Archive: 8月 6th, 2020

人見知り可奈子の一生

こんにちは。
19期事務局のかなこです。
ピトゥタイムズでいつもお世話になっております。

見出し画像

「ぴとぅとの縁、つながり」を綴るこのブログ企画。

自分の過去をおおっぴらにするなんて、大変こっぱずかしいのですが。
いっちょ、やってみたいと思います。
自分の経験や繋がりが、また誰かの繋がりになれたら嬉しい。

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始まりはエイサー

先日ぴとぅのメンバーさんからサプライズで、モザイクアートを頂きました。そこに隠された私へのメッセージは『歩く太陽』。なんともったいないことば。

今でこそありがたいことに「笑顔が素敵」「顔がうるさい」とよく言って頂けますが、20歳頃までそれはもう、人見知り全開で笑うことがほぼ無く、どの写真を見ても真顔で暗い影が写る子でした。(あまりにも暗くて怖いからここには載せない☆)

そんな大人しくて暗い子が、初めて強く「これがしたい!」と感じたのが、中学生の時に沖縄で見たエイサー。
元々バレエや日本舞踊を習って舞台で(真顔で)踊る機会も多くありましたが、目の前で繰り広げられる迫力ある演舞に、「私がしたいのはこれだ」と目が離せませんでした。大きな太鼓の音に、笑顔で身体を大きく動かして楽しそうに踊る、お兄さんたち。かっこよかった。

今でこそエイサーを踊るチームは日本や世界各地にありますが、当時は沖縄以外にはあまりなく「いつかあんな風に和物で激しく踊ってみたい」と感じたのが始まりです。

『京炎そでふれ!チーム大曇天返し』との出逢い

そんな想いを胸に秘め、暗い自分もどうにか変えていきたいと、いろんな活動をし始めた学生時代。
2008年、京都の新風館。イベントのボランティアをしている時に、会場のステージで踊りが始まりました。
着物風の衣装を着て、アップテンポな曲調に加え激しい踊り、そして聞き覚えのある声……ん、声???
そこで踊っていたのは『京炎そでふれ!チーム大曇天返し』、そのMCを担っていたのが当時知り合ったばかりの友人でした。

大曇天返しPV

(京炎そでふれ!ってなんじゃいな?って方はまた聞いてください。)
そこから、私の人生は大きく変わり始めました。仕事で抜けた時期もあったけど、大曇天返し(以下どんでん)にいた期間トータル6年。
話したらこれまたブログ1個できるくらい長くなるので省きますが、踊っている姿を見たうちの両親が「あんたってあんなに笑顔で踊れるんやな!」と喜んでくれたことが、とても誇らしく嬉しかった。
暗い自分を、少しでも変えることができたと実感したことばでした。

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よさこいを学びたい

どんでんで、踊りの楽しさ・踊りがもたらすエネルギー・そしてそれは見ている人の心を晴らし、その人の向こうにいる大切な人たちまでをも元気にする、ということを体感しました。

もっと踊りを学びたい
もっと多くの人と繋がりたい
もっと多くの人の心を晴らしたい

どんでんを卒業したメンバーが次々によさこいチームに入って高知に向かっている姿を見たり、映画『君が踊る、夏』の影響や、友人が『おどりんちゅ』というチームを立ち上げたこともあり、よさこいというものは少しずつ身近になってきました。

そして2度目の転機。
2015年6月。仕事で国際交流プログラムのスタッフをしていると、なにやら今晩よさこいチームが踊りに来るとのこと。
異文化交流の為にと丁度どんでんの衣装を持参していた私はそれを着て、どれどれと参加者のみんなと一緒に客席へ。
そこで演舞を披露していたのが、夢源風人でした。

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これまで踊ってきたどんでんとはまた違った魅せ方。
「いつか、こんな風によさこいを学びたいなぁ」と素直に感じたのをはっきりと覚えています。
その後は当時のメンバーさんと一緒にうらじゃを踊ったり、はなさんに「他チームの衣装着てうらじゃ踊れるこの人…誰」って目で見られたり、楽しかったです。ええ。

「かなこはぴとぅさんが合うと思う」

でも当時は入会には至らず、チーム名も「漢字4文字の読み方分からんチーム」という認識で、1年が経過した翌年2016年のこいや祭り。

ぴとぅがパレード賞を受賞し、メインステージで受賞演舞を踊ったあの年です。

元どんでんのメンバーが踊っていたこともあり、たまたま見ていた演舞。(昨年見たチームだとはこの時まだ気付いておらず)

演舞が始まった途端、中学生の時にエイサーで感じた衝撃と同じものが身体を走りました。目が離せない。
大勢のお客さんの一番最後列で見ていた為、ステージ上で踊るメンバーさんは本当に米粒のよう。けれど、満面の笑顔で踊る白い歯がはっきり見えて。
こんなに楽しそうに踊るチームどこ!?と改めてパンフレットを見て、そこで初めて昨年出逢っていた『夢源風人』というチームだと気付きました。

よさこいチームを探していた私は隣にいた友人に「ここ楽しそうやなぁ…」と呟くと「うん。かなこはぴとぅさんが合うと思う。」とはっきりと言ってくれ、そのことばに背中を押され、見学に行ったのでした。

(↑初めての見学後に事務局さんに送ったメール)

そこからは、あれよあれよと世界が広がり、文字通りぴとぅやよさこいを通して、日本中や世界の人と繋がることができました。

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やいろの皆さん(上)とスウェーデンで活動している白夜よさこいチームの皆さん(下)

高知のよさこい祭りに初めて参加した時の充実感としんどさは、きっと忘れないだろうなぁ。
ことばを交わさずとも、沿道のお客さんと会話ができた瞬間が確かにあって。そして『踊りは人の心を晴れにできる』と確信を持って言える体験が、高知には溢れていました。
ぴとぅと出逢い、高知に行き、学んだことの多さといったら。踊ることももちろん楽しいけれど、その踊り子を支えるスタッフも、とっても楽しいよ。またやりたい。

すべてのものはつながっている

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私の愛する海遊館に展示されていることばです。

ぴとぅは、求めれば求めるだけ応えてくれる人と環境があるなと個人的に感じています。
また、チームに居る目的はそれぞれであっていいと思っています。踊ることが好き、メンバーが好き、衣装が好き、雰囲気が好き。
ただ、どんな形であれども、今ぴとぅと関わってくれているのならば、私は「このチームに入ってよかったな!楽しいな!」って思える場所にしたい。
だってせっかくご縁があって出逢えたのだものね。

読んでくださっている皆さんもきっとそれぞれの選択や繋がりがあり、今があるのだと思います。
人見知りで笑えなかった私が、踊りを通して、自信を持って笑えるようになったみたいに。
ぴとぅと関わるこの瞬間が、皆さんの素敵な未来に繋がりますように☆

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このWebサイトはぴとぅ広報班が管理しています。
人見知り可奈子の一生

こんにちは。
19期事務局のかなこです。
ピトゥタイムズでいつもお世話になっております。

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「ぴとぅとの縁、つながり」を綴るこのブログ企画。

自分の過去をおおっぴらにするなんて、大変こっぱずかしいのですが。
いっちょ、やってみたいと思います。
自分の経験や繋がりが、また誰かの繋がりになれたら嬉しい。

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始まりはエイサー

先日ぴとぅのメンバーさんからサプライズで、モザイクアートを頂きました。そこに隠された私へのメッセージは『歩く太陽』。なんともったいないことば。

今でこそありがたいことに「笑顔が素敵」「顔がうるさい」とよく言って頂けますが、20歳頃までそれはもう、人見知り全開で笑うことがほぼ無く、どの写真を見ても真顔で暗い影が写る子でした。(あまりにも暗くて怖いからここには載せない☆)

そんな大人しくて暗い子が、初めて強く「これがしたい!」と感じたのが、中学生の時に沖縄で見たエイサー。
元々バレエや日本舞踊を習って舞台で(真顔で)踊る機会も多くありましたが、目の前で繰り広げられる迫力ある演舞に、「私がしたいのはこれだ」と目が離せませんでした。大きな太鼓の音に、笑顔で身体を大きく動かして楽しそうに踊る、お兄さんたち。かっこよかった。

今でこそエイサーを踊るチームは日本や世界各地にありますが、当時は沖縄以外にはあまりなく「いつかあんな風に和物で激しく踊ってみたい」と感じたのが始まりです。

『京炎そでふれ!チーム大曇天返し』との出逢い

そんな想いを胸に秘め、暗い自分もどうにか変えていきたいと、いろんな活動をし始めた学生時代。
2008年、京都の新風館。イベントのボランティアをしている時に、会場のステージで踊りが始まりました。
着物風の衣装を着て、アップテンポな曲調に加え激しい踊り、そして聞き覚えのある声……ん、声???
そこで踊っていたのは『京炎そでふれ!チーム大曇天返し』、そのMCを担っていたのが当時知り合ったばかりの友人でした。

大曇天返しPV

(京炎そでふれ!ってなんじゃいな?って方はまた聞いてください。)
そこから、私の人生は大きく変わり始めました。仕事で抜けた時期もあったけど、大曇天返し(以下どんでん)にいた期間トータル6年。
話したらこれまたブログ1個できるくらい長くなるので省きますが、踊っている姿を見たうちの両親が「あんたってあんなに笑顔で踊れるんやな!」と喜んでくれたことが、とても誇らしく嬉しかった。
暗い自分を、少しでも変えることができたと実感したことばでした。

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よさこいを学びたい

どんでんで、踊りの楽しさ・踊りがもたらすエネルギー・そしてそれは見ている人の心を晴らし、その人の向こうにいる大切な人たちまでをも元気にする、ということを体感しました。

もっと踊りを学びたい
もっと多くの人と繋がりたい
もっと多くの人の心を晴らしたい

どんでんを卒業したメンバーが次々によさこいチームに入って高知に向かっている姿を見たり、映画『君が踊る、夏』の影響や、友人が『おどりんちゅ』というチームを立ち上げたこともあり、よさこいというものは少しずつ身近になってきました。

そして2度目の転機。
2015年6月。仕事で国際交流プログラムのスタッフをしていると、なにやら今晩よさこいチームが踊りに来るとのこと。
異文化交流の為にと丁度どんでんの衣装を持参していた私はそれを着て、どれどれと参加者のみんなと一緒に客席へ。
そこで演舞を披露していたのが、夢源風人でした。

画像2

これまで踊ってきたどんでんとはまた違った魅せ方。
「いつか、こんな風によさこいを学びたいなぁ」と素直に感じたのをはっきりと覚えています。
その後は当時のメンバーさんと一緒にうらじゃを踊ったり、はなさんに「他チームの衣装着てうらじゃ踊れるこの人…誰」って目で見られたり、楽しかったです。ええ。

「かなこはぴとぅさんが合うと思う」

でも当時は入会には至らず、チーム名も「漢字4文字の読み方分からんチーム」という認識で、1年が経過した翌年2016年のこいや祭り。

ぴとぅがパレード賞を受賞し、メインステージで受賞演舞を踊ったあの年です。

元どんでんのメンバーが踊っていたこともあり、たまたま見ていた演舞。(昨年見たチームだとはこの時まだ気付いておらず)

演舞が始まった途端、中学生の時にエイサーで感じた衝撃と同じものが身体を走りました。目が離せない。
大勢のお客さんの一番最後列で見ていた為、ステージ上で踊るメンバーさんは本当に米粒のよう。けれど、満面の笑顔で踊る白い歯がはっきり見えて。
こんなに楽しそうに踊るチームどこ!?と改めてパンフレットを見て、そこで初めて昨年出逢っていた『夢源風人』というチームだと気付きました。

よさこいチームを探していた私は隣にいた友人に「ここ楽しそうやなぁ…」と呟くと「うん。かなこはぴとぅさんが合うと思う。」とはっきりと言ってくれ、そのことばに背中を押され、見学に行ったのでした。

(↑初めての見学後に事務局さんに送ったメール)

そこからは、あれよあれよと世界が広がり、文字通りぴとぅやよさこいを通して、日本中や世界の人と繋がることができました。

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やいろの皆さん(上)とスウェーデンで活動している白夜よさこいチームの皆さん(下)

高知のよさこい祭りに初めて参加した時の充実感としんどさは、きっと忘れないだろうなぁ。
ことばを交わさずとも、沿道のお客さんと会話ができた瞬間が確かにあって。そして『踊りは人の心を晴れにできる』と確信を持って言える体験が、高知には溢れていました。
ぴとぅと出逢い、高知に行き、学んだことの多さといったら。踊ることももちろん楽しいけれど、その踊り子を支えるスタッフも、とっても楽しいよ。またやりたい。

すべてのものはつながっている

画像6

私の愛する海遊館に展示されていることばです。

ぴとぅは、求めれば求めるだけ応えてくれる人と環境があるなと個人的に感じています。
また、チームに居る目的はそれぞれであっていいと思っています。踊ることが好き、メンバーが好き、衣装が好き、雰囲気が好き。
ただ、どんな形であれども、今ぴとぅと関わってくれているのならば、私は「このチームに入ってよかったな!楽しいな!」って思える場所にしたい。
だってせっかくご縁があって出逢えたのだものね。

読んでくださっている皆さんもきっとそれぞれの選択や繋がりがあり、今があるのだと思います。
人見知りで笑えなかった私が、踊りを通して、自信を持って笑えるようになったみたいに。
ぴとぅと関わるこの瞬間が、皆さんの素敵な未来に繋がりますように☆

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