらいに。

色々ありましたが、とりあえずの「YES」から始まったよさこい人生。
他のみんなみたいに凄いよさこい熱がある訳でもなく、ただ自分が思うようにやってきたよさこいです。
まだまだ未熟者です。
ですが「何か楽しい」
そんな魅力のあるよさこい。

みんなも誘われたらとりあえず「YES」って言ってみるといい。

案外幸せだから

こいや祭りと出会って…

お久しぶりです!はじめまして!
MC班のポッターです。
いつも楽しみに見ていたブログリレーがついにMC班に回ってきたということで今回書かせていただきます。
喋る方は得意ですが、文章を考えるのが苦手でかなりな長文になってしまいました…
お時間ある時に良かったら読んでみて下さい。

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小さい頃からとにかく喋ることが大好きで、小中学生の頃は学級代表や生徒会役員になり学年行事や式典などで人前で喋ることも多く、将来はアナウンサーや高校受験の時に勉強のお供として良く聞いていたFMラジオのパーソナリティになりたいと思うようになりました。

そして高校卒業後の2003年春、夢を叶える為、大阪市内にある専門学校に進学し喋りの勉強をすることになりました。
ちなみに「ポッター」というあだ名は専門学校時代のクラスの女子達から「京野君ってハリーポッターに似てない?じゃあ、あだ名ポッターでよくない?」ということから呼ばれるようになりました。
まさかそれから現在(36歳)まで人生の半分をこのあだ名で呼ばれ続けることになるとは…
あだ名決めは大事ですよ笑

さて、あだ名と同じく自分の人生を大きく左右する出来事がありました。

こいや祭りとの出会い

「第4回こいや祭りでのボランティアMC募集」

先輩から勉強になるから一緒にやらないかと声を掛けてもらい、1日だけMCをやることになりました。
人生初めてのMCはタイムテーブルの時間通りに全然進行出来なくて会場担当の方に予定にない総踊り時間を何度も入れてもらうなど散々な結果となりました。
とにかく悔しくてこの時すでに来年もMCやってリベンジすると心に誓いました(実はかなりの負けず嫌いです…)

翌年5月、どういう経緯でやることになったかは忘れてしまいましたが毎年5/3〜5/5まで開催される中之島まつりでもボラスタMCをすることになり、この時に現在の事務局のつもりさんやインストのみっつんと出会いました。

そして第5回こいや祭りではメイン会場でMCをさせてもらいなんとかリベンジ成功!さらに翌年の第6回こいや祭りではMC部門長として実行委員に加わり、こいや祭りが切っても切り離せない生活の一部になっていました。

写真②(第5回こいや祭り)
写真③(第6回こいや祭り)

初めての高知、踊り子デビュー

実行委員になってからはこいや祭り主催の練習会(こいや練)に毎週参加し、たくさんの踊り子さん達と仲良くなり、そんなある日のこと、高知のよさこい祭りの存在を知る出来事がありました。

当時のこいや祭りは8月下旬の開催で開催直前の会議後、夜遅くになり帰ろうとした時に「ポッター、今から高知のよさこい祭り見に行かん?」と声を掛けられ、たまたま次の日予定がなかったので、人生初の高知へ!

翌朝、まだ人も少なくお店もほとんど空いてないひろめ市場で朝食を取り、その後升形競演場に移動し、スタート付近に座り踊りを観ることになりました。

固定したタイムテーブルがない中で祭りが行われていることに祭り側の人間として一番驚かされ、更に演舞前にチームのスタッフさんからいろいろ物を貰えたことに「お客さんとしてもこんなにも楽しめる祭りがあるんだ!」と、本場のよさこい祭りの凄さを感じました。

第6回こいや祭りが終わった後もこいや練やバサカニ、WTCで行われた年越しよさこいイベントに参加して、その頃からぴとぅの人達とも仲良くなり、そして2006年のWorldあぽろんに遊びに行った時に当時の代表に「チームスタッフとして一緒に高知に行きたい」と伝えました。
すると返ってきた言葉が…

「踊り子で参加すればいいじゃん」

予想していなかったこの一言により、まさかの踊り子として参加決定!
これまでは総踊りくらいしか踊ったことがなかったので正直踊れるか心配でしたがみんな優しく教えてくれたのでなんとか覚えることが出来ました。

初めて踊り子として参加した高知での1番の思い出は「夜の追手筋」
当時のぴとぅは代表がMCを担当していましたが、盛り上がり最高潮のこの場所でMCをさせてもらえることに!
地方車の上でではなく、実際には前口上だけ言って、演舞中は隊列に入って踊ってというやり方やったけどまさかの花メダルまでゲット!

MCをさせてもらえただけで嬉しかったのに花メダルまで貰えるなんて思ってもいなかった為、踊り終わってからみんなの前で大泣き…笑
今となっては一生忘れることの出来ない思い出です!

写真④(花メダル組集合写真)

高知後もちょこちょことイベントや祭りに参加させてもらい、翌年3月に参加した浜松よさこいにて正式にぴとぅに入り(遅っ!)、現在に至ります。

10周年の演舞曲「夢のみなもと」から演舞中の煽りをメインで考えさせてもらうようになり、5年前の演舞曲「万華鏡」からは祭り中全く踊らない「専属MC」というポジションを作り、最近はMCメンバーも増えてきたので祭りや練習会への参加率は年々低くなっていますが、これからもぴとぅ人としてよさこいを続けていけたらなと考えています。

写真⑤(四天王寺ワッソ)
写真⑥(バサカニ写真)
写真⑦(ちゃんと踊ってた時代)

ターニングポイント

今回のような機会はあまりないので、改めて自分のよさこい人生を振り返ってみましたが、「こいや祭り」との出会いがなければ自分の人生180度変わっていたと断言できるぐらい大きなターニングポイントでした。

そして、そこからよさこいを知り、ぴとぅに入ったことでこの歳になっても楽しめるものがあり、全国に友達も出来て、いろんな世代の人達と出会うことも出来て、本当にぴとぅに入って良かったなと思っています。

コロナの影響で色々と我慢の時期ですが、また気軽に練習会や祭りで会える日が来るのを今を楽しみながら乗り越えていきましょう!

写真⑧(MC集合写真①)
写真⑨(MC集合写真②)
写真⑩(MC集合写真③)

最後に

専門学校卒業後は大きな放送局ではありませんでしたが自分の夢であったFMラジオのパーソナリティとして喋りの仕事を数年間していました!
京阪沿線の某駅の改札前にあるサテライトスタジオで喋っていた時に凄く視線を感じることがあり、スタジオの前を観ると現代表のかなーみさんがこちらを観ていて、とても驚いたことを今でもはっきりと覚えています(笑)

ここまで読んで下さった皆さん、ありがとうございました!

ティリッティー!!

ぶんたです。
ブログというものは初めてで、ティリーになりそうですが、お付き合いいただければと思います。
できるだけ、端的に綴ります。詳細は、、飲み会などで聞いてもらえれば、と思います。
話が古く、写真がない項目が多数ありますがご容赦ください。むしろ持っておられたらいただけると有り難いです!

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大きく分けて3つ、綴ります。
①よさこいとの出会い
②ぴとぅとの出会い
③ MCのはなし
では早速、、、

①よさこいとの出会い

よさこいとの出会いは1998年
それは名古屋の大学1年生の5月頃でした。
「祭りで踊る団体」というサークル勧誘ビラを見て、昔から盆踊りを踊るのが好きだった私は興味を持ち、練習を見学に行きました。
そこで見たものは、今まで見たことのないモノをカチャカチャ鳴らしながら楽しく踊る学生の姿でした。
そこで鳴子をいただき、「これが鳴子、これを持って踊るのがよさこいだよ」と。
全く新しいジャンルとの出会いでした。
ただ、私は部活でラグビーを始めたこともあり、この学生チームには大学2年〜3年(1998〜2000年あたり)の部活が夏のオフになる期間を中心にソーラン、瑞浪、ど祭り、高知全国大会をはじめ、東海地域のお祭り等に参加し、大変お世話になりました。
また、にっぽんど真ん中まつりが立ち上がった時期でもあり、今思えばよさこいが全国に広がり始めた時期に私も関わり始めた、と感じています。

②ぴとぅとの出会い

ぴとぅとの出会いは2005年
2002年に就職し、初任地の岡山で偶然が重なり、うらじゃを始めていた私は2005年7月に大阪に転勤になる際、よさこいを続けようと、当時のうらじゃメンバーであり、よさこいにも詳しかった方に、
「高知本祭に出場している大阪のよさこいチーム」を紹介してもらうことにしました。
彼は3つチームを挙げた上で、「お前ならぴとぅだな笑」と、当時の代表に連絡を取ってくれました。
その後、転勤して1ヶ月くらい経った8月頃に‟VHSの振りビデオ”が
「こいやで踊るから覚えて来てね!」
の手紙と共に送られてきました、、、

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(VHS知らないとか言わないで…)


多分こいやは参加したはずですが、不慣れな土地で人も踊りもわからず必死で、詳しい記憶はありません!
このあと、仕事がバタバタし、半年程はチームに顔を出せずにいました。
その後、2006年のWTCに久々に参加しましたが、誰がいるかもよく分からずさまよっていたところ、2000年くらいに京都のよさこいチームで踊っていたぴとぅメンバーが声をかけてくれました。
彼は私と世代が近く、学生チーム同士だったこともあり、昔話など、盛り上がりました。
そしてこの時、
「学生チームでよさこいやっててよかった」と思うと共に、
「あ、ぴとぅでなんとかやっていけそうだ」と感じました。
この時の出会いがなければ、現在私はよさこいをしてなかったかもしれません。
入って日が浅い私に声をかけてくれたこと、感謝しかないです!
私は全国を対象にした転勤の可能性があるのですが、偶然大きな転勤がなかったこともあり、今まで長らくぴとぅにお世話になっています。

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③MCのはなし

私がMC業を知るきっかけは、岡山でした。
当時岡山では、岡山の文化であるうらじゃ踊りや、新しい総踊りであるうらじゃ音頭を広めようというPR隊なるものがあり、私はそこに所属し、中四国のお祭りに参加していました。
チームにはMCをする方が複数名いらっしゃいましたが、たまたま、とある四国のお祭りでどなたもいらっしゃらず、
「誰かやりますか?」
となり、こんな機会もそうないし!と、ノリと勢いでステージでうらじゃ音頭を煽りました。
また、ミニ地方車付きパレード会場もあり、地方に載せていただき、MCの先輩にご指導いただきながら煽りました。
「MCって、面白い!!」
踊り子で煽られたことはあっても、煽る側は初めての経験。全てがめちゃめちゃ新鮮でした。
その後、踊り子が中心でしたが、たまにMCの機会をいただき、高知全国大会でも緊張しましたが、煽る機会をいただいたりもしました。

そしてぴとぅに来て、、
1年目、2006を踊ったとき、ぴとぅのMCは代表がやっていることを知りました。
代表はいろいろ忙しく、それなら代表ではない、MCというポジションが必要なのでは。そんな気持ちと同時に、自分が煽ってみたい気持ちがあったように思います。
そんな6期(2007年)の始まりで、今期やりたいことをメンバーにアンケートが来たとき、MCの話をしていたところ、当時の代表(現代表ですね!)に
「じゃあ、MCやって!」と煽られました。
そう言われると思っていなかったので、びっくりしましたが、新しいモノを作ることにワクワクし、2つ返事でOKし、MC班ができた次第です。

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始まった当時は1人でグイグイ煽ってましたが、私は転勤などがあり、ずっとMC班を仕切っていける保証がありませんでした。
そこで、2年目からはMCの楽しさ、素晴らしさを多くの踊り子に知ってもらい、実際に経験して欲しいと考え、高知スポットを含めて今後のMC班を引っ張っていくメンバーの募集、スカウトを続けてきました。
年々、徐々に高知スポットを含むMCメンバーが増えていきました。
そして今は有り難いことに、専属部隊も出来、私はメインメンバーをサポート、応援しながら、たまに楽しく煽らせていただいてます。
みなさんも、是非一度はMCしてみてください!

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さいごに。

結局、長くなってしまいました。
さいごに。
「目には見えない想いのつながり」をベースに、ぴとぅが持続可能なチームであり続けられるよう、踊りだけでなく、飲みや遊び等、私のできることで引き続き盛り上げていけたらなと思います!

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乱筆失礼しました。ティリッティー!!

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もう一つの表紙画像候補

こんにちは!にゃーこです☆

こんにちはMCのにゃーこです。

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よさこい歴何年目になるのかな?3年目?4年目?
5年目ですね。
好きなものは猫とイラスト書くことと寝ることです。

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よさこいとの出会い

よさこいと初めて出会ったのは、、、、
いつだっけ?
まったく覚えてません。
お母さんが言うには、1歳くらいに、高知の追手筋の北側だそうです。
12年前、2008年の頃、よく覚えてますね。
写真はありませんが、そういうことでーす。
ってどういうことですかー!
2010年は高知へばんぶを見に行ったっぽい。
2011年も高知へばんぶを見に行ったっぽい。。
2012年は高知へ行ってるけど、よさこいは 見に行ってないらしい。。
2013年は高知へ行ってるけど、よさこいは 見に行ってないらしい。。
どれも一つも覚えていないです。

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写真は2011年の高知

ぴとぅとの出会い

ぴとぅとの出会いは、お父さんがぴとぅのBBQに連れて行ってくれたとき、
よさこい体験会があって、体験したあとに、よさこいやる?って聞かれて、やる!って言ったのがぴとぅに入ったきっかけです。
万華鏡作ったことは覚えてるけど、よさこい体験会は覚えてなかった。
MCをやっている理由としては、身体が弱かったからです。
振りはちゃんと覚えましたよ。

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ぴとぅでやってみたこと

むげんさんちのかじぴとぅくん(冊子)2018年
みゆかと一緒に制作して大感謝祭で披露

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芋けんぴ作ったよ。(PITWU STUDIO)2018年

ぴとぅのオリキャラ作りました。2019年

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ぴとぅのオリキャラ描いてました。2020年
https://twitter.com/mugenkajipitwu/status/1245330916735471616

まるまんてんを描きました。2020年
イラスト35枚、非公開です。

ぴとぅは、学校とは違う別の友達(年齢幅広い)に出会えるところだと思っています。
たくさん友達増えた!学校だと同じメンバー。ぴとぅは増えていくから。

頭の中でよさこい=楽しい=新しい(毎年振りが変わるから)ってなってる。
デバ祭の金賞は嬉しかった!
高知の地方車乗るの楽しい!
地方車の上からテンション上がってるみんなを見るのも楽しい!
語彙力なくてすみません。

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誰が顔でかいねん!!!俺か!!!!

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僕で良いのかドキドキしてますが、映えある新年の一人目として長文になりますが、どうぞご覧下さい。

ブログ写真_210105

高知よさこい祭り、それは人生を変えるお祭りでした。

20代後半の頃(そんな時もあった)、僕は日本一周一人旅をしていました。
気が向くままに、夏は東へ冬は西へ、楽しそうな事や色んな人に出会いに行く旅と称し、ある時は温泉、ある時は飲み屋街、またある時は何かしらのイベントへと「何か」を求めて旅をしていました。

そんなとき、偶然TVで見たカツオの塩タタキを見て、これは食べに行こう!と思い立ち、翌日に高知へ出発し、その日の夜に着きましたが、なんとカツオの塩タタキは売り切れ。
「なんでやねん」と心の中で思っていましたが、当時の僕は今よりも小心者だった為、人に声をかけれずひろめ市場でオドオドしていました。
そんな時、市場の奥のトイレ(2014年のぴとぅメンバーには強烈なインパクトが残ってる、あの場所)で優しそうなお兄様に勇気を振り絞って声をかけました。

「お、大阪から今来たのですが、カツオのタタキを食べれるところを知りませんか?」
お兄様
「えっ、大阪?うーん、僕も分からんから彼女がトイレから出てきたら聞いてみますね。」
彼女さん
「えっ、大阪?それは食べてほしい!でも、もう空いてる店あるか分からんから友達にも聞いてみるね。」

ここが噂の「よっ!〇〇!」事件になる現場とは当時は思っても見なかったです。

それから一時間程かけて、一緒に空いてる店を探して下さり、なんとかタタキが提供される店に入店。
しかし、最後の一人前が僕の入店時に他客からご注文…
これは無理だなと思った瞬間、お二人が
「この人、大阪から来られた人やき、なんとかこっちに塩タタキをまわしてもらえませんか?」

!!!

そんな事ある?!
まさかそこまでしてくださるとは…

お二人のお力添えがあり、なんとかカツオの塩タタキを食し、電話番号の交換と来年夏にお祭りがあるからその時にお会いしましょうとお話しし、お別れしました。

これが僕のよさこい祭りとの出会いです。

あっ、まだ祭り見てないです。

続きは次項お楽しみくださいませ。

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見知らぬ電話

そして、10ヶ月後、知らない番号から着信。
「あー、木村くん?そろそろ祭りやから、いつ来るか連絡しよ思って。」

…。

あれだけ親切丁寧に対応して下さったのに、勝手に番号交換を社交辞令と判断し、登録をしていなかった自分を責めたいです。
すいません。

その時は青森県に旅をしていた為、更に仕事を休むのはどうかと一瞬考えましたが、これもご縁だと思い、会社におそるおそる休日延長のお電話。

社長
「おー、いいよー」

早っ!!

という事で青森から高知へ。

1年ぶりにお会いし、感謝の気持ちを伝え、初めての「高知よさこい祭り」を体験しました。

商店街の中のなんとも言えない熱気、超近距離の迫力のある演舞、とびきりの笑顔の踊り子さん。
僕は一瞬でその魅力にとりつかれ、気付けば高知のお二人を置いて、次の会場、また次の会場と走り回っていました。

夜になって、初めてお二人とゆっくりお話しをしながらあのカツオのタタキを食べました。
お兄様
「木村くん、よさこい祭りはどうやったが?」

「やばかったです!」(語彙力なし)
彼女さん
「木村くん、私ら置いて走り回っちょったもんねー。笑」
お兄様
「そうそう、僕達来月結婚式するき、木村くん良かったら来てよ。」

「?!?!?!」
彼女さん
「待っちゅーよ!」

暑いお祭りの中、素敵なお誘いに感動し、翌月、僕は緊張の中、おそるおそる結婚式へ1人で行きました。

誰も分からん…
当たり前か!と1人ぶつぶつ言いながら、新郎新婦を待ち参列していると、お姉さんが

「大阪から来られた人ですよね?」

「あっ、はい。」
お姉さん
「お話し聞いてます!よさこい祭りに出たいんですよね?良かったらうちのチームで踊りませんか?」

「あっ、アリガトウゴザイマス…」
急な出来事と毎週往復八時間程かかる状況に耐えれるかの判断でこんな感じだったと思います。はい。

「でも、必ず踊りたいですので、またお会いしましょう!」
そう言い残し、お二人の祝福を祈り、大阪へ戻りました。

次項「木村くん、夢源風人を検索する」
お楽しみに!

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木村、夢源風人に出会う

大変お待たせしました。
いや、待たせすぎたかもしれません。

大阪への道中、あんな事言ったけど大阪でよさこい祭りに行くチームってあるんかなぁ。
と、不安になりながら帰って検索をしてみると、なんと!
何件かヒットするじゃないですか!!
ふむふむ、歴史あるチーム、新しいチーム、学生さん主体のチーム…
いっぱいあるから分からん!
でも一つ目に出てきたチーム気になるし、名前よくわからんけど、ここ見学行ってみよ。

見学当日
肌寒いけど、本当にやってんのかなぁ。
あっ、だれか来た。
さとし「こんばんはー、夢源風人のさとしです」
こっちで見学出来るんで、どうぞ!

大阪城公園の噴水周りで数人踊ってるではないか!
かなみ「こんばんはー、初めましてかなーみです」
はな「はなでーす」
みんな元気で活力があって、めちゃくちゃ楽しそう!
1番偉い人(当時)「あっ、、、」
 →正解者には拍手を送ります。

一演舞見させていただき、カッコいい、踊りたいと思い
早速入会。

これが僕の夢源風人のスタートでした。
「2011夢のみなもと」
憧れのよさこい祭り

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今からいいこと言います!

人はどんな時に人生が変わるかは分かりません。
時には人に助けてもらい、時には人を助ける側にまわり。
夢源風人は単年度制のチームですが、単年度制だからこそ楽しめる部分や経験がたくさんあります。
一年毎にメンバーが変わり、スタッフも変わる、良い部分を代々受け継ぎ進化する。
この経験が僕の人生を大きく変化させてくれたと思います。

チームのコンセプトは
『目には見えない思いのつながり』
どれだけ離れていても、すぐ側に感じる仲間達がたくさんいる。
僕も自分の夢を追い続け、源になる仲間を信じ、風や自然を大切にし、人とつながり続けます。
こんなご時世ですが、コロナだからこそ出来る事がたくさんあると思います。
みんなのつながりを楽しみに、またお会い出来る日を楽しみにしています。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。

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よさこいと私

ぴとぅ最年長No.2予約班のみっこです♪

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今ではプライベートでも仲良し最年長ゆかりさんからバトンが回ってきたので、今回は私の話にお付き合いください(笑)

高知よさこいを目指して、2018年ココロ咲ク夏で夢源風人に入りました。出身は高知ですが、よさこいは見る側ばかりで、何十年と高知よさこいを見てきましたが、踊り子歴はまだ3年ぐらいです。よさこいは踊りも衣装もどんどん変化していき、自由で個性的なチームが出てきて、大人気のお祭りになったと感じています。そして私が一番衝撃を受けたチームが、忘れもしない須賀ダンススタジオチームの出現でした。「えー!😱今までのよさこいのイメージと違う!ダンスみたいでカッコイイ!!」  さらにその後、セントラルチームの出現で私のよさこいへのイメージが劇的に変わりました。「よさこいってめっちゃカッコイイ〜❤️」よさこいが大好きな自分に変わっていきました。その後、セントラルチームのよさこいを見て感銘をうけた北海道の青年がYOSAKOIソーランを広め、よさこいが全国的に知られるようになり、高知でも更に素敵なチームが増えていき、十人十彩の出現などにつれて、私は更によさこいファンになりました💖💖💖

夢源風人との出会い

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私が夢源風人チームを知ったのは、娘のTAGGYがきっかけです。夏は毎年高知に帰省して、娘を連れて帯屋町筋によさこいを見に行ってたので、娘がすっかりよさこいファンになっていました。そして2013年高知よさこいから帰って来た娘が「私、大阪の夢源風人っていうよさこいチームにはいる事にした」と言ったので、「えー!大阪のよさこいチームに入るのー!?」衝撃でした😱 私は高知よさこいしか見たことがなかったので、大阪のチームに入るという発想がなかったのです。そうか!!大阪のチームに入ってよさこいすればいいんや!なんでそれに気付かんかったんやろ💦それから娘はよさこいをはじめてからすごく変わりました。ものすごく楽しそうで生き生きしていました。娘が夢源風人に入って、大阪や他県でこんなによさこい祭りやイベントがあることを初めて知りました。それから夢源風人の演舞を何度か見てステキなチームだなぁと思ってましたが、若い人が多く、私のような年配の人が入れるのかなあ?と思ってました。でも2017年「ハレ、晴れ」を見て、めっちゃカッコイイー!!やっぱり私も夢源風人で踊ってみたいー✨夢源風人に入って憧れの帯屋町筋をパレードしてみたいと思いました!

いざ!夢源風人✨   

心配していた年齢の壁はなく、それどころか快く歓迎してくれたのでその場で入る事を決めました。ココロ咲く夏で初めて、帯屋町筋をパレード出来た時は最高〜✨✨楽しい〜❣️その後、原宿のスーパーよさこい、大阪のお祭りと参加させて頂き、めっちゃ楽しい〜💖💖💖  

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私の「第二の青春」のはじまりでした。 ぴとぅメンバーは本当にエネルギッシュで、ぴとぅメンバーといるとわたしも年齢のことを忘れ元気になれます。仕事と子育てに追われて過ごしてた何十年、やっと子育てが終わり第二の青春が始まったのも、ぴとぅメンバーのお陰です。色々な面でサポートしてくれるぴとぅメンバーは本当に凄い❗️愛と思いやりで繋がってるぴとぅメンバーの仲間になれて本当に幸せ✨

ぴとぅの事務局さんをはじめインストさん、スタッフさんには感謝しかありません。世代を超えて沢山の仲間に出会えて、本当に私はラッキーです🤞

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娘は私のお陰でよさこいに出会えたことに感謝してくれますが、私は逆に娘のお陰でぴとぅに出会えた事に感謝しています。今年は孫も生まれおばあちゃんになりましたが、まだまだぴとぅの踊り子で頑張りたいです。一日でも長くぴとぅのメンバーでいたいです。 これからもよろしくお願い致します🤲

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みっこでした♪♪

年長記録更新中(^^)v

こんにちは!予約班のゆかりんことゆかりです。

生まれてこのかた大阪在住で高知ともよさこいとも無縁だった私の老いてからの青春の一幕にしばしお付き合いくださ~い。

★よさこい&夢源風人との出会い★

28年勤めた会社を早期退職してから、パートと子ども達の学校でのPTA活動をせっせとやってて、気づいたら56歳💦

このまま、朽ち果てるのは嫌だ‼️と思って、何か夢中になれることやりたい!といろんなことにチャレンジしてた頃のある日、娘から友達のよさこいサークルの話を聞いて、なんでよさこい?っていう好奇心からパソコンによさこい、大阪、社会人チームで検索したら、一番に「夢源風人」が!しかも、“老若男女どなたでも”の文字が〰️😆❤️

即、問い合わせて大阪城公園での練習会を見学に行きました。そこには、あおさかんシンフォニーの曲に乗って笑顔で楽しく踊る皆の姿✨が目に飛び込んできました!

私の心の中で花火が打ちあがりました!これや~! やっと見つけた!私の生きる糧!

でもでもやっぱり一応年齢相応の体力の心配が…当時の代表のきむにいに聞いてみたら「やれるかではなくて、要はやりたいっていう気持ちですよ」ってありがたいお言葉!

気持ちはいっぱいある!ありまくり!とりあえずMCさんに入りたいです!ってことだけ伝えて時間もなかったので退出…次の練習会には振り落としをしてもらっていました。

が、何回教えてもらっても覚えが悪く、覚えてたところまで、翌週には忘れ…

付いていける自信が帰りには乏しくなってたけど、行くとまた楽しさに魅せられて、インストさんやチームの仲間に迷惑かけつつ、ようやく、9月のこいやデビューまでたどり着いたのです。

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↑2016年四日市よさこいで。

初めての高知参加は、翌年のハレ晴れ!家庭の事情でたった一日しか出れなかったけど、超楽し過ぎました!感動の一日でした!

私にとってのよさこいは、踊るのももちろん楽しいけど世代の違う仲間たちとワチャワチャ楽しむことがとっても好きです。

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2018年度のココロ咲く夏の大東よさこいの打ち上げの日、現代表のかなみさんに勢いで「私、60までって言ってたけどやっぱりまだこのチームにいても良いですか?大阪万博まで!」って叫んでいました。

この時、還暦誕生日を半年過ぎてたんですが…

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★私の役割★

私も何かお役に立ちたいな~と思って、地元の吹田まつりのお祭り担当に手をあげたのもこの年。だけど、台風が来ちゃって中止に(;;)

で、昨年から予約班に入れてもらいました。

あまりまだ活躍できてないけど…

最近嬉しいことに、ちょっと年齢の高い方も見学や体験に来られることが増えてきたのですが、年齢のことで躊躇している方に実年齢を明かして、だから大丈夫!ってお話しさせてもらうとホッとした表情になってくれます。

それがとても嬉しい、私にぴったりのお役目でしょ?( ´∀` )

★この道の先はまだ~♪(まるまんてんより)★

私にとって、よさこいと夢源風人に関わる全てが一期一会。

コロナ禍の今年は、オンラインで自主練、飲み会、高知の先生方のレッスンを受けたり、よさこい8のHEI🖤WAを世界の人達と踊ったり、アナログ世代の私が初めてのpaypay登録(笑)

こんな60代を過ごすとは想像つきませんでした😅

こんな一期一会に感謝!ぴとぅの皆に感謝!出会った方々に、そして毎度文句も言わず出してくれる家族に感謝です。

いつまで踊れるのか、この愛するチームにいれるのか、わかりません。

私の望みは、足腰が立てなくなるまで、やれるとこまで、“今”を楽しみたいです。

あれ?大阪万博までって、かなみさんに言ったのに…(笑)

この道はまだまだこれから!

とりあえず、早くコロナが収束してお披露目で、お祭りで、皆と「まるまんてん」を踊りたい!

お祭り会場で見かけたら声かけてくださいね。

マスクしないでお喋りできる世界に戻ってますように・・

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ゆかりでした。

このWebサイトはぴとぅ広報班が管理しています。
12年くらい前の話

わたるんです。

では、簡単に自己紹介を、、、
・2008年10月にぴとぅのメンバーになる(8期がスタートした頃)

・12期までは踊り子として祭にも参加していた

・ぴとぅの公式サイトに関わっている

きっかけ

2008年4月、当時の職場でぴとぅのメンバーの人に出会いました。
それがきっかけとなり、今に至ります。

昼休みの食事中にほぼ毎日、よさこいの話をしてくる人がいました。ぴとうのメンバー(8期の副代表)の人でした。

半年くらいそんな日々が続いて、練習会の見学をさせてもらうことになり、
2008年10月のとある水曜日に大阪城公園に行きました。

見学するだけのつもりだったのですが、
鳴子を貸してもらって、振りを教えてもらうことに。

自分にできるのか心配であったものの、
その日のうちにメンバー登録しました。

高知よさこい祭りに向けて

その後の練習会はほぼ毎回参加して、
あと、イメージ・トレーニングをしたり。
メンバーになる前とは全然違う生活になりました。

練習の甲斐あって、高知のよさこい祭りにもなんとかいけました。

はりまや橋にて

広報の一員として

2年目からはぴとぅの公式サイトの管理にも関わります。
※当時は広報じゃなくてHP班という名称でした。

当時はほぼ何も知らない状態だったのでギャップを埋めるべく、入門書を数冊読み漁って、HTML, CSSを2ヶ月ほど、その後はPHPという言語を勉強。その後CMSというものを導入することになって、データベース(DB)の勉強。あとはGoogle Apps Scriptとか。その都度色々と吸収していきました。

最後に

これからもなんらかの形で関わっていくつもりです。