こんにちは、タクトです。
気が付けば2015年からぴとぅでMCやってます。
なにやらブログを書くことになったのでなぜMCになったか書きます。
遡ること2014年。
当時ぴとぅでよさこいをやってた友達から「高知のスタッフしてみない?」とお誘いを頂き吹田祭りにぴとぅのスタッフで行ったのが全ての始まり。
当時は暇してました。
そんでよさこいってほぼ知らなかった。
なんかやることも無いし、とにかく誘われたら「YES」って言うようにしてました。どんな事するかなんで全くわからないまま受けました。
んで吹田祭り、人見知りおじさんなので緊張しました。
(当時、人との交流など主に会社くらいだったので、今となってはよく行ったなって思います。)
なんとか吹田祭りのスタッフ(ほぼ何もしてない)をやりました。
次はもう高知でした。
そんなにぴとぅの人達とも交流ができてないままに、
スタッフとしての手続きをし、知らない人がいっぱいのバスに乗り高知へ向かいました。
行きのバスは周りの人殆ど知らないので終始無言だったような。。。少し喋ったような。。。
隣の子金髪で怖くて話とか出来なかったおもひで。
暑いし、知らない人一杯だし、よさこいとかほぼ知らないし、肝心の友達も事務局等で忙しくてなかなか会えなかったり。
撮影とかした事のないけどビデオカメラ持って走って追手筋の撮影したり、
地方車に千賀先生(当時は誰か全く知らなかった)が乗ってくるタイミングで何故か同乗してビデオ撮影したり、
全国大会のひろめ打ち上げで泥酔したあきべ○さんを救助したり、
色々ありました。
人見知りには色々刺激的な高知よさこいでした。
うん、結果楽しかった。
スタッフ中の写真、何このポーズ
そして高知の後もスタッフでこいやは行った、ほぼ行っただけに近い状況でした。
それから少し時は流れ11月頃だったかな?
再び友達からお誘いが来ました。
「バサカニで歌ってみない?」
確かそんな感じ。
答えは「YES」
なんでも「YES」期間だったので割と即答だったような。
演目は「アナ雪」
それから1週間に4、5日連続でカラオケに行って同じ曲だけを歌い続ける。デュエットって難しいよね。
やる事なかったのでずっと会社の行き帰りとかその曲聴いて勉強、、、
時間があるって素晴らしいことです。
そして本番当日、岐阜の瑞浪は3℃でした。
知らない土地で、知らない人たちの前で歌う。
割とグズグズだった。
緊張と寒さで少し失敗したりとか色々悲しい感じだった。
未熟だった、というか圧倒的に力不足、、
リベンジを誓いましたが、それからそういう機会もなかったな。
バサカニ寒かった、けど楽しかった。
そのバサカニの帰りに、ぴとぅのMC班の人からMCやってみない?って言われた。
その時は有耶無耶になって答えてなかったけど、
今考えればそこがスタート地点。
それから年が明けて2015年1月
MC班の方から突然「MC本当にやってみない?」というLINEが来ました。
そこでも答えは「YES」
そしてぴとぅでのMCとしての活動がスタートしました。
2ヶ月後位にはデビューしてました。
今考えると恐ろしい話ですが、よさこい未経験者が2ヶ月くらいでMCデビューしてました。
今はチームの人数が多くなったので考えられない事です。
さくよさの時の写真、始めたばかりにしてはそれっぽい!
万華鏡から始まり、「あふさかんシンフォニー」「ハレ、晴れ」「ココロ咲く夏」「郷-Sato-」(実は「夏色に心踊りて夢ひらく」も一回だけやりました。)
たまに気まぐれで踊ったり、踊らされたり、ラジバンダリ。
初年度は何度かフリー素材とし告知画像にもなりました。
これ以外にも何度かあったような
パイナップルの告知もしました。
この時演舞中にパイナップル食ったね。
こいやのやぐら会場の事は毎年1月から考えてます。
毎年あれが本祭なんじゃないかってくらいに。
色々ありましたが、とりあえずの「YES」から始まったよさこい人生。
他のみんなみたいに凄いよさこい熱がある訳でもなく、ただ自分が思うようにやってきたよさこいです。
まだまだ未熟者です。
ですが「何か楽しい」
そんな魅力のあるよさこい。
みんなも誘われたらとりあえず「YES」って言ってみるといい。
案外幸せだから
お久しぶりです!はじめまして!
MC班のポッターです。
いつも楽しみに見ていたブログリレーがついにMC班に回ってきたということで今回書かせていただきます。
喋る方は得意ですが、文章を考えるのが苦手でかなりな長文になってしまいました…
お時間ある時に良かったら読んでみて下さい。
小さい頃からとにかく喋ることが大好きで、小中学生の頃は学級代表や生徒会役員になり学年行事や式典などで人前で喋ることも多く、将来はアナウンサーや高校受験の時に勉強のお供として良く聞いていたFMラジオのパーソナリティになりたいと思うようになりました。
そして高校卒業後の2003年春、夢を叶える為、大阪市内にある専門学校に進学し喋りの勉強をすることになりました。
ちなみに「ポッター」というあだ名は専門学校時代のクラスの女子達から「京野君ってハリーポッターに似てない?じゃあ、あだ名ポッターでよくない?」ということから呼ばれるようになりました。
まさかそれから現在(36歳)まで人生の半分をこのあだ名で呼ばれ続けることになるとは…
あだ名決めは大事ですよ笑
さて、あだ名と同じく自分の人生を大きく左右する出来事がありました。
「第4回こいや祭りでのボランティアMC募集」
先輩から勉強になるから一緒にやらないかと声を掛けてもらい、1日だけMCをやることになりました。
人生初めてのMCはタイムテーブルの時間通りに全然進行出来なくて会場担当の方に予定にない総踊り時間を何度も入れてもらうなど散々な結果となりました。
とにかく悔しくてこの時すでに来年もMCやってリベンジすると心に誓いました(実はかなりの負けず嫌いです…)
翌年5月、どういう経緯でやることになったかは忘れてしまいましたが毎年5/3〜5/5まで開催される中之島まつりでもボラスタMCをすることになり、この時に現在の事務局のつもりさんやインストのみっつんと出会いました。
そして第5回こいや祭りではメイン会場でMCをさせてもらいなんとかリベンジ成功!さらに翌年の第6回こいや祭りではMC部門長として実行委員に加わり、こいや祭りが切っても切り離せない生活の一部になっていました。
実行委員になってからはこいや祭り主催の練習会(こいや練)に毎週参加し、たくさんの踊り子さん達と仲良くなり、そんなある日のこと、高知のよさこい祭りの存在を知る出来事がありました。
当時のこいや祭りは8月下旬の開催で開催直前の会議後、夜遅くになり帰ろうとした時に「ポッター、今から高知のよさこい祭り見に行かん?」と声を掛けられ、たまたま次の日予定がなかったので、人生初の高知へ!
翌朝、まだ人も少なくお店もほとんど空いてないひろめ市場で朝食を取り、その後升形競演場に移動し、スタート付近に座り踊りを観ることになりました。
固定したタイムテーブルがない中で祭りが行われていることに祭り側の人間として一番驚かされ、更に演舞前にチームのスタッフさんからいろいろ物を貰えたことに「お客さんとしてもこんなにも楽しめる祭りがあるんだ!」と、本場のよさこい祭りの凄さを感じました。
第6回こいや祭りが終わった後もこいや練やバサカニ、WTCで行われた年越しよさこいイベントに参加して、その頃からぴとぅの人達とも仲良くなり、そして2006年のWorldあぽろんに遊びに行った時に当時の代表に「チームスタッフとして一緒に高知に行きたい」と伝えました。
すると返ってきた言葉が…
「踊り子で参加すればいいじゃん」
予想していなかったこの一言により、まさかの踊り子として参加決定!
これまでは総踊りくらいしか踊ったことがなかったので正直踊れるか心配でしたがみんな優しく教えてくれたのでなんとか覚えることが出来ました。
初めて踊り子として参加した高知での1番の思い出は「夜の追手筋」
当時のぴとぅは代表がMCを担当していましたが、盛り上がり最高潮のこの場所でMCをさせてもらえることに!
地方車の上でではなく、実際には前口上だけ言って、演舞中は隊列に入って踊ってというやり方やったけどまさかの花メダルまでゲット!
MCをさせてもらえただけで嬉しかったのに花メダルまで貰えるなんて思ってもいなかった為、踊り終わってからみんなの前で大泣き…笑
今となっては一生忘れることの出来ない思い出です!
高知後もちょこちょことイベントや祭りに参加させてもらい、翌年3月に参加した浜松よさこいにて正式にぴとぅに入り(遅っ!)、現在に至ります。
10周年の演舞曲「夢のみなもと」から演舞中の煽りをメインで考えさせてもらうようになり、5年前の演舞曲「万華鏡」からは祭り中全く踊らない「専属MC」というポジションを作り、最近はMCメンバーも増えてきたので祭りや練習会への参加率は年々低くなっていますが、これからもぴとぅ人としてよさこいを続けていけたらなと考えています。
今回のような機会はあまりないので、改めて自分のよさこい人生を振り返ってみましたが、「こいや祭り」との出会いがなければ自分の人生180度変わっていたと断言できるぐらい大きなターニングポイントでした。
そして、そこからよさこいを知り、ぴとぅに入ったことでこの歳になっても楽しめるものがあり、全国に友達も出来て、いろんな世代の人達と出会うことも出来て、本当にぴとぅに入って良かったなと思っています。
コロナの影響で色々と我慢の時期ですが、また気軽に練習会や祭りで会える日が来るのを今を楽しみながら乗り越えていきましょう!
専門学校卒業後は大きな放送局ではありませんでしたが自分の夢であったFMラジオのパーソナリティとして喋りの仕事を数年間していました!
京阪沿線の某駅の改札前にあるサテライトスタジオで喋っていた時に凄く視線を感じることがあり、スタジオの前を観ると現代表のかなーみさんがこちらを観ていて、とても驚いたことを今でもはっきりと覚えています(笑)
ここまで読んで下さった皆さん、ありがとうございました!