かしらの話

救護担当かしらです。大阪市内で鍼灸整骨院を独立開業しており、休日にはスポーツ大会での救護活動やトレーナーとしても活動としています。

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隊列の一番後ろから、またはステージ横で救護担当としてウロウロしている自分ですが、踊っていた時期もありました。

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夢源風人さんとの出会いは意外にも古く、初めて出会ったのが2005年、今から15年も前の事になります。

元代表の妹とプライベートで交流があったんですが、『あんた好きそうやから一回見においでや』と誘われたのがキッカケでした。

よさこいって何やろ?

と右も左も分からず、誘われるまま練習場所である中学校へ!その日にイキナリ振り落としが始まったのにはビックリしましたが、今となっては良い思い出(笑)

そこから踊ってたのかというとそうではなく、当時修行させて頂いていた職場が月給6万円という超好待遇(笑)

もちろんそんな給与で生活できるはずもなく、早朝のコンビニバイト・深夜のファミレスバイトでも働き、廃棄弁当や賄い飯などで食い繋いでいた為、金銭的にも時間的にも余裕がなく、なかなか参加する事が出来ませんでした。

その後、仕事の待遇も少し落ち着いてきた2008年

夏休みに青春18切符を使い一人旅をしていた所『高知よさこい祭り』と書かれた車内広告を見付け、ちょうど祭り期間中で特にあてもなかった為そのまま高知市内まで足を運びました。

そこで初めてよさこいを見て、夢源風人が踊ってる姿を見て。
『この中に入りたい』という思いが目覚め、大阪に帰って早速練習会へ!
踊りなんて全く経験のなかった自分ですが、皆さんのサポートもあり2009年の「空かける雲路」でデビュー。そこから4年間踊り子として、またある日はMCとして活動させて貰いました。

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そして現在、

皆さんご存知の通り、夢源風人のトレーナーとして毎年高知へ足を運んでおりました。よさこい祭りを後ろから見ていて『20周年に向けて踊りたい』という思いが芽生え、19期は踊り子復帰を目指し練習に参加していましたが、新型コロナウィルスの影響もありお祭りは中止に。。。来年こそは踊りたいという思いはあるものの、時間的にスケジュール的に不確定要素が多くまだ迷ってる状態です。

しかし救護スタッフとして高知には参戦し、最後尾から皆さんを全力でサポートさせて頂きます。妻(たいせー)共々、今後ともよろしくお願い致します。

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