Archive: 1月, 2021

ティリッティー!!

ぶんたです。
ブログというものは初めてで、ティリーになりそうですが、お付き合いいただければと思います。
できるだけ、端的に綴ります。詳細は、、飲み会などで聞いてもらえれば、と思います。
話が古く、写真がない項目が多数ありますがご容赦ください。むしろ持っておられたらいただけると有り難いです!

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大きく分けて3つ、綴ります。
①よさこいとの出会い
②ぴとぅとの出会い
③ MCのはなし
では早速、、、

①よさこいとの出会い

よさこいとの出会いは1998年
それは名古屋の大学1年生の5月頃でした。
「祭りで踊る団体」というサークル勧誘ビラを見て、昔から盆踊りを踊るのが好きだった私は興味を持ち、練習を見学に行きました。
そこで見たものは、今まで見たことのないモノをカチャカチャ鳴らしながら楽しく踊る学生の姿でした。
そこで鳴子をいただき、「これが鳴子、これを持って踊るのがよさこいだよ」と。
全く新しいジャンルとの出会いでした。
ただ、私は部活でラグビーを始めたこともあり、この学生チームには大学2年〜3年(1998〜2000年あたり)の部活が夏のオフになる期間を中心にソーラン、瑞浪、ど祭り、高知全国大会をはじめ、東海地域のお祭り等に参加し、大変お世話になりました。
また、にっぽんど真ん中まつりが立ち上がった時期でもあり、今思えばよさこいが全国に広がり始めた時期に私も関わり始めた、と感じています。

②ぴとぅとの出会い

ぴとぅとの出会いは2005年
2002年に就職し、初任地の岡山で偶然が重なり、うらじゃを始めていた私は2005年7月に大阪に転勤になる際、よさこいを続けようと、当時のうらじゃメンバーであり、よさこいにも詳しかった方に、
「高知本祭に出場している大阪のよさこいチーム」を紹介してもらうことにしました。
彼は3つチームを挙げた上で、「お前ならぴとぅだな笑」と、当時の代表に連絡を取ってくれました。
その後、転勤して1ヶ月くらい経った8月頃に‟VHSの振りビデオ”が
「こいやで踊るから覚えて来てね!」
の手紙と共に送られてきました、、、

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(VHS知らないとか言わないで…)


多分こいやは参加したはずですが、不慣れな土地で人も踊りもわからず必死で、詳しい記憶はありません!
このあと、仕事がバタバタし、半年程はチームに顔を出せずにいました。
その後、2006年のWTCに久々に参加しましたが、誰がいるかもよく分からずさまよっていたところ、2000年くらいに京都のよさこいチームで踊っていたぴとぅメンバーが声をかけてくれました。
彼は私と世代が近く、学生チーム同士だったこともあり、昔話など、盛り上がりました。
そしてこの時、
「学生チームでよさこいやっててよかった」と思うと共に、
「あ、ぴとぅでなんとかやっていけそうだ」と感じました。
この時の出会いがなければ、現在私はよさこいをしてなかったかもしれません。
入って日が浅い私に声をかけてくれたこと、感謝しかないです!
私は全国を対象にした転勤の可能性があるのですが、偶然大きな転勤がなかったこともあり、今まで長らくぴとぅにお世話になっています。

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③MCのはなし

私がMC業を知るきっかけは、岡山でした。
当時岡山では、岡山の文化であるうらじゃ踊りや、新しい総踊りであるうらじゃ音頭を広めようというPR隊なるものがあり、私はそこに所属し、中四国のお祭りに参加していました。
チームにはMCをする方が複数名いらっしゃいましたが、たまたま、とある四国のお祭りでどなたもいらっしゃらず、
「誰かやりますか?」
となり、こんな機会もそうないし!と、ノリと勢いでステージでうらじゃ音頭を煽りました。
また、ミニ地方車付きパレード会場もあり、地方に載せていただき、MCの先輩にご指導いただきながら煽りました。
「MCって、面白い!!」
踊り子で煽られたことはあっても、煽る側は初めての経験。全てがめちゃめちゃ新鮮でした。
その後、踊り子が中心でしたが、たまにMCの機会をいただき、高知全国大会でも緊張しましたが、煽る機会をいただいたりもしました。

そしてぴとぅに来て、、
1年目、2006を踊ったとき、ぴとぅのMCは代表がやっていることを知りました。
代表はいろいろ忙しく、それなら代表ではない、MCというポジションが必要なのでは。そんな気持ちと同時に、自分が煽ってみたい気持ちがあったように思います。
そんな6期(2007年)の始まりで、今期やりたいことをメンバーにアンケートが来たとき、MCの話をしていたところ、当時の代表(現代表ですね!)に
「じゃあ、MCやって!」と煽られました。
そう言われると思っていなかったので、びっくりしましたが、新しいモノを作ることにワクワクし、2つ返事でOKし、MC班ができた次第です。

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始まった当時は1人でグイグイ煽ってましたが、私は転勤などがあり、ずっとMC班を仕切っていける保証がありませんでした。
そこで、2年目からはMCの楽しさ、素晴らしさを多くの踊り子に知ってもらい、実際に経験して欲しいと考え、高知スポットを含めて今後のMC班を引っ張っていくメンバーの募集、スカウトを続けてきました。
年々、徐々に高知スポットを含むMCメンバーが増えていきました。
そして今は有り難いことに、専属部隊も出来、私はメインメンバーをサポート、応援しながら、たまに楽しく煽らせていただいてます。
みなさんも、是非一度はMCしてみてください!

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さいごに。

結局、長くなってしまいました。
さいごに。
「目には見えない想いのつながり」をベースに、ぴとぅが持続可能なチームであり続けられるよう、踊りだけでなく、飲みや遊び等、私のできることで引き続き盛り上げていけたらなと思います!

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乱筆失礼しました。ティリッティー!!

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もう一つの表紙画像候補

こんにちは!にゃーこです☆

こんにちはMCのにゃーこです。

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よさこい歴何年目になるのかな?3年目?4年目?
5年目ですね。
好きなものは猫とイラスト書くことと寝ることです。

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よさこいとの出会い

よさこいと初めて出会ったのは、、、、
いつだっけ?
まったく覚えてません。
お母さんが言うには、1歳くらいに、高知の追手筋の北側だそうです。
12年前、2008年の頃、よく覚えてますね。
写真はありませんが、そういうことでーす。
ってどういうことですかー!
2010年は高知へばんぶを見に行ったっぽい。
2011年も高知へばんぶを見に行ったっぽい。。
2012年は高知へ行ってるけど、よさこいは 見に行ってないらしい。。
2013年は高知へ行ってるけど、よさこいは 見に行ってないらしい。。
どれも一つも覚えていないです。

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写真は2011年の高知

ぴとぅとの出会い

ぴとぅとの出会いは、お父さんがぴとぅのBBQに連れて行ってくれたとき、
よさこい体験会があって、体験したあとに、よさこいやる?って聞かれて、やる!って言ったのがぴとぅに入ったきっかけです。
万華鏡作ったことは覚えてるけど、よさこい体験会は覚えてなかった。
MCをやっている理由としては、身体が弱かったからです。
振りはちゃんと覚えましたよ。

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ぴとぅでやってみたこと

むげんさんちのかじぴとぅくん(冊子)2018年
みゆかと一緒に制作して大感謝祭で披露

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芋けんぴ作ったよ。(PITWU STUDIO)2018年

ぴとぅのオリキャラ作りました。2019年

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ぴとぅのオリキャラ描いてました。2020年
https://twitter.com/mugenkajipitwu/status/1245330916735471616

まるまんてんを描きました。2020年
イラスト35枚、非公開です。

ぴとぅは、学校とは違う別の友達(年齢幅広い)に出会えるところだと思っています。
たくさん友達増えた!学校だと同じメンバー。ぴとぅは増えていくから。

頭の中でよさこい=楽しい=新しい(毎年振りが変わるから)ってなってる。
デバ祭の金賞は嬉しかった!
高知の地方車乗るの楽しい!
地方車の上からテンション上がってるみんなを見るのも楽しい!
語彙力なくてすみません。

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誰が顔でかいねん!!!俺か!!!!

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僕で良いのかドキドキしてますが、映えある新年の一人目として長文になりますが、どうぞご覧下さい。

ブログ写真_210105

高知よさこい祭り、それは人生を変えるお祭りでした。

20代後半の頃(そんな時もあった)、僕は日本一周一人旅をしていました。
気が向くままに、夏は東へ冬は西へ、楽しそうな事や色んな人に出会いに行く旅と称し、ある時は温泉、ある時は飲み屋街、またある時は何かしらのイベントへと「何か」を求めて旅をしていました。

そんなとき、偶然TVで見たカツオの塩タタキを見て、これは食べに行こう!と思い立ち、翌日に高知へ出発し、その日の夜に着きましたが、なんとカツオの塩タタキは売り切れ。
「なんでやねん」と心の中で思っていましたが、当時の僕は今よりも小心者だった為、人に声をかけれずひろめ市場でオドオドしていました。
そんな時、市場の奥のトイレ(2014年のぴとぅメンバーには強烈なインパクトが残ってる、あの場所)で優しそうなお兄様に勇気を振り絞って声をかけました。

「お、大阪から今来たのですが、カツオのタタキを食べれるところを知りませんか?」
お兄様
「えっ、大阪?うーん、僕も分からんから彼女がトイレから出てきたら聞いてみますね。」
彼女さん
「えっ、大阪?それは食べてほしい!でも、もう空いてる店あるか分からんから友達にも聞いてみるね。」

ここが噂の「よっ!〇〇!」事件になる現場とは当時は思っても見なかったです。

それから一時間程かけて、一緒に空いてる店を探して下さり、なんとかタタキが提供される店に入店。
しかし、最後の一人前が僕の入店時に他客からご注文…
これは無理だなと思った瞬間、お二人が
「この人、大阪から来られた人やき、なんとかこっちに塩タタキをまわしてもらえませんか?」

!!!

そんな事ある?!
まさかそこまでしてくださるとは…

お二人のお力添えがあり、なんとかカツオの塩タタキを食し、電話番号の交換と来年夏にお祭りがあるからその時にお会いしましょうとお話しし、お別れしました。

これが僕のよさこい祭りとの出会いです。

あっ、まだ祭り見てないです。

続きは次項お楽しみくださいませ。

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見知らぬ電話

そして、10ヶ月後、知らない番号から着信。
「あー、木村くん?そろそろ祭りやから、いつ来るか連絡しよ思って。」

…。

あれだけ親切丁寧に対応して下さったのに、勝手に番号交換を社交辞令と判断し、登録をしていなかった自分を責めたいです。
すいません。

その時は青森県に旅をしていた為、更に仕事を休むのはどうかと一瞬考えましたが、これもご縁だと思い、会社におそるおそる休日延長のお電話。

社長
「おー、いいよー」

早っ!!

という事で青森から高知へ。

1年ぶりにお会いし、感謝の気持ちを伝え、初めての「高知よさこい祭り」を体験しました。

商店街の中のなんとも言えない熱気、超近距離の迫力のある演舞、とびきりの笑顔の踊り子さん。
僕は一瞬でその魅力にとりつかれ、気付けば高知のお二人を置いて、次の会場、また次の会場と走り回っていました。

夜になって、初めてお二人とゆっくりお話しをしながらあのカツオのタタキを食べました。
お兄様
「木村くん、よさこい祭りはどうやったが?」

「やばかったです!」(語彙力なし)
彼女さん
「木村くん、私ら置いて走り回っちょったもんねー。笑」
お兄様
「そうそう、僕達来月結婚式するき、木村くん良かったら来てよ。」

「?!?!?!」
彼女さん
「待っちゅーよ!」

暑いお祭りの中、素敵なお誘いに感動し、翌月、僕は緊張の中、おそるおそる結婚式へ1人で行きました。

誰も分からん…
当たり前か!と1人ぶつぶつ言いながら、新郎新婦を待ち参列していると、お姉さんが

「大阪から来られた人ですよね?」

「あっ、はい。」
お姉さん
「お話し聞いてます!よさこい祭りに出たいんですよね?良かったらうちのチームで踊りませんか?」

「あっ、アリガトウゴザイマス…」
急な出来事と毎週往復八時間程かかる状況に耐えれるかの判断でこんな感じだったと思います。はい。

「でも、必ず踊りたいですので、またお会いしましょう!」
そう言い残し、お二人の祝福を祈り、大阪へ戻りました。

次項「木村くん、夢源風人を検索する」
お楽しみに!

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木村、夢源風人に出会う

大変お待たせしました。
いや、待たせすぎたかもしれません。

大阪への道中、あんな事言ったけど大阪でよさこい祭りに行くチームってあるんかなぁ。
と、不安になりながら帰って検索をしてみると、なんと!
何件かヒットするじゃないですか!!
ふむふむ、歴史あるチーム、新しいチーム、学生さん主体のチーム…
いっぱいあるから分からん!
でも一つ目に出てきたチーム気になるし、名前よくわからんけど、ここ見学行ってみよ。

見学当日
肌寒いけど、本当にやってんのかなぁ。
あっ、だれか来た。
さとし「こんばんはー、夢源風人のさとしです」
こっちで見学出来るんで、どうぞ!

大阪城公園の噴水周りで数人踊ってるではないか!
かなみ「こんばんはー、初めましてかなーみです」
はな「はなでーす」
みんな元気で活力があって、めちゃくちゃ楽しそう!
1番偉い人(当時)「あっ、、、」
 →正解者には拍手を送ります。

一演舞見させていただき、カッコいい、踊りたいと思い
早速入会。

これが僕の夢源風人のスタートでした。
「2011夢のみなもと」
憧れのよさこい祭り

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今からいいこと言います!

人はどんな時に人生が変わるかは分かりません。
時には人に助けてもらい、時には人を助ける側にまわり。
夢源風人は単年度制のチームですが、単年度制だからこそ楽しめる部分や経験がたくさんあります。
一年毎にメンバーが変わり、スタッフも変わる、良い部分を代々受け継ぎ進化する。
この経験が僕の人生を大きく変化させてくれたと思います。

チームのコンセプトは
『目には見えない思いのつながり』
どれだけ離れていても、すぐ側に感じる仲間達がたくさんいる。
僕も自分の夢を追い続け、源になる仲間を信じ、風や自然を大切にし、人とつながり続けます。
こんなご時世ですが、コロナだからこそ出来る事がたくさんあると思います。
みんなのつながりを楽しみに、またお会い出来る日を楽しみにしています。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。

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ブログ写真_210104_4

よさこいと私

ぴとぅ最年長No.2予約班のみっこです♪

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今ではプライベートでも仲良し最年長ゆかりさんからバトンが回ってきたので、今回は私の話にお付き合いください(笑)

高知よさこいを目指して、2018年ココロ咲ク夏で夢源風人に入りました。出身は高知ですが、よさこいは見る側ばかりで、何十年と高知よさこいを見てきましたが、踊り子歴はまだ3年ぐらいです。よさこいは踊りも衣装もどんどん変化していき、自由で個性的なチームが出てきて、大人気のお祭りになったと感じています。そして私が一番衝撃を受けたチームが、忘れもしない須賀ダンススタジオチームの出現でした。「えー!😱今までのよさこいのイメージと違う!ダンスみたいでカッコイイ!!」  さらにその後、セントラルチームの出現で私のよさこいへのイメージが劇的に変わりました。「よさこいってめっちゃカッコイイ〜❤️」よさこいが大好きな自分に変わっていきました。その後、セントラルチームのよさこいを見て感銘をうけた北海道の青年がYOSAKOIソーランを広め、よさこいが全国的に知られるようになり、高知でも更に素敵なチームが増えていき、十人十彩の出現などにつれて、私は更によさこいファンになりました💖💖💖

夢源風人との出会い

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私が夢源風人チームを知ったのは、娘のTAGGYがきっかけです。夏は毎年高知に帰省して、娘を連れて帯屋町筋によさこいを見に行ってたので、娘がすっかりよさこいファンになっていました。そして2013年高知よさこいから帰って来た娘が「私、大阪の夢源風人っていうよさこいチームにはいる事にした」と言ったので、「えー!大阪のよさこいチームに入るのー!?」衝撃でした😱 私は高知よさこいしか見たことがなかったので、大阪のチームに入るという発想がなかったのです。そうか!!大阪のチームに入ってよさこいすればいいんや!なんでそれに気付かんかったんやろ💦それから娘はよさこいをはじめてからすごく変わりました。ものすごく楽しそうで生き生きしていました。娘が夢源風人に入って、大阪や他県でこんなによさこい祭りやイベントがあることを初めて知りました。それから夢源風人の演舞を何度か見てステキなチームだなぁと思ってましたが、若い人が多く、私のような年配の人が入れるのかなあ?と思ってました。でも2017年「ハレ、晴れ」を見て、めっちゃカッコイイー!!やっぱり私も夢源風人で踊ってみたいー✨夢源風人に入って憧れの帯屋町筋をパレードしてみたいと思いました!

いざ!夢源風人✨   

心配していた年齢の壁はなく、それどころか快く歓迎してくれたのでその場で入る事を決めました。ココロ咲く夏で初めて、帯屋町筋をパレード出来た時は最高〜✨✨楽しい〜❣️その後、原宿のスーパーよさこい、大阪のお祭りと参加させて頂き、めっちゃ楽しい〜💖💖💖  

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私の「第二の青春」のはじまりでした。 ぴとぅメンバーは本当にエネルギッシュで、ぴとぅメンバーといるとわたしも年齢のことを忘れ元気になれます。仕事と子育てに追われて過ごしてた何十年、やっと子育てが終わり第二の青春が始まったのも、ぴとぅメンバーのお陰です。色々な面でサポートしてくれるぴとぅメンバーは本当に凄い❗️愛と思いやりで繋がってるぴとぅメンバーの仲間になれて本当に幸せ✨

ぴとぅの事務局さんをはじめインストさん、スタッフさんには感謝しかありません。世代を超えて沢山の仲間に出会えて、本当に私はラッキーです🤞

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娘は私のお陰でよさこいに出会えたことに感謝してくれますが、私は逆に娘のお陰でぴとぅに出会えた事に感謝しています。今年は孫も生まれおばあちゃんになりましたが、まだまだぴとぅの踊り子で頑張りたいです。一日でも長くぴとぅのメンバーでいたいです。 これからもよろしくお願い致します🤲

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みっこでした♪♪

年長記録更新中(^^)v

こんにちは!予約班のゆかりんことゆかりです。

生まれてこのかた大阪在住で高知ともよさこいとも無縁だった私の老いてからの青春の一幕にしばしお付き合いくださ~い。

★よさこい&夢源風人との出会い★

28年勤めた会社を早期退職してから、パートと子ども達の学校でのPTA活動をせっせとやってて、気づいたら56歳💦

このまま、朽ち果てるのは嫌だ‼️と思って、何か夢中になれることやりたい!といろんなことにチャレンジしてた頃のある日、娘から友達のよさこいサークルの話を聞いて、なんでよさこい?っていう好奇心からパソコンによさこい、大阪、社会人チームで検索したら、一番に「夢源風人」が!しかも、“老若男女どなたでも”の文字が〰️😆❤️

即、問い合わせて大阪城公園での練習会を見学に行きました。そこには、あおさかんシンフォニーの曲に乗って笑顔で楽しく踊る皆の姿✨が目に飛び込んできました!

私の心の中で花火が打ちあがりました!これや~! やっと見つけた!私の生きる糧!

でもでもやっぱり一応年齢相応の体力の心配が…当時の代表のきむにいに聞いてみたら「やれるかではなくて、要はやりたいっていう気持ちですよ」ってありがたいお言葉!

気持ちはいっぱいある!ありまくり!とりあえずMCさんに入りたいです!ってことだけ伝えて時間もなかったので退出…次の練習会には振り落としをしてもらっていました。

が、何回教えてもらっても覚えが悪く、覚えてたところまで、翌週には忘れ…

付いていける自信が帰りには乏しくなってたけど、行くとまた楽しさに魅せられて、インストさんやチームの仲間に迷惑かけつつ、ようやく、9月のこいやデビューまでたどり着いたのです。

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↑2016年四日市よさこいで。

初めての高知参加は、翌年のハレ晴れ!家庭の事情でたった一日しか出れなかったけど、超楽し過ぎました!感動の一日でした!

私にとってのよさこいは、踊るのももちろん楽しいけど世代の違う仲間たちとワチャワチャ楽しむことがとっても好きです。

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2018年度のココロ咲く夏の大東よさこいの打ち上げの日、現代表のかなみさんに勢いで「私、60までって言ってたけどやっぱりまだこのチームにいても良いですか?大阪万博まで!」って叫んでいました。

この時、還暦誕生日を半年過ぎてたんですが…

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★私の役割★

私も何かお役に立ちたいな~と思って、地元の吹田まつりのお祭り担当に手をあげたのもこの年。だけど、台風が来ちゃって中止に(;;)

で、昨年から予約班に入れてもらいました。

あまりまだ活躍できてないけど…

最近嬉しいことに、ちょっと年齢の高い方も見学や体験に来られることが増えてきたのですが、年齢のことで躊躇している方に実年齢を明かして、だから大丈夫!ってお話しさせてもらうとホッとした表情になってくれます。

それがとても嬉しい、私にぴったりのお役目でしょ?( ´∀` )

★この道の先はまだ~♪(まるまんてんより)★

私にとって、よさこいと夢源風人に関わる全てが一期一会。

コロナ禍の今年は、オンラインで自主練、飲み会、高知の先生方のレッスンを受けたり、よさこい8のHEI🖤WAを世界の人達と踊ったり、アナログ世代の私が初めてのpaypay登録(笑)

こんな60代を過ごすとは想像つきませんでした😅

こんな一期一会に感謝!ぴとぅの皆に感謝!出会った方々に、そして毎度文句も言わず出してくれる家族に感謝です。

いつまで踊れるのか、この愛するチームにいれるのか、わかりません。

私の望みは、足腰が立てなくなるまで、やれるとこまで、“今”を楽しみたいです。

あれ?大阪万博までって、かなみさんに言ったのに…(笑)

この道はまだまだこれから!

とりあえず、早くコロナが収束してお披露目で、お祭りで、皆と「まるまんてん」を踊りたい!

お祭り会場で見かけたら声かけてくださいね。

マスクしないでお喋りできる世界に戻ってますように・・

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ゆかりでした。

夢源風人とは『大切な家族や仲間との想いを繋げてくれる場所✨』

予約班をしています、TAGGYと書いてたぎーと言いますっ!前の職場の先輩に名付けてもらってからそう呼ばれることが多く、ぴとぅ内でもみんなからそう呼んでもらってます!

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ブログを書くのはとっても苦手なんですが、せっかくの機会をいただいたので少しでも私のことを知ってもらえたら幸いですっ♪

私がよさこいを知ったきっかけ★

私がよさこいを知ったきっかけは母です!

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母が高知出身なので、赤ちゃんのころから毎年よさこい祭りをしている時期は母の実家に帰省していました🚗

なので、いつよさこいを認識したかは分かりませんが毎年おばあちゃん家に行くと夏のお祭りはよさこい!って思っていて、大人になってからもその感覚は変わってません!(笑)

でも、いつも見る側で実際に踊ろうって気持ちになったのは20代でした😅

20代になって毎年見ているうちに自分も踊りたいなーって気持ちが出てきて、2013年の夏におばあちゃん家から帰省後にインターネットで『よさこい 大阪』って調べると『夢源風人』が出てきて行動派の私はすぐに見学を申し込みそのままチームに入りました!

デビューは2013年のゑぇじゃないか祭りで『ひとつなぎ』を踊りました♪そして、次の年に念願の高知デビュー✨

今まで見る側だったけど、景色が全然違ったこと今でもすごく覚えててなんしか楽しすぎました!なぜ、もっと早く始めなかったんだろうかと思ったくらいです(笑)

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プライベートでも、ぴとぅメンバーとはいろんな思い出をいっぱいつくりました😆

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これは、みんなで富山に行った時っ!

他にも、BBQ🍖

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あとは、鍋パしたり、甲子園見に行ったり、お花見したり、飲みに行ったりもいっぱいして、いつも楽しい時間を過ごすことができましたっ!

チームに入ってから本当にたくさんの仲間とのご縁をいただき私は幸せ者すぎます✨もし、よさこいをしていなければこんなにたくさんのご縁には出会えていないと思います!

そんな私も私情で一度チームを離れることになり、しばらくは踊っていませんでした。

でも、また私が踊るきっかけをくれたのは母でした♪

母が2018年からぴとぅに入って、踊るところを見るためにお祭りに行くと私を覚えてくれていたメンバーからまた踊ろうといっぱい声を掛けてもらい再開することにしましたっ!!!

2019年の『郷』でぴとぅに復帰🎉

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この年の高知で母が生まれ育った旭会場で一緒に郷という演舞を踊れたのには、ちょっと感動しましたし、心から嬉しかったです!本当に親子で踊れてよかったです!

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母には本当に感謝してもしきれないくらい感謝の気持ちでいっぱいです✨✨✨普段、素直になかなか本人に言えないのでこういう機会をいただけてぴとぅの事務局さんはじめ運営に携わっているすべての方々にも感謝しかありません!

今、コロナ禍でたいへんな思いをしている方がいっぱいいると思います。私も仕事が大変だったり、ぴとぅメンバーとなかなか会えない日々だったり、練習もできなくて毎日とても悔しい気持ちです。

でも、『明けない夜はない』と思い毎日自分がやれることを頑張っていきたいと思っています!1日も早く平和な世の中になるといいですね♪

ここまで、私のつたない文章のブログを読んでいただいて本当にありがとうございますっ!!!!!

また、お祭りなどで会える機会がありましたらお声掛けくださいねー!よさこいを通して、もっともっと素敵なご縁を繋げていきたいですっ♪

『目には見えない思いのつながり』

本当にチームコンセプト通りの素敵なチームだと思いますっ!ぴとぅと出逢えて、仲間になれて本当に本当によかったです💕

今後も、よろしくお願いいたしますっ!

TAGGYでしたーっ♪

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このWebサイトはぴとぅ広報班が管理しています。
ティリッティー!!

ぶんたです。
ブログというものは初めてで、ティリーになりそうですが、お付き合いいただければと思います。
できるだけ、端的に綴ります。詳細は、、飲み会などで聞いてもらえれば、と思います。
話が古く、写真がない項目が多数ありますがご容赦ください。むしろ持っておられたらいただけると有り難いです!

見出し画像

大きく分けて3つ、綴ります。
①よさこいとの出会い
②ぴとぅとの出会い
③ MCのはなし
では早速、、、

①よさこいとの出会い

よさこいとの出会いは1998年
それは名古屋の大学1年生の5月頃でした。
「祭りで踊る団体」というサークル勧誘ビラを見て、昔から盆踊りを踊るのが好きだった私は興味を持ち、練習を見学に行きました。
そこで見たものは、今まで見たことのないモノをカチャカチャ鳴らしながら楽しく踊る学生の姿でした。
そこで鳴子をいただき、「これが鳴子、これを持って踊るのがよさこいだよ」と。
全く新しいジャンルとの出会いでした。
ただ、私は部活でラグビーを始めたこともあり、この学生チームには大学2年〜3年(1998〜2000年あたり)の部活が夏のオフになる期間を中心にソーラン、瑞浪、ど祭り、高知全国大会をはじめ、東海地域のお祭り等に参加し、大変お世話になりました。
また、にっぽんど真ん中まつりが立ち上がった時期でもあり、今思えばよさこいが全国に広がり始めた時期に私も関わり始めた、と感じています。

②ぴとぅとの出会い

ぴとぅとの出会いは2005年
2002年に就職し、初任地の岡山で偶然が重なり、うらじゃを始めていた私は2005年7月に大阪に転勤になる際、よさこいを続けようと、当時のうらじゃメンバーであり、よさこいにも詳しかった方に、
「高知本祭に出場している大阪のよさこいチーム」を紹介してもらうことにしました。
彼は3つチームを挙げた上で、「お前ならぴとぅだな笑」と、当時の代表に連絡を取ってくれました。
その後、転勤して1ヶ月くらい経った8月頃に‟VHSの振りビデオ”が
「こいやで踊るから覚えて来てね!」
の手紙と共に送られてきました、、、

画像8

(VHS知らないとか言わないで…)


多分こいやは参加したはずですが、不慣れな土地で人も踊りもわからず必死で、詳しい記憶はありません!
このあと、仕事がバタバタし、半年程はチームに顔を出せずにいました。
その後、2006年のWTCに久々に参加しましたが、誰がいるかもよく分からずさまよっていたところ、2000年くらいに京都のよさこいチームで踊っていたぴとぅメンバーが声をかけてくれました。
彼は私と世代が近く、学生チーム同士だったこともあり、昔話など、盛り上がりました。
そしてこの時、
「学生チームでよさこいやっててよかった」と思うと共に、
「あ、ぴとぅでなんとかやっていけそうだ」と感じました。
この時の出会いがなければ、現在私はよさこいをしてなかったかもしれません。
入って日が浅い私に声をかけてくれたこと、感謝しかないです!
私は全国を対象にした転勤の可能性があるのですが、偶然大きな転勤がなかったこともあり、今まで長らくぴとぅにお世話になっています。

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③MCのはなし

私がMC業を知るきっかけは、岡山でした。
当時岡山では、岡山の文化であるうらじゃ踊りや、新しい総踊りであるうらじゃ音頭を広めようというPR隊なるものがあり、私はそこに所属し、中四国のお祭りに参加していました。
チームにはMCをする方が複数名いらっしゃいましたが、たまたま、とある四国のお祭りでどなたもいらっしゃらず、
「誰かやりますか?」
となり、こんな機会もそうないし!と、ノリと勢いでステージでうらじゃ音頭を煽りました。
また、ミニ地方車付きパレード会場もあり、地方に載せていただき、MCの先輩にご指導いただきながら煽りました。
「MCって、面白い!!」
踊り子で煽られたことはあっても、煽る側は初めての経験。全てがめちゃめちゃ新鮮でした。
その後、踊り子が中心でしたが、たまにMCの機会をいただき、高知全国大会でも緊張しましたが、煽る機会をいただいたりもしました。

そしてぴとぅに来て、、
1年目、2006を踊ったとき、ぴとぅのMCは代表がやっていることを知りました。
代表はいろいろ忙しく、それなら代表ではない、MCというポジションが必要なのでは。そんな気持ちと同時に、自分が煽ってみたい気持ちがあったように思います。
そんな6期(2007年)の始まりで、今期やりたいことをメンバーにアンケートが来たとき、MCの話をしていたところ、当時の代表(現代表ですね!)に
「じゃあ、MCやって!」と煽られました。
そう言われると思っていなかったので、びっくりしましたが、新しいモノを作ることにワクワクし、2つ返事でOKし、MC班ができた次第です。

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始まった当時は1人でグイグイ煽ってましたが、私は転勤などがあり、ずっとMC班を仕切っていける保証がありませんでした。
そこで、2年目からはMCの楽しさ、素晴らしさを多くの踊り子に知ってもらい、実際に経験して欲しいと考え、高知スポットを含めて今後のMC班を引っ張っていくメンバーの募集、スカウトを続けてきました。
年々、徐々に高知スポットを含むMCメンバーが増えていきました。
そして今は有り難いことに、専属部隊も出来、私はメインメンバーをサポート、応援しながら、たまに楽しく煽らせていただいてます。
みなさんも、是非一度はMCしてみてください!

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さいごに。

結局、長くなってしまいました。
さいごに。
「目には見えない想いのつながり」をベースに、ぴとぅが持続可能なチームであり続けられるよう、踊りだけでなく、飲みや遊び等、私のできることで引き続き盛り上げていけたらなと思います!

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乱筆失礼しました。ティリッティー!!

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