『ただいま』って戻れるあったかい場所☆つもりん

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MCの団扇持ってる写真

よさこいとの出逢いを綴るって、超ハードな作業。。。
私のコトバに興味がある人なんて少ないとは思いますが、ココロを込めて綴ります。
長くなりそうなんで、どうぞゆっくり時間がある時にお付き合いください。


-中之島まつりとの出逢い-

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第26回中之島まつりポスター

私がよさこいに出逢ったキッカケを語るにはやっぱりここからだな、と思います。
現在39歳、2人の子持ちの関西のおばちゃん全開の私ですが、そんな私にも女子高生という可愛らしい時はありました。
芸能文化科という上方芸能を学ぶという特殊な高校に通い、体重75キロという巨漢の割に楽しい学生ライフでした。
授業の一貫である落語家さんたちのお祭り(毎年9月開催の彦八まつり)にお手伝いに行き、そこで中之島まつりの実行委員会さんと出逢います。
当時は演劇とダンスに没頭してた私。
『中之島まつりのステージやらしたるから一緒に祭り作ろう』
とのお誘いにほいほいくっついていきましたwww
そうして初めてお祭りの運営に携わったのが、1996年、15歳秋のこと。
中之島まつりでは、たくさんの経験をさせてもらいました。
子供ステージのステージ長に始まり、メインステージのステージ長、飲食ブースの店長、そしてお祭り全体の事務局長。
当時は中之島まつりが私のすべてでした。
そんな生活の中、新たな出逢いが訪れました。

-こいや祭りとの出逢い-

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第1回こいや祭りガイドブック

中之島まつりの事務所がほぼ自宅化してた私。
ある日、めちゃくちゃ美人の大学生がやってきました。
はい。第1回こいや祭り実行委員長の野澤さんです。
なにやら、大学生が実行委員となって、大阪で踊りのお祭りをしたいらしい。。。
『応援しよー!』って訳で、私の自宅化していた事務所は、急に美男美女大学生が毎日真剣に話し合う事務所となりました。
当時まだ18歳?だった私は、どう考えても自分より大人びてる同世代の人たちに圧倒されっぱなしでした。
そして、迎えた第1回こいや祭り。
私はブースからステージを見てました。
もともとダンスをやってたこともあり、ウズウズしっぱなし!笑
とにもかくにも無事に第1回こいや祭りが終わり、さぁ、次は自分たちの祭りに没頭!と日常に戻ったのです。
しかし、私と同じようにウズウズしてた人が他にもいました。
私と同級生のお父さん。。。
《もりしげさん》です。

-よさこい踊りとの出逢い-

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こいや祭り実行委員としてよさこい普及活動

ある日、急に《もりしげさん》に『つもり、踊るん好きやろ?城公園行こうや』と誘われました。
よくわからないままついていくと、そこにいたのは《ひめ》と呼ばれる綺麗だけどサバサバしてて少し怖いwww方。
挨拶もそこそこに、急に振り落としが始まりました。
【こいやの舞】ともう1曲(諸事情により曲名は出せません)でした。
なんと数時間でまるまる2曲の振り落としを受けました。
で、、、、
はい。ハマりましたwww
もっともっと踊りたい!踊り子のみんなと仲良くなりたい!
そんな思いが溢れました。
が!
私は祭りを作る側の人間だ!という変なプライドが邪魔をし、メンバーにならず、中之島まつりやこいや祭りの実行委員をメインに活動していました。。。

-夢源風人との出逢い-

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カウントダウンイベントでこいや祭り実行委員と

ぴとぅとの出逢いの章なんですが、、、実はあまり覚えてないんです。。。
いつの間にか振り落としを受けていました。確か、何かのイベントにだけ、スポット参加することになったのがキッカケだと思います。
だから、最初に振り落としを受けたのは総踊りの【花祭り】でした。
そんなに練習にも参加できなかった私にもみんなすごく温かかった。
なんだか青春だった。
そんな空気感だけが鮮明に残っています。
財政難なチームの為に、フリマを開こう!とみんなで商品を持ち寄ってフリマに出品したり、こんなチームにしたい!とか、よさこいの魅力とか、私の知らない世界を聞かせてもらいました。
《ほりちゃん》《あかちゃん》と気軽に呼んでた気もするけど、当時は本当に気楽に参加してました。何も役には立てなかったけど、裏方として思い付くことは言ってた気もします。
活動に行ったり行かなかったり、、、当たり障りのない、居ても居なくても同じな活動をしてました。
そんな私がぴとぅにどっぷり浸かったのは2005。
同じ中之島まつり実行委員だった《まるさん》が代表をするとのことで、誘ってもらって、真剣に練習しました。
振りは、これまた中之島でご一緒の《みっつん》。
この年は頑張って練習に行きました。
初めて衣装も買いました。
だけど、高知のよさこい祭りには興味がなく←今考えるともったいない。『あんなに暑いところで踊るなんて信じられへん!』の殻から抜け出せず、衣装を着て踊ったのは寒い冬の季節のみwww

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EXPOまつりんぐ

両肩が出てる衣装はかなり寒かった!
あ、この2005に《はなちゃん》がぴとぅにやってきました。
今とほとんど変わらない、超超可愛くて踊りも上手でストイックで、はなちゃんと初めて会った日は今でも鮮明に覚えています。
その後2006は廃人になり、2007にたった1回だけ復帰しました。
明石やったかな、、、?
振りもままならない状態で、産んだばかりのりょうやを連れて参加し、見事に気持ちが敗北。。。
そこからは子育てに追われる日々となりました。

-再会。そして、ただいま-

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雨の神戸よさこい

りょうやが幼稚園の時にとあるキッカケで、またよさこいとご縁することとなりました。
【よさこいチーム天舞音】です。
地域の小さいお祭りに参加してる小さいチームかと思っていたらビックリ!
いろんなお祭りに参加してて、私は久々に夢源風人の演舞を観ることになりました。
数年振りに見たぴとぅはすごいことになってました。

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こいやプレでのかなみとここちゃん

コトバでは表現しにくいけど、笑顔溢れてる数がめっちゃ増えてて、洗練された演舞で、キラキラしてました。
久々過ぎて声もかけにくかったけど、ある年のこいや祭りで、ぴとぅのブースに行って、『久しぶり!』と勇気の一言。
すると、私の心配はどこへやら、普通に話してくれる仲間がそこにはいました。
りょうやが4年生になる年、私は決意。
私もぴとぅで踊りたい。仲間になりたい。
そこで、《かなみ》に『子供らいてるし、高知には行けないけど、私、復帰しても良いかなぁ?』と連絡しました。
みゆかを産んだ後もずっとずっとぴとぅに居るかなみだけが頼りでした。
お返事は『OK!』
(ノ´∀`*)
メンバーに新曲【あふさかんシンフォニー】御披露目となったクリスマス忘年会より、復帰となりました。
心機一転、私は本名で《かつまま》と登録したのですが、
そこには《かなみ》《はなちゃん》《みっつん》《ポッター》《あきべ(名前だけ知ってた)》《たいが(ぴとぅではないところで知ってた)》などなどが私を《つもり》と呼ぶので、あきらめて登録名は《つもり》を通すこととなりました。

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あふさかんシンフォニー

-夢が叶った-

あふさかんシンフォニーは家族で私だけが参加。まだまだ小さい子どもたちを連れて練習に行くことは叶わず、始めに開催された振り落とし合宿だけが頼り。子どもたちを退屈させないように工夫しながら皆さんにも協力してもらいながらのスタート。
ほとんど練習に行けずでしたが、かえる祭りや神戸よさこいなどに参加しました。
日頃の練習には1人で参加してましたが、イベントには子どもたちを連れてました。
そして、大阪大会。
大賞は逃しましたが、ぴとぅは金賞でした。
それを見たりょうやが『ぼく、来年ぴとぅ入ろうかな』と!
嬉しかった。本当に嬉しかった。
みんなの笑顔、温かさ、その全てが4年生のりょうやにも届いたんだ!と実感しました。

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初めての高知のよさこい祭り

りょうやと私の親子ぴとぅ初演舞は
【ハレ、晴れ】
そして、家族みんなで、初めての高知のよさこい祭りに参加しました。
まさに、ハレ舞台でした!
その後は皆様ご存知のように、りょうやにとってよさこいとの出逢いは人生の大切な宝となっています。

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りょうや、ハレ晴れ

-もう1つの夢-

りょうやと私がぴとぅに明け暮れる毎日。当時まだ年中さんだった妹のここちゃんにとってもぴとぅの時間が楽しくなるように色々と工夫をしていました。
ここちゃんは、先ほど出てきた地元のよさこいチーム【天舞音】に所属しています。
ここちゃんの口癖は『私は天舞音が忙しいからぴとぅは無理!』ですwww

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よさこいチーム天舞音

そんなここちゃんが、2019年(ここちゃん1年生)の高知で帯筋のみんなの演舞を見ながら『20周年はここちゃんもぴとぅで踊るで!』とあらためて真剣に言ってきたのです。
まさかの、家族3人で!嬉しすぎです。

本当なら、来年が家族デビューでしたが、1年延期。
悔しくも、りょうやの高校受験と重なり、みんなと一緒のスタートは難しいですが、身体を壊しまくっている私にとっては最善の体調で参加できるように調整する時間が増えました。
りょうやも4月からスタートでもみんなと高知に行く!受験時期は仕方ない!と腹をくくっています(>_<)

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家族でよさこいカウントダウン

-私にとっての夢源風人-

ぴとぅは、あったかいです。
ぴとぅは、やさしいです。
ぴとぅは、げんきです。
ぴとぅは、じゆうです。
ぴとぅに出逢って人生は変わりました。
ぴとぅに出逢って人を想う事を知りました。
ぴとぅに出逢って自分に優しくすることを知りました。
昨年の高知で、ホテルのテレビを通してみんなを見た時、ココロから、
【みんなの笑顔が私の郷です】と思いました。
たくさんのありがとうと
たくさんのかんどうと
たくさんのえがおがある
そんなチームに一緒に居れることが
本当に幸せです。

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みんなからのお手紙

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