踊ることは生きること

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ベビーが生まれるのが先か、ブログ書き上げるのが先か—
と言われ、慌てて書き始めています。ぜろです。広報班として主にInstagramの更新をしています⭐︎

ブログの締め切りが予定日6日前。
ブログが公開されるころには、ベビーも公開されてるかもです。

4代目のわたし

よさこいと出会うまでが長かった、わたし。
ちゃんと鳴子を持って踊る「よさこい」を踊ったの、わりと最近です。

わたしと「踊り」との出会いは、幼少期。
物心ついた頃から「踊り」がすぐそばにある環境で育ちました。
日本舞踊や民謡が好きでお稽古に励み、踊ることが大好きな家族。
曾祖母、祖母、母と続き、4代目のわたし。
「足が痛いから、今日のお稽古は見に行くだけ」
と言って出掛けたのに、がっつり踊って帰ってくる祖母。わかる。
事あるごとに、「頭痛は踊ったら治る」という祖母。それも、わかる。
しっかり隔世遺伝してます。
ちなみに母は共感できないらしい。たぶん、それが普通。

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ちょうど50歳離れてる、祖母とわたし。
祖母は今もバリバリ踊っています!

初舞台は3歳くらい。
やりたい放題だったみたいだけど、地元の民謡、宮津節を踊り(?)ました。
ーやりたい放題だったみたいだけど。
そこから日本舞踊と三味線をはじめ、気付けば高校を卒業するまでずっと続けるほどにのめり込む。
辞めるという選択肢はなくて、受験や足の手術をはさんだりしたけど、生活から切り離すことはありませんでした。

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「汐汲」 高校2年生のとき

日本舞踊の次は、、、

大学は地元と離れてたところに進学したので、やむを得ず高校卒業とともに習い事はすべて卒業。
学生生活、何しよう—
大学でも踊ろう!絶対!どこで踊ろう?と「踊る場所」探し。
部活・サークル紹介を真剣に見て、心惹かれたのはチア!
(…日本舞踊どこいったん?)
仮入部期間はずっとチアでしたが、入部寸前で練習が週7であることを知り、断念。
週3って言ってた…のに…
勉強や実習との両立が不可能だと思ってチアを諦め、友達が行っていた「京炎 そでふれ! 京小町」に体験もせずに気づけば所属。

わたし、当時はすごく省エネで、勉強や実習に力を入れていたため、そこそこの参加率。
踊れたらそれでいい!というくらいの勢いで、しばらくは練習だけ参加していました。
エンジンがかかったのは、入部から5ヶ月後くらいの神戸よさこい参加後からだったような気がします。(どまつり、こいや祭りを華麗にスルー。)
それからは、お祭り楽しくて、実習中であろうが土日にお祭りがあれば出てました。

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「ほな、おおきに!」ってしてました。

初めての高知

そして引退&卒業。
また「踊る場所」を失い、転職先を探すかのように次の「踊る場所」を探しました。
社会人1年目。新しいチームができると耳にして見学へ。
練習場所近い!という理由で「かんしゃら」に加入。
実はここで初めて鳴子に触る!高知でよさこい祭りがあることをちゃんと知ったのも、このとき。
他のよさこいチームのことも、全然知らなかった。
当時、ぴとぅのことは知っていたけど、「大阪城公園でのパレード練で正面から向かってくるチーム」、「たぶん大人数のチームであること」くらいしか知りませんでした。
「かんしゃら」では、インストも経験させてもらいながら、解散(後に復活)の2015年までお世話になりました。

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初めての高知 2013
会場移動は電車と徒歩でした(!)

ぴとぅとの出会い

そして翌年は、「よさこいチームそら」で高知へ。
オフシーズンを迎える頃の四日市よさこい。
終わったらどうしよっか—

そう思いながら雨の中見た、自分たちのひとつ前のチームの演舞が忘れられませんでした。

『夢源風人 2016 あふさかんシンフォニー』

なにこれめっちゃ楽しそう!こいやでも見たけど、やっぱり楽しそう!
ここのチームで踊ってる全員が肯定され、認められて、楽しそうなのが伝わってくるのは何??
すごいことじゃない?
と、びっしょびしょになりながら見ていました。


そして次の「踊る場所」を求めて。
人見知りなわたしは、大人数のチームの体験会に行くのは相当なハードル。しかも1人で。
でも踊りたいから、と、腹をくくって心機一転、新たな気持ちで送った体験会行きたいですメール。
あだ名も記載しなくていいや、新たな気持ち、大事。と思って本名で送信。


しかし、返ってきた返事を見て驚愕。

「ぜろやんね?」

え、なんでバレてんの?
本名だけでなぜかあっさりと身バレする。
当時副代表のあきべーさんに、スマホ越しにちょっとキレました。

体験会は本当に楽しくて。
新しい世界でした。本当に。
かなりの人見知りなので、体験会に行くのは相当不安だったけど、
当時の代表、副代表さんに気にかけてもらい、安心して参加できました。
当時の会計のおじさんはちょっと怖かったけど、今はもう話せるよ。

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「ハレ、晴れ」で、ぴとぅデビュー!


そこから足の故障もあり、ぴとぅで高知に参加したのは翌年の2018年でしたが、
高知でのぴとぅの過保護っぷりに度肝を抜かれながら、1年越しの高知を満喫。
また来年、またまた来年。と気がつけばぴとぅも4年目に。
わたし、同じチームで4作目を踊るのは初めてです。

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ぴとぅでの初高知!

わたしが夢源風人に入ったのは、いくら思い返しても偶然の重なり…なような気がします。
偶然の重なりだけど、いつかどこかのタイミングで出会うべきチームだったんだろうな、とも思います。
「踊る場所」を求め続けて辿り着いた場所なのかもしれないけど、それは居心地がよくて、温かい場所。
踊りにまじめに向き合うだけ、でなく、それぞれがいろんな感情を抱いて、思いを感じて、繋がれる場所であることを年々感じています。
25年以上、いろんな踊りに触れてきたけど、踊りとともに感情が色付いていく感覚を味わったのはぴとぅに出会ってから。

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「踊ることは生きること」
と、スヌーピーが言ってましたが、これから踊っていく上でも、生きていく上でも大切な何かに出会えた気がする。
感情を出すのは苦手だけど、楽しんでます!好きです!
まだまだいろんな出会いを、楽しみにしています♡


5代目、踊るかな?

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