BeLOG
どうもあきべーです。
BLOGひっっっっっっっっさびさに書きます。
タイトルは悩んだ挙げ句(3時間くらい)、友達(旧姓:別役)が2004年くらいにベログってのを「ヤプログ! 」で書いていたなあとおもてパクりました。懐かしい。(ただの身内ネタリーク)
ぴとぅでブログリレーなるものをしていて、そのきっかけによさこいを始めたきっかけ、ぴとぅに巡り合ったこと、そしてずっっっとぴとぅ的な話が書ければいいかなと思っています。多分、ぴとぅに入るまでで力尽きます。
どうぞちょっとだけお付き合いくださいませ。
踊りに出会ったとき
僕が踊りに出会ったのは2002年。その当時の僕は、三重県鈴鹿市の鈴鹿高専という学校に在籍しつつ、数学や工学が好きなのに、運動していないことに飽きて柔道部に勤しんでいました。
高専についてちょっとだけ補足すると、高専は高校の世代からスタートする5年制の学校で、わざわざ中学校から5年制に進学するわけだからアクの強い人が集まりやすく、さらにうちのクラスは魅力的な人が多かったのでは、と今でも思っています。
2002年とはそんな高専で4年生のときです。クラスメイトが学祭の実行委員長になったんですね、その時の会議で言った一言が今につながっているんですがすごく鮮明に残っています。
「高専祭(学祭)が面白くない、これをすごいものにしたい。だからしよう。僕がソーラン節を踊りたい、なのでこれは決定でー、うちのクラスは基本全員参加やわ。だからそれ以外にも色々考えていこう(意訳)」
全学生1000人以上の学校で、このしれっといった欲望の発言が僕の人生に大きな影響を与えているんですね、この一言に引力を感じたんです。こんな身勝手でわがままだけど、やりたいことをストレートに伝えて、周りを巻き込む。そんなことがあるのかな!!って。数年後に思い起こせば「よさこい」ではないんだけど、踊りが自分の人生を確かに変えた一瞬だった。
懐かしい2002年頃(実は2003年の写真)。面影残ってますよね。
この一幕があり、そのまま踊るチームとして活動を始めたのが、三重県鈴鹿市の勝山組で、この勝山組の出会いは今も人生の節目に出てきています。人の出会い・つながりって本当にすばらしい。三重の学生チームの極津や天狗ぅ、鈴鹿の地元チームのめっちゃええやんずや、よさこい塾・ありがた屋にも知り合うことができました。「ありがた屋代表のめちゃさんに今同じ祭彩としてお世話になってるぞ」とか当時の僕に言っても絶対想像できない笑
福井へ行くさ
勝山組を1年やりきったわけだけど、その時は高専を卒業したらどうしようか悩んでいる時期で、学祭で出会ったメンバーとか、もっと勉強したいなとか、色々絡み合って福井に進学することになりました。そして福井で「もっとよさこいしてみよう!」って思ったんですよ。
当時2004年だったんだけど今になって思ってみたら、よさこいって高知以外の土地ではマイナーな趣味ですよね。それでも全国各地でよさこいが出来る、踊れるというのはありがたい事で、人の縁の繋がりを感じました。
そこで第2のホーム、福井大学よっしゃこいに出会います。よっしゃこいは2004年の2月に出来たチームで、4月に加入させてもらいました。そしてありがたいことによっしゃこいの歴代メンバー(現役に至るまで)とは今でも親交があります。2004年に卒業しているので2020年とか干支一回りくらいやん(四捨五入)?。それでもつながってくれていることに本当に感謝しています。もちろん、道を切り開いてくれた先輩もすごい。じゅん(初代代表)、尊敬してるんやで。
高知との出会い。ぴとぅとの出会い
福井に引っ越した2004年の6月、勝山組の友達からの連絡を期に突然の転機が訪れます。
友「高知で踊ってみやん?」(注:三重弁で高知で踊ってみないかい?)
→あ「いいね!行く!」
→友「じゃあ大阪でこの人に会ってきて!おれはおらんけど!!」
→あ「オッケー!!」
これが、僕と高知・ぴとぅとの出会いです(・_・)。
どうやって行く?どのチームで踊る?何日間?いくら掛かるの?
全部無視で、高知で踊るということが決まりました。やっと出てきましたが、その時に出会ったチームが夢源風人(ぴとぅ)です。2004年のこの瞬間から僕のよさこい人生は大きな転換点を迎え、2020年の今に至るわけです───。
この時点で、ぴとぅとして10年以上活動を共にする、かなみとも、たいがとも、はなともまだ出会っていません。
そして大阪へ、ぴとぅと出会い
そして、2004年7月。よさこいおどりたーい!の気持ちだけでぴとぅのメンバーに会いに行くために福井から大阪へGoです。
その頃って、携帯電話はありました。メールもGMailとかではなく携帯会社のメールアドレスです。現Softbankが、今はなきJ-PHONEからVodafoneに社名変更されメアドはまだ”@jp-c.ne.jp”でした。懐かしいと思った人は仲間です。
GoogleMapもなく、LINEもなく、あるのは電話とメールだけ。顔もわからない人と待ち合わせ。社会人のチームと聞いていたけど、どんな人かなって思って、ヨドバシカメラ梅田に当時あった千房で待ち合わせ。なんかわからんけど探してたら”YOSAKOI SORAN”って書いたシャツを着た人が登場。あっ、この人やなって思いました。笑
それで初めて練習行くやん?踊れないんですよね。もう本当に。鳴子の鳴らし方もろくにできないし、動きのタイプも勝山組やよっしゃこいでやっていた事と全く違う。当時は動画配信もなかったので、VHSのビデオをもらって、自主練って感じだったなー。動画だけで踊りを覚えれる人、ホントにすごいぜ。覚えれたかというと、全く無理だったから、割と頻繁には大阪に通いましたよ。えぇ笑
当時は地方車手作りだったよ
そして初めての高知へ
いよいよはじめての高知。正直ね、正直あまりよく覚えていないんだ。爆発的な印象だったというより、ああ、ここ踊っていて楽しいな。いろんな人に会えたな。色んな人の力で、踊れているんだな、とかは強く覚えている。
でも、これのここがこうだった!とかあのチームがめちゃくちゃ良くて心奪われた!!ってのは覚えていなくて、一つだけ今もずっと覚えているのは
当時の代表のあかざわさんが、あまり前に出て喋ったりする人じゃなかったんだけど
「目には見えない思いのつながり」
って言葉についてぽつぽつ喋ってくれてたのは覚えているな。
他にも、最初にチームに紹介してくれたダックや、頑張ってくれていた副代表、遠方サポートをしてくれたインスト、その時はイケメンオーラ出していたみっつん、たくさんのぴとぅメンバー、一緒にぴとぅとして踊った夢道源人の子、東京学生生っ粋の子、欅の子、などいろんな人に会って、話して、踊って、いろんな人のつながりをこのチームは作ってくれたなと思ってた。
「目には見えない思いのつながり」
この言葉と集まるみんなが心地よくて、今も僕はぴとぅにいるんだなって思う。
こんな所で、うちの第一回のブログはおしまい。続きが書けるかは今後次第だけど、できれば書いていきたいな!見てもらってありがとうございました!
あきべー