Archive: 9月, 2021

よさこいがなくても生きていけるけど,よさこいがあるから人生は楽しい。

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こんにちは,うっでぃです。
気付けばぴとぅに出会って丸10年,ぴとぅに来るようになって,今年で10年目。
すっかり古株の割にコミュ力が低く存在感の薄い僕ですが,この度ブログの声がかかったので,書きます。

場さえいただければ割とよくしゃべるので長くなると思います。


祭りと踊りは自己表現方法の一つ

地車が盛んな地域で育った僕にとっては,お祭りは小さな頃から身近なもので, 毎年やってくるのが楽しみな日。

小学生の頃は今にさらに磨きをかけた真面目少年で,先生や他の子からも「良い子」としてみられることに全力で生きていたので、学校ではあまり自己主張できず,素も出せずにいた。

けど,家に帰ってから兄や仲の良い友達と遊ぶときは人が変わったようにしゃべるし,遊びまわるし,それなりに行動的な面もあった。

そんな僕にとっては,祭りの日はめずらしく自分の素を出して,ありのままになれる日。
ある年の地車祭りで普段あまり話さない同級生と会ったときに,「めっちゃしゃべるんやね!普段と全然違って別人みたい!」と、言われたことがあった。

自分を知ってもらえたような気がしてうれしかった覚えがある。

祭りとよさこいが好きなことの原点はここにあるのかなと思う。


そんな自分が踊りに初めて憧れを持ったのが,小5の時。
地元の小さな祭りで当時中3の兄が,学校の行事の一環で「南中ソーラン」を踊るのを見たときだった。


普段見せないくらいの笑顔で踊る兄と,何より大人数で踊るカッコよさに圧倒され,「自分も中3になったら絶対に南中踊る!」と心に決める出来事になった。

時が経ち,自分も中3になる。伝統としては残っていたけど,有志で声が上がれば文化祭で踊るというような形式に変わっていたので,声が上がらなければ踊ることはない。

普段はあまりガツガツ前に出ることはなかったけど,このときに限っては誰よりも先に学年の皆に声をかけて先頭に立って頑張ったことを覚えている。

迎えた本番はとにかく夢中で心地よくて,大人数で一つのものを作り上げる達成感と踊ることの楽しさを強く感じた。

おとなしかった自分が、踊りを通して変わったと感じられる経験になった。


よさこいと夢源風人との出会い

よさこいとの出会いは大学時代のサークル。

新歓のときに先輩が踊っていた南中をみて、中学の記憶がよみがえり,再び踊ることへの憧れが強くなって,入部(入サー?)。楽しくて仕方なくて、それからはよさこい沼にハマっていった。

学生時代の自分は今の自分からすると考えられないくらいのよさこいバカで、毎日自主練は当たり前だったし,他チームにいろいろ行ったり,県外の祭りにもいろいろ参加したり,他大の友達には「どこ行ってもおるな(笑)」と言われたこともあった。


当時できた繋がりが今も続いていたり,踊ること以外のよさこいの楽しみを知れたので,人見知りなりに顔広げててよかったなぁ,と思うことは今でも多いです。
ぴとぅを通して再会した人も実はそこそこいるのがけっこう嬉しい。

そんな感じで沼にハマりにハマっていた当時は,走って間に合うところならすべて参加するほど総踊りが大好きで,2011年の神戸よさこいでは,それなりに距離のある会場でもとりあえず走って総踊りに参加していた。


日が暮れてその日最後の総踊りに参加するべく高浜岸壁会場にいたとき,衣装に目を惹かれたチームを発見。

当時は高浜岸壁会場は大阪湾をバックにしていたので,真っ黒な背景に,衣装の明るい色がとても映えていて,目を奪われた。

そして曲がかかると,曲にも踊りにもすぐに心を奪われて,「このチームで踊ってみたい!!」と一瞬で虜になった。

それが夢源風人との出会いだった。

☟当時の動画
https://www.youtube.com/watch?v=46dwg2y3yrc

その年のぴとぅに参加していた大学の先輩がいたので,間をとりもってもらう形で連絡し,冬頃にぴとぅの練習に初参加することになり,2012年の高知はぴとぅで行こうと決意した。

ぴとぅでの初めての演舞は2012年,「かざぐるま」。

この年の地方車は風車数百本で作られていて,見ていても涼しく、綺麗で、すごく思い出深い地方車だった。本祭1日目の夜に大雨が降ったときには水車になった。圧巻だった。

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初めての高知はとりあえずすべてがキラキラしていて,「終わるな,終わるな」と思いながら踊っていた覚えがある。


高知の魅力に触れて,また帰ってきたいと思える場所になった。

翌年から正式にぴとぅのメンバーとなり、多くの人に出会って、いろんなことを経験させてもらい、たくさんの思い出をもらった。

ぴとぅに入って自分の人生は大きく変わった。入ってよかったと心の底から思う。

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よさこい観が変わった千賀先生の言葉

2014年に初めて先生練があったときに,千賀先生にもらった言葉が,今の自分のよさこい観になっている。

「よさこいが苦しくて嫌なら離れたらいい。それでもいま皆が踊っているのは,みんなよさこいが好きだからでしょう。よさこいがなくても生きていけるけど,よさこいがあるから人生は楽しい。」

この言葉は当時も心には響いたけど,一番よく感じたのはよさこいを始めて以降唯一踊らなかった2017年。
踊りに対しての気持ちがよく分からなくなって,苦しむくらいなら一度離れようと,思い切って離れてみた1年。

それからカメラにハマったり,旅行にハマったり,今までやりたかったけどしていなかった趣味に身を投じようと,1年を過ごしていたのだけど,8月になって,よさこい祭りが近づくと,やはり気持ちはよさこいに流れ,祭りの3日前くらいに見に行こうと決意して,8月10日には高知にいた。

そこで感じたのは,踊っている人たちがうらやましかったことと,自分はやっぱり見るより踊る方が好きだな,ということ。その夜は,踊らなかったことを後悔して,いっぱい泣いたことを覚えている。

だから,その翌年また高知に踊り子として帰れた時は,それまで以上に踊れることへの喜びが感じられた。踊らない1年があったからこそ気付くことができた気持ちだから,今はそういう意味ではあってよかった1年かなと思う。

今は昔ほどの熱意はないし,踊らないでいたいと思う時もあるけど,嫌いになったわけではなくて,距離を取りつつずっとよさこいが好きな中で日々過ごすことができている。少なくとも,この先よさこいのない人生は今は考えられない。
よさこいのおかげで今の人生すごく楽しいです。


特に自分に当てはまるのだけど,一度よさこいから離れてからもう一度戻ろうと決意することにすごくエネルギーのいる人もいる。でも,その一歩が踏み出せたらまた楽しい世界の中に飛び込める。

今よさこいからすっかり離れていて,心のどこかで「もう一度踊りたいな」って少しでも思っている人がいるなら,ぜひ一歩踏み出してみてほしいと思う。

よさこいがなくても生きていけるけど,よさこいがあるから人生は楽しい。

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楽しいことは良い事だ。

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こんにちは!
踊り子兼フラフ班,リンといいます。


このような機会を頂き嬉しいような気恥ずかしいような,そんな気持ちで書いてみました,よろしくおねがいします。

よさこいとの出逢い

 私がよさこいに出逢ったのは小学4年生の時の運動会。よさこいソーラン節を4年生全員で踊るというものでした。塗装など何もない,音も全然響かない鳴子を持って踊ってたような気がするのですが…残念なことに正直全然覚えていません(笑)

 自分の意志をもってよさこいと再会したのはそこから約8年後,大学1回生の時です。
大学の入学式によさこい同好会の人たちが踊っているのを,楽しそうやな―とぼーぜんと見ていたのですが,その中でもひときわ笑顔でイキイキと踊っている人が。その人から目が離せなくなり,そのまま吸い寄せられるように入部しました。
踊ってみると楽しいのなんの!!
体を動かすのはもともと好きだったのですが,今まで踊りは全くしたことが無い未経験者。にも関わらずここまで楽しく活動できたのはチームの先輩方のおかげだと思います。
何よりも人前に立って踊るなんて,そんな怖いことしたくないと思っていた私がここまでよさこいを楽しんで踊ってるとは…入部当時全く想像してませんでした(笑)

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大学時代の京都マラソンにて


夢源風人との出逢い 

 夢源風人に出逢ったのは同好会入部から約1か月後,福井大学での酔踊祭でした。
自分自身,人前での演舞はまだ2回程,まだまだ人前での演舞にド緊張…!(今でも緊張はしますが,この時とはまた違う緊張の仕方だなと思います(笑))
2回あるうちの1回が終わり,とりあえずホッと一息。2回目を待っている間他のチームの演舞を見ることに。その中の1つが夢源風人でした。
演舞曲は「あふさかん・シンフォニー」
リズミカルで小粋な音楽に覚えやすくて楽しい手拍子,そしてやっぱり踊っている人たちの笑顔・笑顔・笑顔!!

うわーーーー!なんて楽しそうなんだ!!!!!?

 演舞を見ている間は緊張も忘れ,ただただ楽しみました。
この時の私の中での夢源風人は「どこかの社会人チーム」位の意識で,今この演舞を作った人たちと一緒に踊っている事に驚きです。
 最近気づいたのですが,どうやら私は上手く踊る人よりも楽しそうに踊っている人に目が向いてしまうらしく,家に帰ってもチーム名も知らないその人たちの姿を思い出しては楽しそうだったなー私もあんな楽しそうに踊れたらいいなーとひそかに思いながら大学でのよさこい活動を楽しんでいました。

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2019よさこい イン ふじいでらでの「あふさかん・シンフォニー」再演時に皆さんと撮ってもらった写真。初対面時のインパクトそのまま。
「楽しそう」と思ってた演舞はやっぱり楽しかったです!

夢源風人に入会

 その初対面から時は経ち。実際に夢源風人に入ったのは大学4回生の春,2019年度「郷-Sato-」のタイミングでした。
きっかけは大学のチームからの引退。
引退はしたけど…大学のチームで出来ることはしたけど…でもまだ踊りたいなーなんて思いがありました。1番の心残りは本場・高知よさこいには1回も行ったことがない事。
大学のチームでも,よく先輩や同期から高知よさこい祭りの話を聞いてたので,その心残りは年々強くなっていました。
 今まで社会人チームに行きたいけど自分にはチーム掛け持ちなんて器用な真似は出来ないと足踏みをしていましたが,引退したとなると話は別。とりあえずどこかに入って高知のよさこい祭りに行こう!と決意。
関西合同説明会に行き,演舞動画をあさり,お祭りを見に行き,最終的に夢源風人に入ることに決めました。
決め手は大学の同期がいる事・郷の雰囲気・衣装の素敵さ・あとはやっぱりお祭りの時の皆さんの笑顔!!私もこのチームで楽しみたい!と入会しました。

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私の「郷-Sato-」お披露目,かえる祭りで個人賞頂きました★

入ってよかった!

 実を言えば,最初は高知が目当てだったのでそのあとの事は考えていなかったのですが,あれよあれよと今まで続いています。
理由はやっぱり楽しいからです。
それに踊り子だけならず,フラフまでも。
私がやっていいのか…?という思いもあったのですが「やってみたら」と背中を押していただき今に至ります。
まだまだ未熟で見せれたものじゃないですが,私のペースで楽しんでがんばれたらいいなと思います。それをよしとしてくれるチームの懐の広さもすごいなと思います。

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写真が無く練習動画からのスクショ。久しく練習に行けてないです。
遠方からの参加なので,踊り子のZOOM自主練は今のところ参加率高め。
お時間あえば一緒に踊りませんか?(笑)

楽しい事は良い事だ。

 さて「よさこいとの出逢い」「笑顔」「楽しむ」をキーワードに進めてきましたが,最後に私の演舞中1番の笑顔で終わりたいと思います(笑)
それがこちら↓

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…めっちゃ笑顔!?私ってこんな顔して踊れたん!?とびっくりした一枚(笑)
高知で写真班さんに撮って頂いた写真です。ありがとうございます。
楽しい!って気持ちがめっちゃ顔に出ている,お気に入りの写真です。
私ってこんな顔で踊れたんか…(2回目)

 またこんな笑顔で皆さんと楽しく踊れる日々が来るのを願っています。
拙い文章でしたが,ここまで読んで下さりありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。ではでは,リンでした!

ミニドラ☆とよさこい

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初めまして、こんにちは。
ミニドラ☆です。

夢源風人で踊り子兼フラフ班で活動しています。宜しくお願いします(^ー^)

~なんとなく始めたよさこい~

某スポーツGYMで働いてた時に、
スタジオイベントの企画の1つに
期間限定でよさこいのクラスがありました。
発表の場として『第5回こいや祭り』に参加する。という企画でした。

企画担当してる先輩に「一緒にでよ~や」
と誘われ、やる気満々でした🎵
しかし、先輩はプライドも高く完璧主義なので、1回目の練習に参加できひんし、
スタートが出遅れるのが嫌だと言う理由で
やらない事を選択。

それから受講するかどうか私は悩みます。
答えがでないまま当日の開始1時間前まで
受付フロント前で悩みます。

悩みの理由が「踊れるかな?」とかではなく
お客様と一緒に仲間としてやっていけるかどうか?という不安があったのです。
踊りの場では仲間でもその時間以外はスタッフとお客様。と言う立場だったからです。

それでもやってみたいと言う思いのが強く
覚悟を決め参加しました。
それが私のよさこいの始まりです。

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~ぴとぅとの出会い~

こいや祭りを終えて社会人チーム
『おおきに蒼天慶』として活動するのですが、
小人数な為、人数制限のある大きな
お祭りには出れないのです。

当時は、こいや練が毎週火曜日にあった
ので参加して他チームとの交流も楽しみ、
ました。この年に出会った仲間は今でも
繋がりがあります🎵

こいや練で仲良くなった当時のぴとぅのメンバーが浜松がんこ祭りで踊ろ~?
って誘ってくれたので、
喜んで参加させてもらいました。
初めての演舞曲は『2004年思いの花火』

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そして、その翌年『2005年大地の恵み』
で初めて夏の高知を経験しました🎵

たくさん踊れる事も楽しいし
地域の方みんなあったかいし
知らない人にご飯ごちそうになるし
桃までもらったし、
いろんな思いでいっぱい。
なんせ楽しかった(^ー^)

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~ぴとぅに所属するきっかけ~

その後も他チームで活動はしてましたが、
2008年以降はチームには所属せず、
お祭りを見に行き、たまに誘われたら
踊ると言う状態でした。

その都度「一緒に踊らない?」
って誘ってくれるかなーみがいて、
はなちゃんが代表する年に「入るわ。」
ってなって『2014夏色に心踊りて夢ひらく』
で正式にメンバーになりました。

ぴとぅを知って、
ぴとぅと出逢ってから
ちょうど10年後(笑)

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写真は2017年『ハレ、晴れ』

~ひどい頭痛に悩まされ~

体力的には全くしんどくないが
頭痛とひどい吐き気(嘔吐)がくる為、
なかなか思う存分踊る事が難しく、

2016年は様子見ながら
近くのお祭りだけにしたり高知はあきらめた。2017年も様子見ながらだけど、
やっぱり高知行きたいから回数の少ない
全国大会だけに参加。
それでもやはり、ひどい頭痛がやってくる。

半分楽しいけど半分楽しくない。
そんな気持ちの時もありました。

そんな時は無理せず
じぶんの気持ちを大切に。
休んだ年もあったりしながら踊っています。

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~フラフをやろうと決めた事~

元々フラフは男性が振るものだと思っていたけど、女性のフラフ師もいる。

やりたいなぁとは思ったけど、
無責任に口先だけですぐにやりたいとは
言えなかった。

色々考えた結果、
やらずにグダグタ言うてても
始まらないし、後悔したくないし
でやりたい気持ちを伝えて
フラフ班のメンバーになりました。

まだまだ持ち上げてただ振る。
だけしかできてないですが、
フラフが気持ちよく泳いでるように見えるように振れるように頑張りたいと思います。

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お披露目でもたせてもらえました。

~最後に~
ぴとぅと言うチームはやりたい事を応援してくれるあったかいチームだと思います。
それは出逢った2004年からも代わらない
コンセプトにもある『目には見えない思いのつながり』がそれぞれの心に自然とあるんだと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

「夢源風人」に出会って人生が変わりました。

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っていうタイトルにすると詐欺広告みたいですね😅

皆さんこんにちは。

夢源風人のフラフ班で活動をしています、やっちゃんと申します。

さてさて今回ブログのバトンがまわってきたわけでありますが、率直な感想を申し上げますと

「何書いたらいいんじゃ〜い(´Д` )」

といったところであります😅
なにせワタクシ、ぴとぅに入ったのが1年半ぐらい前で、チームに在籍している年月=コロナ禍での自粛期間という壮絶な人生・・・いや、ぴとぅ生を送っているわけで、練習以外に人前でメンバーとしてフラフを振ったのが、まるまんてんのお披露目1度のみ💧1年半も在籍してるのに他のメンバーとあんまり顔を合わせてないので、なかなか名前と顔を一致させるのも一苦労というワタクシ。

そんなワタクシに書けることと言えば、夢源風人というチームとの出会い、そしてメンバーとして参加するに至った経緯でしょうか?

まだまだ「お前誰やねん」と思われていそうな気がする幽霊部員的な何か(笑)のお話ですが、気になったら最後まで見てやってください。長いですが(´∀`)

◯夢源風人というチームとの出会い
夢源風人というチームと出会ったのは3年前の6月、いずみよさこいでした。それまで生でよさこいを見たことはなく、更に関西圏にチームが存在することすら知りませんでした。よさこいは以前から知ってましたし、なんだったらまあまあ好きでよく動画も見ていて、関連のアニメなんかも見ていたのですが、高知のお祭りであるという先入観と自身の想像力のなさから、大阪でよさこいの祭りやイベントがあることを全く知らなかったのです😅

その日はたまたま仕事でお祭り会場であるエコール和泉に行っていて、仕事終わりにほんとたまたま通りがかっただけ・・・のはずだったのですが、そこで目と耳に入ったのは賑やかな音楽と威勢の良い煽りマイク、鳴子の音色とそれを鳴らす綺麗な衣装を着た気持ちの良い笑顔の踊り子さん達、そして観客の頭のすぐ上を通る「夢源風人」と大きく書かれた迫力満点のフラフでした。

もちろん一瞬で観入ってしまい、他のチームの演舞も見たかったので、そのまま祭りの最後まで夢中になって観ていました。その日は仕事でものすごく嫌なことがあったのですが、それを忘れるぐらいの元気と夢源風人の団扇を貰って帰ったのを今でも鮮明に覚えています。

◯よさこいをやってみようと思ったが・・・
いずみよさこいの日の夜、大阪でもよさこいができると知った私は、自分もやってみたいという衝動に駆られました。できればフラフを振りたい、最初は祭りで振れなくてもいい、練習していつか振れるようになりたい。そう思い立ったが吉日(?)早速自分が見たチームのことを調べました。団扇を見ながら「夢源風人」ってなんて読むの(´Д` )とか考えながらグーグル先生に聞いてみると、まあたくさん出てくる出てくる😅写真や動画、そして発見しましたホームページ 。早速チーム加入の条件や練習日をチェックしました。しかしながら残念なことに、夢源風人に加入するにはなんとかしなくてはいけない大きな問題があったのです。

当時私が働いていた会社は所謂ブラック企業で、練習にほぼ参加できないという難題が。やったことのないことをするのに練習に参加できないのは致命的。相談すればなんとかなったかもしれませんが、その頃は相談できるという考えが働きませんでした。そして夢源風人への加入は断念。しかしよさこいへの想いは捨てきれず、練習に参加できて仕事と両立できるチームを探そうと考え、実はいずみよさこいで気になっていたもう一つのチームを調べたところ、条件にバチっとハマったのですぐに見学→加入になりました。それが今でも所属させていただいている「舞心座蒼(まごころざそう)」というチームです。

◯初めてフラフに触れた瞬間
しかし蒼にはフラフがなく、踊り子として練習する日々。ですが例えフラフが振れずとも、祭りやイベントに参加できなくてもよさこいができるということが幸せで、毎日暇さえあれば練習したり、色んなチームの動画を見て勉強したりと日々の生活が大きく変わりました。もちろんぴとぅも忘れてません。参加する祭りやイベントが蒼と同じときは、可能な限り観に行くようにしてましたし、そうでなくても休みの日で「◯◯でぴとぅが観れる」という話を聞けば、必ず足を運んでいました。

そんな折、あるご縁からぴとぅのフラフ師海人さんがフラフの練習会を開くという噂を耳にしました。私がフラフを振りたいのを知っていた知人が「行きませんか?」と誘ってくださいました。もちろん「はい!行きます!」と即答でした😃

練習会当日、初心者の私は、最初綿旗ではなくポンジという軽い素材の旗を持たせていただき、練習をしていました。なんとか基本の8の字で旗を動かせるようになったので、一旦他の方と交代し、休憩をしていたのですが、たまたま海人さんがぴとぅのフラフを振っていたので眺めていると、不意に目が合い、何故かすごい勢いでこちらに向かって歩いてきます。そして「はい」と声をかけられて、いきなりフラフをわたされました。もちろん綿旗は初めてで、振ったことなどなかったのですが、ポンジで振れていたのでいけるかもと心のどこかで思っていたのと、憧れのぴとぅのフラフを持たせてもらったことで、無理でも一度は振ってみたいと思い、ダメ元で振ってみたところ、「お、重っ!」と思わず言ってしまったほど衝撃の重さで、なんとか落としはしなかったものの、持ち上げるのがやっと。一振りで腕が死にました😱人生で初めてフラフに触れた瞬間でした😅

◯人生の転機
そんなこんなでフラフ練習会があると参加させていただけるようになり、しばらくしてぴとぅが大東で「郷-Sato-」を披露した後でした。残念ながら大東には仕事で見に行けず、さくらよさこいも参加できなかったため、ようやく生で郷-Sato-を観れたのが三井アウトレットパークのイベントでした。初めて観たときは涙が出そうになり、感動のあまりFacebookによさこいへの想いを綴ったのを覚えていますw今から思えばこれが大きな転機への引き金になったような気がします。

そのあとかえる祭りに参加するも、休みにも関わらず、職場と祭り会場を行ったりきたり、祭りに集中して楽しめない、最後のかえる祭りなのに(´Д` )結局ぴとぅの演舞を1度も観れず、自チームの演舞も1回参加できませんでした。これで完全にスイッチが入りました。そもそも職場で私がよさこいをやっているのを良く思われておらず、馬鹿にされる始末だったので、ものすごく邪魔をされている気になりました。その少し後に紀州よさこいへの参加が決まっていたので、このままでは紀州よさこいも同じことになる。これでは自分の人生においてよさこいを楽しめないと思い始め、気づいたら会議で辞める宣言してました😅そして引き止められるも半ば強引に退職届けを出し、今の仕事に転職。人生の転機が訪れた瞬間でした。

◯憧れのチームへ
ここから急に運が上向き始めました。まず紀州よさこいでなんと憧れだった海人さんがヘルプでフラフを振ってくださることになり、更に「2日目の1回目の演舞で振ってみないか?」と声をかけてくださいました。急遽のことでしたが、チームの代表に許可をいただけたので準備をして会場へ。後にも先にもあれほど緊張したことは今までありませんでした。そしてその祭りの最後に「一緒にぴとぅで振らないか?」と・・・。転職先は練習にも祭りにも存分に参加できる環境。断る理由はありませんでしたので、蒼と掛け持ちで参加したい旨を伝えると、最初「それはちょっとなあ」という返事。しかし、そう言っていた海人さんが色々考えてくださり、なんとか掛け持ち参加でオッケーになり、晴れてぴとぅのメンバーとなりました。初めて夢源風人と出会い、1年半後のことです。

◯最後に
めっちゃ長くなってしまいましたが、いかがでしたか?実は私のよさこい歴=夢源風人と出会ってからの年月なのです。そして自分の人生において、何かしら重要なタイミングでぴとぅが関わってくるというのは、これはもう運命なのでは?🤤

まだまだコロナ禍で色々自粛中ではありますが、あの日見た夢源風人の演舞で元気をもらったように、「自分の演舞を見た人が元気になる。」そんなよさびとを目指して日々精進してまいります💪早く皆さんと祭りやイベントに参加できる世の中が来ますように!やっちゃんでしたノシ

ぴとぅとの縁、つながり

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初めましての方もそうでない方も
こんにちは!
夢源風人専属でフラフを振らせていただいている海人(かいと)です!
拙い文章ではございますが、最後まで読んでいただけると幸いです。
まず初めに「フラフッテナニ?」という方のために軽くご紹介。

フラフの由来

フラフは、オランダ語で旗を意味する「vlag」が外来語として定着したものといわれています。
また英語の「Flag(フラッグ)」が土佐流に訛り、フラフと言われるようになったという諸説もあります。
よさこいの本場高知県東部では、長男が丈夫に育つことや、健やかに育つことを願って母親のお里の家紋を染め抜いて、お里から贈るという慣習があります。贈られた家では端午の節句に庭先に長さ15mほどの竿を建て「フラフ」を
鯉のぼりなどと並べて、7歳まで掲げています。
明治元年創業 北村染物展の四代目
北村文和氏によると、二期作が盛んだった
香長平野を中心とする地域で、明治30年代後半から盛んになって、大きさや絵柄の勇壮さを競い合うようになり、現代にまで続く初夏の風物詩となっているそうです。

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フラフについての動画リンク貼っておきますね(^^)https://www.youtube.com/embed/2N3rXEzZ53k?rel=0https://www.youtube.com/embed/uo06g8W-F8U?rel=0https://www.youtube.com/embed/tdiPKl-Z914?rel=0https://www.youtube.com/embed/0zAd_-fTQnM?rel=0

フラフの分類

フラフには大きく分けて2種類のものが存在します。
先ほど紹介した子どもの健やかな成長を願い端午の節句に掲げられる「フラフ」

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制作技法はフラフと同じ手描き手染めで、素材は綿で出来ており、よさこい祭りなどで用いるために作られたチーム名が入っている「よさこいフラフ」

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「用途の違い」で考えるとわかりやすいですね!
※化学繊維(テトロンポンジ、トロピカル)などの旗はフラフとは呼びません。
大漁旗も素材が綿や手描き手染めの物がありますが、フラフとはまた別の括りになります。

とりあえずフラフの説明はこれくらいにしときます!
軽くご紹介と言いましたが長くなりましたね、すみません!
次はよさこいとの出会いについてです!

よさこいとの出会い

遡る事7年前 2014年5月3日
夜中に友達から、明日名古屋行かへん?と連絡がきて、要件を聞かずに行くと即答しました。
翌日バスの中で愛知県名古屋市で開催されている「よさこい夢まつり」というお祭りに参加するということ、僕にチームスタッフとして参加してほしいということを知りました。
「よさこい」というものを聞いたことはあるけど見たことはない、程度で参加したお祭りで
特に印象に残っているのが鯨が描かれた旗を振っていた「國士舞双」さん、白龍、武将が描かれた旗を振っていた「乱痴気」さんでした。
粋で優雅に、まるで生きているかのような旗を見て、すごく心を惹かれたの覚えています。
数年後、同じステージでこの方達と一緒に
フラフを振っているとは当時思いもしてなかったです笑https://www.youtube.com/embed/2NIPn8mYVX8?rel=0https://www.youtube.com/embed/vgg-3gY1Ruw?rel=0

ぴとぅとの出会い

2016年に当時自分が在籍していたチームに
夢源風人現代表の佳奈美さんが踊りにきたのがぴとぅを知ったきっかけです。
初めて演舞を見たのが2016年に開催された大東ふれあいフェスタでの「あふさかん・シンフォニー」
曲、振り付け、衣装、煽り、隊列美、一人一人の踊り子さんのレベルの高さ、全てに魅了されたのを覚えています。

月日は流れ2017年9月
フラフを振らせてもらえるチームを探していた僕は、以前心を惹かれた夢源風人の練習会見学へ。
フラフへの想いを伝え、フラフの代金は全て実費でいいのでこのチームで振らせてほしいと
伝えました。
結果的にフラフをチームで制作してもらえる事に。
見ず知らずの人がやってきて、フラフを制作して振らせてくれるチームはまずないです。
やる気や熱意を持ってる人に対して全力で応えてくれる素敵なチームだと思いました。

制作開始から2ヶ月後、届いたぴとぅフラ

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当時のML。
デザインはぴとぅのコンセプトでもある
「目には見えない思いのつながり」
自分が入会した時に作ってもらった思い入れのあるフラフ、これからも大切に振らせていただきたいと思います。

最後に

ぴとぅメンバーの中で何かをやりたい気持ちを持っている人は勇気を出して一歩踏み出してみてください。
夢源風人は本人にやる気、熱意さえあれば最後まで見捨てず、その気持ちにしっかり応えてくれるチームです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

とばさんです!

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こんにちは

夢源風人の写真部で活動してます「とばさん」です。

いつもお祭りやイベントの時にはカメラ持って会場をふらふらしているので
馴染みがない方もいてるかと思いますが一応メンバー登録はさせていただいてます(笑

まずよさこいを最初に知ったのは2013年のKOBEALIVEかな~
知り合いの人が「よさこい踊ってるので1回見に来て~」っと言われふらっと見に行ったのがきっかけです。

2013東京よさこい なな丸隊東京よさこい なな丸隊


2014年にはKOBEALIVEと第11回泉州YOSAKOIゑぇじゃないか祭りは少しだけ見に行きました。
この頃撮影などは、ほとんどしていませんでした。
てか、チーム名等々も全く分からずに見ていました(笑

2014みつば家

みつば家さん

2015年には撮影するのに興味が出来てしょぼい機材を購入しました。
一眼レフを使って写真を撮るってのは、十代の頃アイドルを撮ってた時以来でしたので機材の進歩にはびっくりしました。
アナログ時代の機材から一気にデジタル機材に・・・わけわからん状態でした・・・
まぁそんなこんなで2015年にカメラを持って撮影を開始しました。


んで、ぴとぅを最初に見たのは。第12回泉州YOSAKOIゑぇじゃないか祭りでした。
この頃もまだ全然チーム名とかは把握せずに、適当に色んなチームさんを見て撮ってしてました。
この時の写真をSNS等にアップしていたのがきっかけで、ぴとぅ沼へ入ってきてしまいました(笑

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2015ゑえじゃないか祭り

2016年からはしょぼい機材を処分し、ちょっとこましな機材をそろえてのよさこい撮影が始まりました。(機材のアップデートはちょこちょこしています)
またこの年の夏からスタッフ登録をして現在へ至ります。

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2016よさこい祭り 全国大会

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2017さくらよさこい

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2018能登よさこい祭り

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2019年第66回よさこい祭り

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2021お披露目inりんくう公園 石舞台


また、みんな笑顔で会える日を楽しみに待ってます。

このWebサイトはぴとぅ広報班が管理しています。
よさこいがなくても生きていけるけど,よさこいがあるから人生は楽しい。
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こんにちは,うっでぃです。
気付けばぴとぅに出会って丸10年,ぴとぅに来るようになって,今年で10年目。
すっかり古株の割にコミュ力が低く存在感の薄い僕ですが,この度ブログの声がかかったので,書きます。

場さえいただければ割とよくしゃべるので長くなると思います。


祭りと踊りは自己表現方法の一つ

地車が盛んな地域で育った僕にとっては,お祭りは小さな頃から身近なもので, 毎年やってくるのが楽しみな日。

小学生の頃は今にさらに磨きをかけた真面目少年で,先生や他の子からも「良い子」としてみられることに全力で生きていたので、学校ではあまり自己主張できず,素も出せずにいた。

けど,家に帰ってから兄や仲の良い友達と遊ぶときは人が変わったようにしゃべるし,遊びまわるし,それなりに行動的な面もあった。

そんな僕にとっては,祭りの日はめずらしく自分の素を出して,ありのままになれる日。
ある年の地車祭りで普段あまり話さない同級生と会ったときに,「めっちゃしゃべるんやね!普段と全然違って別人みたい!」と、言われたことがあった。

自分を知ってもらえたような気がしてうれしかった覚えがある。

祭りとよさこいが好きなことの原点はここにあるのかなと思う。


そんな自分が踊りに初めて憧れを持ったのが,小5の時。
地元の小さな祭りで当時中3の兄が,学校の行事の一環で「南中ソーラン」を踊るのを見たときだった。


普段見せないくらいの笑顔で踊る兄と,何より大人数で踊るカッコよさに圧倒され,「自分も中3になったら絶対に南中踊る!」と心に決める出来事になった。

時が経ち,自分も中3になる。伝統としては残っていたけど,有志で声が上がれば文化祭で踊るというような形式に変わっていたので,声が上がらなければ踊ることはない。

普段はあまりガツガツ前に出ることはなかったけど,このときに限っては誰よりも先に学年の皆に声をかけて先頭に立って頑張ったことを覚えている。

迎えた本番はとにかく夢中で心地よくて,大人数で一つのものを作り上げる達成感と踊ることの楽しさを強く感じた。

おとなしかった自分が、踊りを通して変わったと感じられる経験になった。


よさこいと夢源風人との出会い

よさこいとの出会いは大学時代のサークル。

新歓のときに先輩が踊っていた南中をみて、中学の記憶がよみがえり,再び踊ることへの憧れが強くなって,入部(入サー?)。楽しくて仕方なくて、それからはよさこい沼にハマっていった。

学生時代の自分は今の自分からすると考えられないくらいのよさこいバカで、毎日自主練は当たり前だったし,他チームにいろいろ行ったり,県外の祭りにもいろいろ参加したり,他大の友達には「どこ行ってもおるな(笑)」と言われたこともあった。


当時できた繋がりが今も続いていたり,踊ること以外のよさこいの楽しみを知れたので,人見知りなりに顔広げててよかったなぁ,と思うことは今でも多いです。
ぴとぅを通して再会した人も実はそこそこいるのがけっこう嬉しい。

そんな感じで沼にハマりにハマっていた当時は,走って間に合うところならすべて参加するほど総踊りが大好きで,2011年の神戸よさこいでは,それなりに距離のある会場でもとりあえず走って総踊りに参加していた。


日が暮れてその日最後の総踊りに参加するべく高浜岸壁会場にいたとき,衣装に目を惹かれたチームを発見。

当時は高浜岸壁会場は大阪湾をバックにしていたので,真っ黒な背景に,衣装の明るい色がとても映えていて,目を奪われた。

そして曲がかかると,曲にも踊りにもすぐに心を奪われて,「このチームで踊ってみたい!!」と一瞬で虜になった。

それが夢源風人との出会いだった。

☟当時の動画
https://www.youtube.com/watch?v=46dwg2y3yrc

その年のぴとぅに参加していた大学の先輩がいたので,間をとりもってもらう形で連絡し,冬頃にぴとぅの練習に初参加することになり,2012年の高知はぴとぅで行こうと決意した。

ぴとぅでの初めての演舞は2012年,「かざぐるま」。

この年の地方車は風車数百本で作られていて,見ていても涼しく、綺麗で、すごく思い出深い地方車だった。本祭1日目の夜に大雨が降ったときには水車になった。圧巻だった。

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初めての高知はとりあえずすべてがキラキラしていて,「終わるな,終わるな」と思いながら踊っていた覚えがある。


高知の魅力に触れて,また帰ってきたいと思える場所になった。

翌年から正式にぴとぅのメンバーとなり、多くの人に出会って、いろんなことを経験させてもらい、たくさんの思い出をもらった。

ぴとぅに入って自分の人生は大きく変わった。入ってよかったと心の底から思う。

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よさこい観が変わった千賀先生の言葉

2014年に初めて先生練があったときに,千賀先生にもらった言葉が,今の自分のよさこい観になっている。

「よさこいが苦しくて嫌なら離れたらいい。それでもいま皆が踊っているのは,みんなよさこいが好きだからでしょう。よさこいがなくても生きていけるけど,よさこいがあるから人生は楽しい。」

この言葉は当時も心には響いたけど,一番よく感じたのはよさこいを始めて以降唯一踊らなかった2017年。
踊りに対しての気持ちがよく分からなくなって,苦しむくらいなら一度離れようと,思い切って離れてみた1年。

それからカメラにハマったり,旅行にハマったり,今までやりたかったけどしていなかった趣味に身を投じようと,1年を過ごしていたのだけど,8月になって,よさこい祭りが近づくと,やはり気持ちはよさこいに流れ,祭りの3日前くらいに見に行こうと決意して,8月10日には高知にいた。

そこで感じたのは,踊っている人たちがうらやましかったことと,自分はやっぱり見るより踊る方が好きだな,ということ。その夜は,踊らなかったことを後悔して,いっぱい泣いたことを覚えている。

だから,その翌年また高知に踊り子として帰れた時は,それまで以上に踊れることへの喜びが感じられた。踊らない1年があったからこそ気付くことができた気持ちだから,今はそういう意味ではあってよかった1年かなと思う。

今は昔ほどの熱意はないし,踊らないでいたいと思う時もあるけど,嫌いになったわけではなくて,距離を取りつつずっとよさこいが好きな中で日々過ごすことができている。少なくとも,この先よさこいのない人生は今は考えられない。
よさこいのおかげで今の人生すごく楽しいです。


特に自分に当てはまるのだけど,一度よさこいから離れてからもう一度戻ろうと決意することにすごくエネルギーのいる人もいる。でも,その一歩が踏み出せたらまた楽しい世界の中に飛び込める。

今よさこいからすっかり離れていて,心のどこかで「もう一度踊りたいな」って少しでも思っている人がいるなら,ぜひ一歩踏み出してみてほしいと思う。

よさこいがなくても生きていけるけど,よさこいがあるから人生は楽しい。

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