Archive: 8月, 2020

-むねお 勇気を出して、ここにいる話-

ぴとぅブログリレー、今回の当番は、むねおです。

初めましての方は、初めまして!ネット上でしかご挨拶できていない方も含めて、そろそろ皆に会いたいです!
近況をまったく知らない人ばかりですが、みなさん元気にしてますか?

まず自己紹介

むねおです。ぴとぅ2年生です。(よさこい3年生のぺーぺーです)
東海支部(支部長(^^;))、ウェルカム班、カメラ部、メディカルチーム(最近できた)に所属しています!え、こうやって見ると所属多すぎですねw
練習期間中は、名古屋→大阪に月6-8回通う愚か者です(‘ω’) しょっちゅういますけど、名古屋在住なんです。夜勤明けでも行くので、それなりにコンディション悪い日が多いですw

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今回ブログ当番を担当させていただくのにあたって、まー考えました。
書くなら結構重い話も書くのかなと自分の中で思うので、あんまり見たくなかったり興味の無い方は、読まずにおいてください(*’▽’)

ぼくとよさこいとの出会い

ぼくは典型的な『よさこいを踊ってる踊り子に元気をもらった人』です

愛知県出身のぼくにとって、『よさこい』=『どまつり』でした。
高知が本場っていうのは知ってました!が、教科書で『本場のよさこいは高知』って習ったくらいの知識。
名古屋でどまつりが始まったのは1999年、当時大学生で愛知にいなかったぼくが最初にしっかりどまつりを観て感動したのは2004年。いろいろあってニートになって、割といろいろ落ち込んでいたぼくが、『よさこいに感動して元気をもらった』初めての経験でした(*^^*)
たぶん初めて観たのは『笑“』さんの演舞だと思うんですけど、

「なんだ!この楽しそうな人たちは!」

と衝撃を受けてから、『よさこい』に何となく興味を持つようになりました。
そして、この演舞を観たのをきっかけに将来のことを前向きに考えられるようになり、結果いまの仕事に就きました。

続ける勇気を持てなかった当時

そのあとなんだかんだあって、2012年のどまつりを観て凄くカッコいいチームがあったので、思い切って某どまつりチームに入ろうと2チームほどチャレンジしてみたのです。結果、お仕事と両立できずに諦めたんですけど(‘_’)
飛び込む勇気はあったけど、続ける勇気が無かったと、いまでは思います。
当時、もし軌道に乗っていたら、もしかしたら夢源風人には興味を持たなかった…かもしれないです。

高知に初めて行ったのは2013年の夏。
そこで初めて観た本場のよさこい祭りは、なんてゆうか感動的でした。追手筋で泣きながら踊る姿を観て、「世の中には、大人でもこんなに夢中になれることがあるんだ!」と驚き、また行きたいと強く思いました。

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当時とても印象的だった、能登和っちゃさん

次に高知に行ったのが2017年。
そしてその年、夢源風人と出会いました。

夢源風人との出会い

2017年、その当時『も』ぼくは無職でした(‘_’)笑
その頃は、まあ相当に病んでたとゆーか、表現は難しいですけどまあ病みきってました。
この年に高知に行かなければ、今、どうなっていたんでしょう?生きていないかもしれません。
色んな目的を失っていて、リフレッシュ的に各地のお祭りを巡ったりした中で「ああ、もう一度だけ本場のよさこいを観たいな」と思い、立ち寄った高知。そこで出会った、一際目にとまるチーム。カラフルな衣装、素敵な曲と笑顔、

『夢源風人』のチーム名に一瞬でココロを奪われました

当時は全然よさこい祭りのシステムを知らず、高知のチームだと思い込んでいたけど、調べてみたら実は大阪のチームとゆーことを発見。「また観たい!」と思い色々な祭りを追いかけて、結果その年はただのストーカーになりました。当時はご迷惑おかけしました(‘ω’)笑
この出会いをきっかけに、ぼくはよさこいの事を真剣に好きになり、『生きる糧』というと重たい表現なんですけど、沼の底に沈んだ気持ちから浮き上がることができたんだと思います。

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夜の帯筋でココロを奪われた(本人無許可)

そして、踊り子へ…

『高知』が、もう一度入る勇気と、続ける勇気をくれました

そんな流れで、「自分もあんなふうに高知で踊ってみたい!」と思い、再び踊り子に挑戦をしました。
2018年、やいろさん(同年解散)でお世話になり、下手っぴながら何とか1年乗り切りました。
よく言われた事は『むねお(仮)さん、迷子になってます!』
自分でも、よくやれたなと思うし、よく最後までやらせてもらえたなって思います…(‘_’)
できない部分はとにかく練習したけど、とりあえず体力だけはつきましたw

踊り子として迎えた初めての高知は、狂ったように暑くて、帯筋で意識飛んじゃうんじゃないかと思ったり、夜の商店街が美しかったり、最後の追手筋で号泣したり…
2013年に追手筋で観た涙を流しながら踊る踊り子さんと、同じように自分も踊っていました。
高知は、踊り子として参加しても、やっぱり最高でした。

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名古屋から高知に来てくれた後輩ちゃん。まさか本当に来るとはw

そしてついに、2019年に夢源風人に参加しました。

夢源風人に入るのは、小心者のぼくには勇気が必要でした

やいろさん解散パーティーで『来るよね???』と、一部のぴとぅメンバーからグイグイ来られたことは、忘れません…笑(とてもプレッシャーを感じました)
でも、みんな踊り上手いし!すごく表情すてきだし!大阪の人怖いし!w あんな中に入っても、ぜったい足引っ張るし!入りたいけど、入るのにはぼくの中でとても勇気を出した行動でした。
趣味の集まりで『足を引っ張る』というのも不思議な表現ですが、好きであればあるほど、そんな感情は生まれるかもしれません。

案の定、入った当初は踊れなさ過ぎて大いに心配されたと思います(‘ω’)
ここでも同じように、下手なりにとにかく必死で練習しました。
名古屋から通ってるのを言い訳に、なかなか周りに喋りかけられない日々…ようやくみんなと喋られるようになったのって、お披露目の時ですね。やっぱ飲み会の力は偉大ですw

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(ちなみに撮影時の記憶はありません)

でも、続ける勇気を出せたのって、下手っぴな自分に諦めず教えてくれた人や、ビビりで人見知りな自分とも仲良くしてくれた人や、なによりも『高知の楽しさ』とゆーご褒美があるから頑張れたのかと思います。あと、大阪の人は怖くありませんでしたww

よさこいを始めたことで世界が広がったことを実感してるし、知っている人が客席にどんどん増えて、自分を見て笑顔をくれるって、とても幸福なことだなって思います。夢源風人に入ってからは、より世界が広がったのを、とてもとても実感しています。
よさこいに関わった期間は短いけど、もうよさこい無しでは生きられない身体になってしまいました(‘_’)

東海支部に込めた願い。

2019年の7月の某日。
現代表のかなーみさんから「東海支部、やらん?」と声をかけられたあの日、忘れません。
それまでも、なんとなーく東海支部の話はいただいてました。
でも、正直あんまやる気なかったです(‘_’)
自信なかったし。あ、自信ないのは今もですけど。
自分にとって救いとなったのは、『支部をどういう形でつくっていくか』と具体的なテーマを与えられなかったこと。いまでも、それについて誰かと明確に話したことはありません。だから、ここで初出しになりますが『誰かの居場所』をつくる事が、ぼくにとって『支部をつくること』になりました。

やってみようかなと思ったのは、誰かのため

表向きにはいろいろと理由を言ってますが、決断した理由は2つ。
地方のメンバーさんのためと、『100年続くよさこいチームをつくる』って願いを聞いたとき、じゃあ100年続くチームをつくるために自分には何ができるんだろうと考え、やることに決めました。
演舞を揃えたいとか、そういうことももちろんあります。
でも、それよりも『支部があってよかった』と思ってもらい、『夢源風人に入りたい・支部があるから続けられる』と思ってもらったら、こんなに嬉しいことはありません(アムロレイ風)

いまのところ、東海支部はほとんど活動できてません…_| ̄|○ 練習よりも、ごはん食べに行ってるほうが多いかも?
最近では、くびれを作るエクササイズなんかしてます!(よさこいは?)
でも、支部を運営することで繋がりが増えて信頼できる人も増えて、今年は大変な年だけど、大変な年だからこそ支部立ち上げて大正解だったなーと思ってます!

支部だけど、夢源風人の中の1人として

今後、支部がどうなるか?は、しょーじき何も決まってません、決めてません。
基本的に、支部はあくまで大阪本体のサポートで、支部だけで祭りに出る事は考えていないけど、支部だけで隊列錬をすこーしできると活動の幅が広がるなーと、勝手に思ってます(*’▽’)
そのためにも、支部をある程度認知してもらえるように活動の記録をリリースしていきたいと思ってます!

今年入った人は、中々モチベーションが上がらないと思うけど続けてほしいですね。
高知は『たまらん』です(東海メンバー談)
なんかもう、すべてが別物。いまは休息期間だけど、せっかく勇気を出して夢源風人に飛び込んでくれたので、みんなで一緒に高知でまるまんてんを踊って『たまらん』思いをしたいです(*^^*)

チームメンバーも、見学者さんも、冷やかしさんも練習会でお会いできる日を待ってます(#^^#)

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支部の練習?風景(‘ω’)

そんな流れで大好きになった、夢源風人。
夢源風人に出会えたから、本当によさこいが好きになった。もう一度、よさこいをしてみたいと思えるようになった。チャレンジする勇気や、生きる活力が湧いた。
いまでは、ぼくのココロの支えになっているし、大切な場所になっています。
だから、ぼくの活動を通じてだれか1人でも元気になってもらったり、よさこいを、夢源風人を好きになってもらったら、それだけでぼくの活動は成功だと思っています(*´▽`*)


たくさん役割があってワケわからないですけど、『目には見えない思いのつながり』を大切に、大阪でも東海でも他の地域でも、同じ『夢源風人』の1人として活動していきたいと思います。

以上、むねおでした。ながーーーい文章、読んでくださってありがとうございました。
また、練習で、飲み会で、祭りで、笑顔で会いましょうね(*^^*)

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また笑顔で集まりましょう!

みっつんのぶろぐ

皆さんご存知、みっつんでございます。

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ぴとぅができて19年。実は今のメンバーで1番古き時代を知っているのはこのみっつんでございます(°▽°)
第一期夢源風人が中之島まつりのステージ出演をした時に当時衝撃を受けた自分はぴとぅ演舞終わった瞬間チームにかけよって行き、入りたい!と伝えて入隊!ぴとぅから離れる事ができない人生が始まりましたw

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20歳の頃の自分は人とコミュニケーションを取る事が苦手な人種で友達も少ない方。消極的な性格を変えたいと思っていた時の出会いでしたね(^^)
ぴとぅに入ってからは、たくさんのメンバーに会い経験を重ね、良くも悪くもこんなんになっちゃいました(๑˃̵ᴗ˂̵)

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その当時の自分は変わりたい一心で活動していて、その気持ちは今でも継続している最中です!
できれば1年に1個くらいは新しい事に挑戦したいと思っています。
飲食店を開いた年、ぴとぅで漫才コンビを結成した年!
今年はLive配信に挑戦したりと!
今の自分を見てもらう事により、世の中の人に限界はないんだという事を今は伝えていきたい。
自分が挑戦している姿を見て、何かに取り組んだり、目標をたててもらう事につながったらな〜と思ったり、思わなかったり!
思わんのかい∑(゚Д゚)(笑)

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いつまでも若くいる秘訣はとにかく新しい事に挑戦していきたい気持ちを持つ事!だと思っていますよ〜(o^^o)

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BeLOG

どうもあきべーです。
BLOGひっっっっっっっっさびさに書きます。

タイトルは悩んだ挙げ句(3時間くらい)、友達(旧姓:別役)が2004年くらいにベログってのを「ヤプログ! 」で書いていたなあとおもてパクりました。懐かしい。(ただの身内ネタリーク)

ぴとぅでブログリレーなるものをしていて、そのきっかけによさこいを始めたきっかけ、ぴとぅに巡り合ったこと、そしてずっっっとぴとぅ的な話が書ければいいかなと思っています。多分、ぴとぅに入るまでで力尽きます。

どうぞちょっとだけお付き合いくださいませ。

踊りに出会ったとき

僕が踊りに出会ったのは2002年。その当時の僕は、三重県鈴鹿市の鈴鹿高専という学校に在籍しつつ、数学や工学が好きなのに、運動していないことに飽きて柔道部に勤しんでいました。

高専についてちょっとだけ補足すると、高専は高校の世代からスタートする5年制の学校で、わざわざ中学校から5年制に進学するわけだからアクの強い人が集まりやすく、さらにうちのクラスは魅力的な人が多かったのでは、と今でも思っています。

2002年とはそんな高専で4年生のときです。クラスメイトが学祭の実行委員長になったんですね、その時の会議で言った一言が今につながっているんですがすごく鮮明に残っています。

「高専祭(学祭)が面白くない、これをすごいものにしたい。だからしよう。僕がソーラン節を踊りたい、なのでこれは決定でー、うちのクラスは基本全員参加やわ。だからそれ以外にも色々考えていこう(意訳)」

全学生1000人以上の学校で、このしれっといった欲望の発言が僕の人生に大きな影響を与えているんですね、この一言に引力を感じたんです。こんな身勝手でわがままだけど、やりたいことをストレートに伝えて、周りを巻き込む。そんなことがあるのかな!!って。数年後に思い起こせば「よさこい」ではないんだけど、踊りが自分の人生を確かに変えた一瞬だった。

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懐かしい2002年頃(実は2003年の写真)。面影残ってますよね。

この一幕があり、そのまま踊るチームとして活動を始めたのが、三重県鈴鹿市の勝山組で、この勝山組の出会いは今も人生の節目に出てきています。人の出会い・つながりって本当にすばらしい。三重の学生チームの極津や天狗ぅ、鈴鹿の地元チームのめっちゃええやんずや、よさこい塾・ありがた屋にも知り合うことができました。「ありがた屋代表のめちゃさんに今同じ祭彩としてお世話になってるぞ」とか当時の僕に言っても絶対想像できない笑

福井へ行くさ

勝山組を1年やりきったわけだけど、その時は高専を卒業したらどうしようか悩んでいる時期で、学祭で出会ったメンバーとか、もっと勉強したいなとか、色々絡み合って福井に進学することになりました。そして福井で「もっとよさこいしてみよう!」って思ったんですよ。

当時2004年だったんだけど今になって思ってみたら、よさこいって高知以外の土地ではマイナーな趣味ですよね。それでも全国各地でよさこいが出来る、踊れるというのはありがたい事で、人の縁の繋がりを感じました。 

そこで第2のホーム、福井大学よっしゃこいに出会います。よっしゃこいは2004年の2月に出来たチームで、4月に加入させてもらいました。そしてありがたいことによっしゃこいの歴代メンバー(現役に至るまで)とは今でも親交があります。2004年に卒業しているので2020年とか干支一回りくらいやん(四捨五入)?。それでもつながってくれていることに本当に感謝しています。もちろん、道を切り開いてくれた先輩もすごい。じゅん(初代代表)、尊敬してるんやで。

高知との出会い。ぴとぅとの出会い

福井に引っ越した2004年の6月、勝山組の友達からの連絡を期に突然の転機が訪れます。

友「高知で踊ってみやん?」(注:三重弁で高知で踊ってみないかい?)

→あ「いいね!行く!」

 →友「じゃあ大阪でこの人に会ってきて!おれはおらんけど!!」

  →あ「オッケー!!」

これが、僕と高知・ぴとぅとの出会いです(・_・)。
どうやって行く?どのチームで踊る?何日間?いくら掛かるの?
全部無視で、高知で踊るということが決まりました。やっと出てきましたが、その時に出会ったチームが夢源風人(ぴとぅ)です。2004年のこの瞬間から僕のよさこい人生は大きな転換点を迎え、2020年の今に至るわけです───。

この時点で、ぴとぅとして10年以上活動を共にする、かなみとも、たいがとも、はなともまだ出会っていません。

そして大阪へ、ぴとぅと出会い

そして、2004年7月。よさこいおどりたーい!の気持ちだけでぴとぅのメンバーに会いに行くために福井から大阪へGoです。

その頃って、携帯電話はありました。メールもGMailとかではなく携帯会社のメールアドレスです。現Softbankが、今はなきJ-PHONEからVodafoneに社名変更されメアドはまだ”@jp-c.ne.jp”でした。懐かしいと思った人は仲間です。

GoogleMapもなく、LINEもなく、あるのは電話とメールだけ。顔もわからない人と待ち合わせ。社会人のチームと聞いていたけど、どんな人かなって思って、ヨドバシカメラ梅田に当時あった千房で待ち合わせ。なんかわからんけど探してたら”YOSAKOI SORAN”って書いたシャツを着た人が登場。あっ、この人やなって思いました。笑

それで初めて練習行くやん?踊れないんですよね。もう本当に。鳴子の鳴らし方もろくにできないし、動きのタイプも勝山組やよっしゃこいでやっていた事と全く違う。当時は動画配信もなかったので、VHSのビデオをもらって、自主練って感じだったなー。動画だけで踊りを覚えれる人、ホントにすごいぜ。覚えれたかというと、全く無理だったから、割と頻繁には大阪に通いましたよ。えぇ笑

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当時は地方車手作りだったよ

そして初めての高知へ

いよいよはじめての高知。正直ね、正直あまりよく覚えていないんだ。爆発的な印象だったというより、ああ、ここ踊っていて楽しいな。いろんな人に会えたな。色んな人の力で、踊れているんだな、とかは強く覚えている。

でも、これのここがこうだった!とかあのチームがめちゃくちゃ良くて心奪われた!!ってのは覚えていなくて、一つだけ今もずっと覚えているのは

当時の代表のあかざわさんが、あまり前に出て喋ったりする人じゃなかったんだけど

「目には見えない思いのつながり」

って言葉についてぽつぽつ喋ってくれてたのは覚えているな。

他にも、最初にチームに紹介してくれたダックや、頑張ってくれていた副代表、遠方サポートをしてくれたインスト、その時はイケメンオーラ出していたみっつん、たくさんのぴとぅメンバー、一緒にぴとぅとして踊った夢道源人の子、東京学生生っ粋の子、欅の子、などいろんな人に会って、話して、踊って、いろんな人のつながりをこのチームは作ってくれたなと思ってた。

「目には見えない思いのつながり」

この言葉と集まるみんなが心地よくて、今も僕はぴとぅにいるんだなって思う。

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こんな所で、うちの第一回のブログはおしまい。続きが書けるかは今後次第だけど、できれば書いていきたいな!見てもらってありがとうございました!

あきべー

私の人生を変えた1時間。

こんにちは!
19期事務局のかほです。
事務局の中で特に文章が苦手なので緊張しながら、このブログを書いています。
拙い文章ですが読んでいただけると嬉しいです。

今回は夢源風人に入るまでのお話をしたいと思います。

私は高知で生まれ、生後6ヶ月頃から大阪で育ちました。祖父母が高知県にいるため、毎年の長期休みは高知に帰りすごしていました。1年の内1ヶ月以上長期休暇などで高知県で過ごすためか、私は高知の人という感覚で土佐弁を話していました。
また、毎年よさこい祭りを帯屋町筋まで見に行き、熱気溢れる踊り子やお客さんを見て、毎年夏は高知県に帰り、よさこいを観に行くことが習慣になっていました。その時はただ、よさこいを見に行くお客さんでした。

↓土佐けんぴを食べてる私(4歳)

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私がよさこいを観る人から、踊るきっかけを作ったのは、母でした。
私が小学2年生の頃、母は地元の人のチームに所属し、よさこい祭りに参加しました。
小さい頃から観ていたよさこい祭りでしたが、いつもと違う母にドキドキ。
中央公園で観た母の姿は私に衝撃を与えました。いつもと違う母はとても綺麗で、とても楽しそうに踊っていた姿を今でも鮮明に覚えています。
母の演舞を待っている際、祖母がよさこい祭1年目の年から何回か踊ったことがあるということを知りました。「祖母や母がやっているなら、きっと私も大きくなったらどこかで踊るんだ」と踊りたい気持ちが生まれました。「踊りたい」と母に伝えると、「お金も時間もかかるから、自分でアルバイトをできるようになってしなさい」と言われました。きっと勢いで踊りたいと言ったことを母に見抜かれていたのでしょう。

↓よさこい祭りの帰りに

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高校生の私は一足早く大学受験が終わり、11月から人生初めてのバイトを始めました。
そして、2015年12月8日。給料の出る1週間前、人生初の給料を何に使うかを考えていました。
「あ、私よさこいがしたい。」
自分の部屋にいた私はリビングにいる母に「私よさこいする!!」と、伝えチームを探しはじめました。
高知県のチーム、大阪のチームたくさんのチームが出てきて、とっても悩んだのですが、
夢源風人の万華鏡の追手筋の演舞をYouTubeで見た際に強く惹かれました。「ここで踊りたい」どんな人がいるんだろうと何個か動画を観てインパクトに残っていたのが追手筋とバサカニで踊っていた大声ダイヤモンドです。
よさこい以外にもこんな風にチームのメンバーと仲良く活動してるなんて素敵だなと思った私はすぐにメンバー登録を送りました。
以下送信内容↓

「一度決めたら最後までやりきります笑 ちっちゃい頃からよさこいに憧れていたので 練習から真面目にやっていきたいと思います‼ 参加できるところは参加していきます 週に一回は参加したいなぁと思ってます 結構活発な方だと思います😁 あとめっちゃしゃべります笑 よろしくお願いします😌✨✨」

今思うと全然かしこまってない、高校生らしい文章なのかなと思ったり…笑

母によさこいをする!と伝えてからチームに入るまで約1時間の出来事です。
母に1時間で決めたことを怒られましたが、今では笑い話です。
万華鏡の追手筋や大声ダイヤモンドを見たのもきっとなにかの縁で繋がってたんだなと思います。
次回はインスト・事務局編です。
次こそは感動的なブログを書きたい😭

万華鏡動画↓
https://youtu.be/3vjy-5mpJeQ


大声ダイヤモンド
https://youtu.be/mr1lWpjm0lQ

人見知り可奈子の一生

こんにちは。
19期事務局のかなこです。
ピトゥタイムズでいつもお世話になっております。

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「ぴとぅとの縁、つながり」を綴るこのブログ企画。

自分の過去をおおっぴらにするなんて、大変こっぱずかしいのですが。
いっちょ、やってみたいと思います。
自分の経験や繋がりが、また誰かの繋がりになれたら嬉しい。

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始まりはエイサー

先日ぴとぅのメンバーさんからサプライズで、モザイクアートを頂きました。そこに隠された私へのメッセージは『歩く太陽』。なんともったいないことば。

今でこそありがたいことに「笑顔が素敵」「顔がうるさい」とよく言って頂けますが、20歳頃までそれはもう、人見知り全開で笑うことがほぼ無く、どの写真を見ても真顔で暗い影が写る子でした。(あまりにも暗くて怖いからここには載せない☆)

そんな大人しくて暗い子が、初めて強く「これがしたい!」と感じたのが、中学生の時に沖縄で見たエイサー。
元々バレエや日本舞踊を習って舞台で(真顔で)踊る機会も多くありましたが、目の前で繰り広げられる迫力ある演舞に、「私がしたいのはこれだ」と目が離せませんでした。大きな太鼓の音に、笑顔で身体を大きく動かして楽しそうに踊る、お兄さんたち。かっこよかった。

今でこそエイサーを踊るチームは日本や世界各地にありますが、当時は沖縄以外にはあまりなく「いつかあんな風に和物で激しく踊ってみたい」と感じたのが始まりです。

『京炎そでふれ!チーム大曇天返し』との出逢い

そんな想いを胸に秘め、暗い自分もどうにか変えていきたいと、いろんな活動をし始めた学生時代。
2008年、京都の新風館。イベントのボランティアをしている時に、会場のステージで踊りが始まりました。
着物風の衣装を着て、アップテンポな曲調に加え激しい踊り、そして聞き覚えのある声……ん、声???
そこで踊っていたのは『京炎そでふれ!チーム大曇天返し』、そのMCを担っていたのが当時知り合ったばかりの友人でした。

大曇天返しPV

(京炎そでふれ!ってなんじゃいな?って方はまた聞いてください。)
そこから、私の人生は大きく変わり始めました。仕事で抜けた時期もあったけど、大曇天返し(以下どんでん)にいた期間トータル6年。
話したらこれまたブログ1個できるくらい長くなるので省きますが、踊っている姿を見たうちの両親が「あんたってあんなに笑顔で踊れるんやな!」と喜んでくれたことが、とても誇らしく嬉しかった。
暗い自分を、少しでも変えることができたと実感したことばでした。

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よさこいを学びたい

どんでんで、踊りの楽しさ・踊りがもたらすエネルギー・そしてそれは見ている人の心を晴らし、その人の向こうにいる大切な人たちまでをも元気にする、ということを体感しました。

もっと踊りを学びたい
もっと多くの人と繋がりたい
もっと多くの人の心を晴らしたい

どんでんを卒業したメンバーが次々によさこいチームに入って高知に向かっている姿を見たり、映画『君が踊る、夏』の影響や、友人が『おどりんちゅ』というチームを立ち上げたこともあり、よさこいというものは少しずつ身近になってきました。

そして2度目の転機。
2015年6月。仕事で国際交流プログラムのスタッフをしていると、なにやら今晩よさこいチームが踊りに来るとのこと。
異文化交流の為にと丁度どんでんの衣装を持参していた私はそれを着て、どれどれと参加者のみんなと一緒に客席へ。
そこで演舞を披露していたのが、夢源風人でした。

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これまで踊ってきたどんでんとはまた違った魅せ方。
「いつか、こんな風によさこいを学びたいなぁ」と素直に感じたのをはっきりと覚えています。
その後は当時のメンバーさんと一緒にうらじゃを踊ったり、はなさんに「他チームの衣装着てうらじゃ踊れるこの人…誰」って目で見られたり、楽しかったです。ええ。

「かなこはぴとぅさんが合うと思う」

でも当時は入会には至らず、チーム名も「漢字4文字の読み方分からんチーム」という認識で、1年が経過した翌年2016年のこいや祭り。

ぴとぅがパレード賞を受賞し、メインステージで受賞演舞を踊ったあの年です。

元どんでんのメンバーが踊っていたこともあり、たまたま見ていた演舞。(昨年見たチームだとはこの時まだ気付いておらず)

演舞が始まった途端、中学生の時にエイサーで感じた衝撃と同じものが身体を走りました。目が離せない。
大勢のお客さんの一番最後列で見ていた為、ステージ上で踊るメンバーさんは本当に米粒のよう。けれど、満面の笑顔で踊る白い歯がはっきり見えて。
こんなに楽しそうに踊るチームどこ!?と改めてパンフレットを見て、そこで初めて昨年出逢っていた『夢源風人』というチームだと気付きました。

よさこいチームを探していた私は隣にいた友人に「ここ楽しそうやなぁ…」と呟くと「うん。かなこはぴとぅさんが合うと思う。」とはっきりと言ってくれ、そのことばに背中を押され、見学に行ったのでした。

(↑初めての見学後に事務局さんに送ったメール)

そこからは、あれよあれよと世界が広がり、文字通りぴとぅやよさこいを通して、日本中や世界の人と繋がることができました。

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やいろの皆さん(上)とスウェーデンで活動している白夜よさこいチームの皆さん(下)

高知のよさこい祭りに初めて参加した時の充実感としんどさは、きっと忘れないだろうなぁ。
ことばを交わさずとも、沿道のお客さんと会話ができた瞬間が確かにあって。そして『踊りは人の心を晴れにできる』と確信を持って言える体験が、高知には溢れていました。
ぴとぅと出逢い、高知に行き、学んだことの多さといったら。踊ることももちろん楽しいけれど、その踊り子を支えるスタッフも、とっても楽しいよ。またやりたい。

すべてのものはつながっている

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私の愛する海遊館に展示されていることばです。

ぴとぅは、求めれば求めるだけ応えてくれる人と環境があるなと個人的に感じています。
また、チームに居る目的はそれぞれであっていいと思っています。踊ることが好き、メンバーが好き、衣装が好き、雰囲気が好き。
ただ、どんな形であれども、今ぴとぅと関わってくれているのならば、私は「このチームに入ってよかったな!楽しいな!」って思える場所にしたい。
だってせっかくご縁があって出逢えたのだものね。

読んでくださっている皆さんもきっとそれぞれの選択や繋がりがあり、今があるのだと思います。
人見知りで笑えなかった私が、踊りを通して、自信を持って笑えるようになったみたいに。
ぴとぅと関わるこの瞬間が、皆さんの素敵な未来に繋がりますように☆

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よさこい未経験のアラサー男が登録2年で事務局に入るまで

はじめましての方もそうでない方もこんにちは。
19期事務局のはじめです。
「ぴとぅとの縁、つながり」をつづるこのブログ企画。
これまでかなり前からぴとぅと関わってきたメンバーの文章が続きましたが、僕はぴとぅ歴=よさこい歴=3年弱とちょっと違うタイプです。

なので、古い歴史を振り返ることはできないのですが、踊りとは縁もゆかりもないアラサーの男がよさこいと出会い、ぴとぅと出会って事務局に入るまでの話をまとめてみました(ぴとぅを知ったキッカケはこれまで話すと長くなるのでネットで検索したことにしてましたが、今回真相を初めてお話しします笑)。

始めたばかりで不安な人や、これから入ろうかなと迷ってる人や運営に興味ある人などなどのみなさんに何かしら参考になればうれしいです。

なお、忙しい人は見出しだけ拾って読んでもらえればストーリーが何となく伝わるようになっております!

『君が踊る、夏』でよさこいを知る

よさこいを知ったのは2010年に映画『君が踊る夏』を見たことがキッカケ。
その後付き合うことになる女の子との初デートに行ったのですが、なぜこの映画をチョイスしたのかは覚えていません。何かの導きだったのかしら。

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映画の終盤。
色々あったけど、溝端クンも含めてチーム全員でよさこいを踊るシーンがとても印象に残っていて、いつか本物を見に行きたいなという気持ちがココロの片隅にありました。

7年後、高知へ

時はたち(映画を見に行った彼女とも別れ)、2017年8月についにその時がやってきました。僕は昔から1人旅が好きで、毎年どこか行ったことのない土地にテーマを決めて乗り込むのですが、2017年はそのテーマを

「四国2大祭りめぐり」

に設定したわけです。
高知よさこい祭り→徳島阿波踊りをはしごするというありがちなプラン。
一回生で見られればOKという軽いノリだったので、どんな会場あるとかは特に調べずにぶっつけで高知へ。

とらっくのトラックに話しかける

1日中色んなチームをはりまや橋商店街で「すごいな~」とか思いながら見ていたわけなのですが、当時「どこいこサービス(どの会場でどのチームが踊っているかわかるサイト)」の存在を知らなかったので、よさこい大賞とか取っている有名チームはどこで見れるのかわからない。

そんな時、はりまや橋筋商店街の近くを「とらっくよさこい」と書いたトラック(地方車という名前は知らなかった)が通ったのです。
歴代受賞チームの表は事前にネットで軽ーく眺めていて、「とらっく」という変わった名前のチームが一時期上位入賞しまくっていたことや、最近は「ほにや」というところが圧倒的に強いということくらいは記憶にありました。

「せっかくだから有名チームも見たい!」

と思って、信号待ちしていた「とらっくの車」の方に走って近づき、運転手の人に

「次はどこの会場行くんですか?」

と聞いたところ、

「中央公園やき(語尾はわすれました笑)」

とのこと。親切な高知の人々に聞きながら夜の中央公園へ。
そこで見た夜の巨大ステージと演舞が僕の人生を大きく変えていくことになります。

はりまや

とらっくの車に話しかけた道路

『鯨波(とき)の声』の衝撃

本祭2日目の夜の中央公園は受賞チームの演舞の連続でした。
とらっくよさこいを無事見た後に登場したのが名門・旭食品。
2017年金賞受賞演舞・鯨波(とき)の声(youtubeに飛びます)。

ダンスとの出会い

こういう感じになりました(イメージ)

ちゃんと踊りを見たことなんてない自分でもすごさがわかる圧巻の演舞で、言葉が出なかった。ここまで1日見ていたよさこいとは全く別の物に思えるほどの衝撃を感じました。
代表の記事や虎日記にも似たような場面がありますが、誰しも一度は通る道なんでしょうか。

大阪に帰った後、旭食品は女性のみで構成されるチームで、メンズは入れないと知ってとても残念に思ったものです。

十人十彩のミーティングに潜入

最後に登場したのが、言わずと知れた十人十彩(知らなかったけど)。
演舞も感動してその後、旭食品と同じく100回以上動画見ることになるわけなのですが、印象に残ったのはお祭り終了後のミーティング。
総踊りまで見終わって中央公園を去ろうとしていたその時に、さっきまでステージで踊っていた皆さんが集まって終わりの会をしてたんですよね。
代表の人や振付師らしき人やリーダーっぽい人が順番に胸アツなお話して、大賞受賞をみんなで喜んでるわけです。青春ですよね。
一生懸命練習してきた日々(してないけど)が思い出されて、見ている自分も感動。

青春

十人十彩のミーティングに青春を感じました

迷子の踊り子が語る「ぴとぅ」

その後中央公園から人が引き始めたので、夜の高知を散策。
信号待ちをしていると衣装を着た女の踊り子さんに高知駅への道を聞かれます。

(高知人がなぜ道を!?)

と思ったけど、踊り子さんとコミュニケーションするチャンス。
道は把握していたので、駅まで送っていくことにしました(積極的)。
そしてこの出会いが本題のぴとぅに繋がるキッカケとなったのでした。

話しながら聞くところによると、

・大阪在住の女子大生
・でも東京のチームに参加
・夜行バスで大阪に帰る

そして、過去にも高知で踊ったことあるよさこい事情通だと判明。これ幸いと色々質問。

どうやら、大阪にも高知まで踊りに来ているチームが複数ある模様。
事情通の彼女は各チームの特徴をわかりやすく説明してくれます。

ちなみに「ぴとぅ」の説明は印象的でよく覚えていて、

「ワイワイ系と見せかけたガチのチーム」
「ぴとぅで一番うまい子はアタシの後輩」

とのことでした笑
2つ目はマウンティングされてるのかな、、、

ともかく、十人十彩を見た直後で、PL学園的な死ぬほど練習してきました!
みたいなノリにあこがれていたのでガチなのはむしろ好ましい。

でも、こちとらダンスどころか体育で(保健のテストは高得点なのに)10段階中6以上は取ったことのない低スペック運動神経の持ち主。
ちゃんと練習についていけるのかが気になりまくり、事情通の踊り子さんに質問。

はじめ:「初心者でも入れるんかな?」

事情通:「オーディションとかないし、初心者でも鳴子からしっかり教えてくれると思いますよ」

この時点でよさこいを始める決断はしていなかったものの、貴重な情報が、そしてぴとぅとの縁がこの事情通の踊り子さんからもたらされたのでした。

みちきき

迷子の踊り子がぴとぅへの縁を運んできてくれました

公式DVDで「田村千賀」を知る

阿波踊りを見て、大阪へ。
帰ってきても高知の光景が頭から離れず、毎日毎日youtubeでよさこい祭りを振り返っていました。

youtubeの動画ってほとんどカメラが固定された動画なんですよね。
色んな画角の動画も見たいじゃないですか。

というわけで、高知県商工会議所連合会さんが販売している公式DVDまで購入することに。※ちなみにここから購入できます

早速このDVDを見るわけですが、Youtubeと違って各演舞の前にそのチームの振付師と作曲家と都道府県名とかが表示されるんですよね。

で、何回も見ているとよく出てくる名前を覚えちゃうわけです。
ここのチームもさっきチームもこの人が振付なんや!という感じで。

特によく見たのが

「田村千賀」

という人でした。
勝手なイメージでめちゃめちゃ怖い鬼のような顔をしたスパルタコーチみたいな人を想像してました(千賀先生すみません笑)。
ここから3年もたたないうちに、「DVDの中の有名人」と飲み会でご一緒させてもらうことになるなんて人生わからないものです。

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公式DVD。

体験会、そして登録

よさこい祭りから1か月後、やはり見ているだけではなく踊る側に回りたい気持ちが抑えきれずに2017年9月20日、事情通の踊り子さんから聞いていた「夢源風人」の体験会に参加。

大阪城公園の練習場所に行くと懐かしの鳴子の音が聞こえてきて胸が高鳴りましたよね。

今同じ事務局メンバーをさせてもらっているつもりさん・たいがさんから規約やら高知のことやら色々と教えてもらう中で、どうやら事情通の踊り子さんが言っていたイメージは大体合っていることがわかってきました。

そして、チームの人の会話の端々に「チカセンセイ」という名前が聞こえてきます。

はじめ:「チカセンセイって田村千賀ですか??」

つもり:「そうそう!(心の声:なんで知ってるんや)」

なんと、想像以上にガチのチームらしい。

肝心の踊りは「ハレ晴れ」のよさこい節の部分を振り落としてもらったのですが、短いフレーズなのに全然覚えられない&体がついていかない><


それでも当時のインストのY君が優しく教えてくれたのと、たいがさんの言っていた「うちは過保護やから」というフレーズ、そして「あの」田村千賀の振付!というわけでかなり前向きな気持ちで体験会を終えました。

「この環境なら自分でも続けられるかも」

と思う一方、やっぱり不安な気持ちもあって4日間悩みました。
悩みすぎてその4日間は1日に8時間しか眠れなかったほどです。

悩んだ結果、体験会で「前向きに考えてるので、お世話になることがあればよろしくお願いします」とあいさつした時に、現代表・かなーみさんからの

「お世話になろう!」

と言ってもらった記憶の中の声に後押ししてもらってハレてぴとぅメンバーとなりました。

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ぴとぅライフはここから始まりました

ぴとぅの「過保護」を受ける

ご縁があって登録してからは体験会で聞いていた通り、過保護体制にお世話になりまくりましたよね。

例えば、

・ハレ晴れのイントロ(約20秒)の振り落としに練習会4回(3h/回)かかる

・11月の四日市よさこい祭りに間に合うようにインストMさんの自宅で特訓してもらう

・18年ココロ咲く夏でも、補講をたくさん開催してもらう

・「先生練」で千賀先生の生指導を受ける(実物はとてもやさしいお顔の先生でした^^)

・能登、高知と遠征のバスやホテルも全部チームで手配してもらう

・特に高知では給水や救護体制(初めての高知は足の裏に穴があき、2回目の高知は熱中症で倒れこみました)の整いっぷりには感動しましたよね

・勤務先のイベントに依頼演舞で来てもらう

などなど、あげればキリがありません。
貴重な時間を割いてくれた当時の事務局さん・インストさんには感謝しかないですね。

信念を持つ

そして時はたち、↓の写真のようなめざましい成長(!)をとげる中である信念を持つようになりました。それは、

何かを始めるのに遅すぎるということはない

というもの。

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【BEFORE】デビューの舞。必死過ぎて笑顔の余裕がない。

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【AFTER】保護のおかげで(時々)笑顔で踊れるようになりました

見学で見せてもらった演舞は、とても自分ができるようになれるものには思えなかったけれど、レベルはともかく2か月後には隊列に入って踊らせてもえたし、その8か月後には高知で3日間踊りきることもできるようになりました。

強い思いを持って続けていれば応援してくれる人がいると教えてくれたのがぴとぅでした。

ぴとぅには小・中学生のメンバーもいたりして、

「この子たちみたいにもっと早くよさこいに出会ってたら振り覚えるのもこんなに苦労しないんかなぁ」

なんて思ってたこともありますが、千賀先生の

「1番いいタイミングで(よさこいに)出会ってるんです」

という名言を聞いてからはそう思うようにしています^^

「人と比べるんじゃない、比べるのは昨日の自分、1日前の自分、1分前の自分(By Chika Tamura)」

というわけで、個人的な話ですがコロナで踊れない今の時期に今まで全然やったことのない勉強を始めてみることにしました。

きっと苦労するんですけどこんな難しい踊りを0から踊れるようになったんだからきっと大丈夫だと思ってます。

目には見えない思いをつなぎたい

2017年に登録した時に、事務局に送ったメールを見返すとこんなことが書いてありました。

さて、いろいろ考えた結果、登録させていただこうと思います。
持ち前の運動神経のなさで大きなチームの足を引っ張るんじゃないかと
不安なのですが、最初は過保護体制に甘えさせていただいて、1日も早く
保護する側に回ることができれば
と思います。

この気持ちはずっと持ち続けてまして、ちょくちょくお祭り担当や忘年会スタッフとかは手伝わせてもらっていましたし、昨年代表のかなーみさんに事務局に誘ってもらった時も即答こそできなかったものの、ほとんど引き受けることは決めてました。

「目には見えない思いのつながり」ってよく言うじゃないですか?

「思い」って色んな解釈がありますが、僕の中では「やさしさ」だと思っています。上に書いた「過保護」は全部やさしさから来てるものなんじゃないかと。
これまで公開されている先輩たちの記事を読んでいても、さらにその先人たちからのやさしさを受け継いでこられたんだろうなーと感じます。

渡る世間は鬼ばかりな世の中でこういう環境ってかなりレアだと思うんですよね。見逃しているダークサイドがどこかにあるのかもしれませんが笑

代表が「大切な場所は自分で守らないといけないと思う」と言ってましたが、19年間受け継がれてきたやさしさをこの先もつなぐお手伝いをちょっとでもできればなと思ってます。

とは言え、ぴとぅ歴もよさこい歴も浅い自分一人でできることなんて知れてますので、ぴとぅの歴史を作ってこられた事務局の先輩やチームのみんなの力を貸してもらって、今はちょっとアレですけどこれからは一緒に楽しい時間を作れたらいいなと思っています。

長文最後まで読んでくれてありがとうございましたm(__)m

このWebサイトはぴとぅ広報班が管理しています。
-むねお 勇気を出して、ここにいる話-

ぴとぅブログリレー、今回の当番は、むねおです。

初めましての方は、初めまして!ネット上でしかご挨拶できていない方も含めて、そろそろ皆に会いたいです!
近況をまったく知らない人ばかりですが、みなさん元気にしてますか?

まず自己紹介

むねおです。ぴとぅ2年生です。(よさこい3年生のぺーぺーです)
東海支部(支部長(^^;))、ウェルカム班、カメラ部、メディカルチーム(最近できた)に所属しています!え、こうやって見ると所属多すぎですねw
練習期間中は、名古屋→大阪に月6-8回通う愚か者です(‘ω’) しょっちゅういますけど、名古屋在住なんです。夜勤明けでも行くので、それなりにコンディション悪い日が多いですw

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今回ブログ当番を担当させていただくのにあたって、まー考えました。
書くなら結構重い話も書くのかなと自分の中で思うので、あんまり見たくなかったり興味の無い方は、読まずにおいてください(*’▽’)

ぼくとよさこいとの出会い

ぼくは典型的な『よさこいを踊ってる踊り子に元気をもらった人』です

愛知県出身のぼくにとって、『よさこい』=『どまつり』でした。
高知が本場っていうのは知ってました!が、教科書で『本場のよさこいは高知』って習ったくらいの知識。
名古屋でどまつりが始まったのは1999年、当時大学生で愛知にいなかったぼくが最初にしっかりどまつりを観て感動したのは2004年。いろいろあってニートになって、割といろいろ落ち込んでいたぼくが、『よさこいに感動して元気をもらった』初めての経験でした(*^^*)
たぶん初めて観たのは『笑“』さんの演舞だと思うんですけど、

「なんだ!この楽しそうな人たちは!」

と衝撃を受けてから、『よさこい』に何となく興味を持つようになりました。
そして、この演舞を観たのをきっかけに将来のことを前向きに考えられるようになり、結果いまの仕事に就きました。

続ける勇気を持てなかった当時

そのあとなんだかんだあって、2012年のどまつりを観て凄くカッコいいチームがあったので、思い切って某どまつりチームに入ろうと2チームほどチャレンジしてみたのです。結果、お仕事と両立できずに諦めたんですけど(‘_’)
飛び込む勇気はあったけど、続ける勇気が無かったと、いまでは思います。
当時、もし軌道に乗っていたら、もしかしたら夢源風人には興味を持たなかった…かもしれないです。

高知に初めて行ったのは2013年の夏。
そこで初めて観た本場のよさこい祭りは、なんてゆうか感動的でした。追手筋で泣きながら踊る姿を観て、「世の中には、大人でもこんなに夢中になれることがあるんだ!」と驚き、また行きたいと強く思いました。

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当時とても印象的だった、能登和っちゃさん

次に高知に行ったのが2017年。
そしてその年、夢源風人と出会いました。

夢源風人との出会い

2017年、その当時『も』ぼくは無職でした(‘_’)笑
その頃は、まあ相当に病んでたとゆーか、表現は難しいですけどまあ病みきってました。
この年に高知に行かなければ、今、どうなっていたんでしょう?生きていないかもしれません。
色んな目的を失っていて、リフレッシュ的に各地のお祭りを巡ったりした中で「ああ、もう一度だけ本場のよさこいを観たいな」と思い、立ち寄った高知。そこで出会った、一際目にとまるチーム。カラフルな衣装、素敵な曲と笑顔、

『夢源風人』のチーム名に一瞬でココロを奪われました

当時は全然よさこい祭りのシステムを知らず、高知のチームだと思い込んでいたけど、調べてみたら実は大阪のチームとゆーことを発見。「また観たい!」と思い色々な祭りを追いかけて、結果その年はただのストーカーになりました。当時はご迷惑おかけしました(‘ω’)笑
この出会いをきっかけに、ぼくはよさこいの事を真剣に好きになり、『生きる糧』というと重たい表現なんですけど、沼の底に沈んだ気持ちから浮き上がることができたんだと思います。

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夜の帯筋でココロを奪われた(本人無許可)

そして、踊り子へ…

『高知』が、もう一度入る勇気と、続ける勇気をくれました

そんな流れで、「自分もあんなふうに高知で踊ってみたい!」と思い、再び踊り子に挑戦をしました。
2018年、やいろさん(同年解散)でお世話になり、下手っぴながら何とか1年乗り切りました。
よく言われた事は『むねお(仮)さん、迷子になってます!』
自分でも、よくやれたなと思うし、よく最後までやらせてもらえたなって思います…(‘_’)
できない部分はとにかく練習したけど、とりあえず体力だけはつきましたw

踊り子として迎えた初めての高知は、狂ったように暑くて、帯筋で意識飛んじゃうんじゃないかと思ったり、夜の商店街が美しかったり、最後の追手筋で号泣したり…
2013年に追手筋で観た涙を流しながら踊る踊り子さんと、同じように自分も踊っていました。
高知は、踊り子として参加しても、やっぱり最高でした。

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名古屋から高知に来てくれた後輩ちゃん。まさか本当に来るとはw

そしてついに、2019年に夢源風人に参加しました。

夢源風人に入るのは、小心者のぼくには勇気が必要でした

やいろさん解散パーティーで『来るよね???』と、一部のぴとぅメンバーからグイグイ来られたことは、忘れません…笑(とてもプレッシャーを感じました)
でも、みんな踊り上手いし!すごく表情すてきだし!大阪の人怖いし!w あんな中に入っても、ぜったい足引っ張るし!入りたいけど、入るのにはぼくの中でとても勇気を出した行動でした。
趣味の集まりで『足を引っ張る』というのも不思議な表現ですが、好きであればあるほど、そんな感情は生まれるかもしれません。

案の定、入った当初は踊れなさ過ぎて大いに心配されたと思います(‘ω’)
ここでも同じように、下手なりにとにかく必死で練習しました。
名古屋から通ってるのを言い訳に、なかなか周りに喋りかけられない日々…ようやくみんなと喋られるようになったのって、お披露目の時ですね。やっぱ飲み会の力は偉大ですw

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(ちなみに撮影時の記憶はありません)

でも、続ける勇気を出せたのって、下手っぴな自分に諦めず教えてくれた人や、ビビりで人見知りな自分とも仲良くしてくれた人や、なによりも『高知の楽しさ』とゆーご褒美があるから頑張れたのかと思います。あと、大阪の人は怖くありませんでしたww

よさこいを始めたことで世界が広がったことを実感してるし、知っている人が客席にどんどん増えて、自分を見て笑顔をくれるって、とても幸福なことだなって思います。夢源風人に入ってからは、より世界が広がったのを、とてもとても実感しています。
よさこいに関わった期間は短いけど、もうよさこい無しでは生きられない身体になってしまいました(‘_’)

東海支部に込めた願い。

2019年の7月の某日。
現代表のかなーみさんから「東海支部、やらん?」と声をかけられたあの日、忘れません。
それまでも、なんとなーく東海支部の話はいただいてました。
でも、正直あんまやる気なかったです(‘_’)
自信なかったし。あ、自信ないのは今もですけど。
自分にとって救いとなったのは、『支部をどういう形でつくっていくか』と具体的なテーマを与えられなかったこと。いまでも、それについて誰かと明確に話したことはありません。だから、ここで初出しになりますが『誰かの居場所』をつくる事が、ぼくにとって『支部をつくること』になりました。

やってみようかなと思ったのは、誰かのため

表向きにはいろいろと理由を言ってますが、決断した理由は2つ。
地方のメンバーさんのためと、『100年続くよさこいチームをつくる』って願いを聞いたとき、じゃあ100年続くチームをつくるために自分には何ができるんだろうと考え、やることに決めました。
演舞を揃えたいとか、そういうことももちろんあります。
でも、それよりも『支部があってよかった』と思ってもらい、『夢源風人に入りたい・支部があるから続けられる』と思ってもらったら、こんなに嬉しいことはありません(アムロレイ風)

いまのところ、東海支部はほとんど活動できてません…_| ̄|○ 練習よりも、ごはん食べに行ってるほうが多いかも?
最近では、くびれを作るエクササイズなんかしてます!(よさこいは?)
でも、支部を運営することで繋がりが増えて信頼できる人も増えて、今年は大変な年だけど、大変な年だからこそ支部立ち上げて大正解だったなーと思ってます!

支部だけど、夢源風人の中の1人として

今後、支部がどうなるか?は、しょーじき何も決まってません、決めてません。
基本的に、支部はあくまで大阪本体のサポートで、支部だけで祭りに出る事は考えていないけど、支部だけで隊列錬をすこーしできると活動の幅が広がるなーと、勝手に思ってます(*’▽’)
そのためにも、支部をある程度認知してもらえるように活動の記録をリリースしていきたいと思ってます!

今年入った人は、中々モチベーションが上がらないと思うけど続けてほしいですね。
高知は『たまらん』です(東海メンバー談)
なんかもう、すべてが別物。いまは休息期間だけど、せっかく勇気を出して夢源風人に飛び込んでくれたので、みんなで一緒に高知でまるまんてんを踊って『たまらん』思いをしたいです(*^^*)

チームメンバーも、見学者さんも、冷やかしさんも練習会でお会いできる日を待ってます(#^^#)

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支部の練習?風景(‘ω’)

そんな流れで大好きになった、夢源風人。
夢源風人に出会えたから、本当によさこいが好きになった。もう一度、よさこいをしてみたいと思えるようになった。チャレンジする勇気や、生きる活力が湧いた。
いまでは、ぼくのココロの支えになっているし、大切な場所になっています。
だから、ぼくの活動を通じてだれか1人でも元気になってもらったり、よさこいを、夢源風人を好きになってもらったら、それだけでぼくの活動は成功だと思っています(*´▽`*)


たくさん役割があってワケわからないですけど、『目には見えない思いのつながり』を大切に、大阪でも東海でも他の地域でも、同じ『夢源風人』の1人として活動していきたいと思います。

以上、むねおでした。ながーーーい文章、読んでくださってありがとうございました。
また、練習で、飲み会で、祭りで、笑顔で会いましょうね(*^^*)

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また笑顔で集まりましょう!