虎日記
徒然なるままに、自粛生活、パソコンに向かいて、心にうつりゆくぴとぅのことをそこはかとなく書きつくれば、何か伝えられるものがあるというものだ。
なので、事務局が書くと聞くnoteというものを、人見知りの私もしてみようと思って書くのである。夢源風人に出会ったある年の5月を書きはじめとする。そのぴとぅとの次第をほんの少し物に書きつける。
何か意味のあることを書こうと思えば思うほど、硬い文章になって、面白くなくなってしまう。興ざめ。なので、構成も文体も整えないまま垂れ流します。まもなく約15年前にタイムスリップいたしまーすっ☆
心の準備は出来ているかい?
さぁ!私と一緒に時空の旅に出たい方は、このままスクロール☆
現実世界に帰りたい方は、戻ってね、バイバーイ!
時空をつかさどる、よさこいの妖精とリアルおとど(知らんけど)
夢源風人との出会いの前のプロローグ
何から話せばよいかと思案しまして、まずは夢源風人に出会う前の背景をほんの少し。
私がチームに出会う少し前のに、母が「こいや祭り」というものにハマり、妹もハマり、、、我が家の会話が「よさこい」に浸食されていっておりました。
また、2005年のよさこい祭りに、当時小学5年生の妹「まつりちゃん」が夢源風人から参加することになっていましたので、チームの存在と「夢」「源」「風」「人」と書いて、「むげんかじぴとぅー」と読むのだなぁということは知っていました。ただ、そんなに興味はありませんでした。
その頃の私は、母のお願い(命令?)により、地域の子どもたちに南中ソーランやくるくる丼を教えておりました。地元の盆踊りで子どもたちが披露するために一生懸命頑張ってる子どもたちは可愛かったですね。
子どもたちのことは好きだったので、それほど苦ではなかったのですが、私は踊りたいわけでもなく、、、また母や妹に関わる若い人たちが基本的にテンションの高い人たちだったので、「よさこい」はあまり好きではありませんでした。
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何この前置き(・_・)
2005年
夢源風人との出会いは2005年の中之島祭り
今、みんなと練習している剣先公園がきれいに生まれ変わる前。
そこに作られたステージで、男女とも右肩を出してた紺色の衣装(2004、想いの花火)を着た大人の人たちの演舞。
それまで、地域の子どもたちが盆踊りとかで踊りを披露するために、教えていた踊りとは全く違う、鳴子を持って笑顔で楽しそうに踊る、「大人」に驚き桃の木20世紀でした。驚きももの木20世紀 – Wikipediaja.wikipedia.org
2006年
こいや練の定位置は、みんなと触れ合わない「隅っこぐらし」
夢源風人というチームに出会った一年後、5月の上旬にチームに加入しました。(一年間、何しててん!って突っ込みは無しで。記憶にないから。多分、色々あったんだと思う。きっと。)
私がチームに加入したころは、まだ月謝制だったと思うけど、記憶力が基本的にニワトリなので、、、だれか補足をお願いします。
加入当時のぴとぅメンバー30名ほど。練習会には20名来たら多い方っ!というようなチームでした。(今じゃ考えられないでしょ?)練習場所は、水曜日の大阪城公園、金曜日の春日出中学校と今と一緒でした。
その頃の記憶を頭の中の引き出しを探してみると、必ず先に見つけてしまうものがあります。それが「こいや練」こいや祭り公式サイト大阪の夏を彩るこいや祭りへ!www.koiya.net
その頃は活発に行われていた「こいや練」(毎週火曜日19時~21時、大阪城公園の噴水前に集合な!!って感じ)
私よりも前に、よさこいに浸かっていた母と妹に連れられて、私も毎週火曜に大阪城公園に赴いていました(嫌だった)
チームの中でも言葉を発しないのに、若さウキウキの人たちと話せるわけないでしょう?だから、私はみんなの輪から離れたところで時が過ぎるのを待ってました。(すげぇ変なやつ)
そんなやつでも同世代の人は絡んでくれたんです。人との関わりが嫌いだったけど、その時間は楽しかった。その人たちには本当に感謝。2号くん、やまと、辰村、たむたむ。
毎年高知でスタッフをしてくれている2号くんとは、その頃からの付き合いなんです。(私、甘えきってる。何でも受け入れてくれるから)
ちなみに彼と「湯豆腐を食べにいこうね☆」という約束は14年経った今でも果たされていません(・_・)
2号(若かりし頃)、たいが(痩せてた頃)、さとし(今とほぼ一緒)
同時加入はハルくん。
さて、「こいや練」に話を持っていかれましたが、ちょっと戻ります。上にも書きましたが、私は2006年5月の1週目の金曜日に夢源風人に加入いたしました。その当時を知る人は練習以外は話をせずに小説ばかりを読んでる文学少年と思っていたと思います(違う)
同日加入がもう一人いました。みんなご存じ、ハルくん。(めっちゃイケメン)
元々は勝山組(あきべーくんの同期)で、学校の関係で大阪に戻ってきたので、大阪のよさこいチームを探してたみたいです。1.2ヶ月、チームの体験をしていて、やっと加入したという優柔不断さも彼の魅力☆今は「よさこい塾・ありがた屋」のメンバーです。
彼とは2007年に「中央スタッフ※」として一緒に頑張ることになるのです。
※中央スタッフ:練習会やイベント等を企画運営するスタッフで、花・ハル・たいがの3人で頑張っていました。たいが初めてスタッフをするの巻。
かなあみ代表(2007年当時)が新たに設置したスタッフでした。1年間、楽しいも悔しいも経験して過ごせたことが今の私を作ってくれているんだろうなと常々思っています。
余談の中の余談ですが、人見知りなのに、自己肯定感は人一倍高かったので、何もわからず「何かしたいです」と代表に直訴したのもエモエモのエモですね。(エモい)
また、話が変わりましたね。伝説の中央スタッフについては、2007年の章で触れたいと思います。
顔がいい。(無許可)
練習会には、まじめに通っていたけど、言葉を発することは、ほぼない。
晴れて、夢源風人メンバーになったわけですけども、当然、上記のように人と話すことがありませんでしたので、当時の記憶はあまりない。(・_・)だって、ニワトリだもの。とらを
ですが、当時の振り班の「みっつん」「おおにょさん」「くまっきー」「はな」「はんな」の皆様をいっぱいお声かけをしてくださったのを覚えておりますが、、、あまり話しませんでした。(ごめんね、青春☆)
それでも、自分より大人な人たちに囲まれるのは、ちょっと地元のような感覚があり、居心地は良かったんです。(当時の方々、皆様にお伝えしたい。)だから今まで続いてるんです。
居心地が良かったので、練習は皆勤賞かつ19時前には練習場所に到着しているような優等生。ストレッチも黙々とこなし、練習も黙々とし、休憩も黙々と取っていました。そして黙々と帰ってました。(黙々黙々、、、ゲシュタルト崩壊?)
その成果が動画に残っているみたいです。運動神経だけで踊っていたので、当時の振りを振り返るのはとても恥ずかしい。ですが、よろしければ観てください。(画角と画質が時代を感じさせますね。)
また当時の夢源風人は総踊りを積極的に踊っておりまして、「しげじぃ」(notなかじぃ)という方の「ぶんだら節」が好きでした(今はもう振りはおろか、曲すらも出てこない)
最初は、コミュニケーションおばけのあきべーくんが「苦手」だった。
今の夢源風人の中で先輩は4名います。みっつん(今と変わってない。職業チャラ男ではなかった。)、ぶんちゃん(今と変わってない。お酒は弱くなったと関係者談)、なかじぃ(今と変わってない。本当に変わってない。)、はな(当時身長123cm、本人談)。この4名には頭上がりません。
※つもりさんは、僕が入る前に抜けてるので、、、
そして、一番近い後輩は、あきべーとかなあみです。
ふふふ、私の方が加入したのは先輩なの。知らなかったでしょ?(その頃、既にチーム外では有名人さんでしたが、話さなかったので、そんなことは分かりませんでしたw)
あきべーくん。
彼ね、すごい話しかけてくるの。後、距離感の詰め方が”剣道”。なんかバッ!!って詰めてくる。わかるでしょ?
「何?この人類。。。めっちゃ顔近いやん」って印象しかなかった。「しかも、めっちゃ、やんやん言うてるやん。。。」って感じ。
彼と話すようになったのは、2006年のよさこい祭りが終わってから。
仲良くなれると思ったら、距離の詰め方は、私が”剣道”。相手は困惑。(なんか、いろんな人、ごめんね。)
今では、仲良し。出会った頃は人の家でお互いパンツ一丁で、一つの布団で寝ることになるとは思わなかったよね。
正真正銘の柴田彰洋くんです。
今はこんなにも仲良し☆
数年後の「あきべー」と「ハル君」(もちろん無許可)
すべてを変えた2006年よさこい祭りの前夜祭。十人十彩の衝撃
さぁ、ちょっとここで、よさこいの話しでもしましょうか。
あの頃の私にとっての「よさこい」は夢源風人が全てでした。三國無双から着想を得た振りもキムタクをイメージした衣装も、航海に向かう楽曲も手作りの地方車も、代表1人副代表2人の三人で天を目指す「夢奏人(かなで)」というテーマも「これが俺らのよさこいやぁ!!」って気持ちでいました。あ、もちろん、自分たちが一番だって、心の中ではいつも思ってるよ!New video by ぴとぅめもりーphotos.app.goo.gl
動画があったっ!地方車も昔の規定だから、お顔がある!
そんなこんなで初めてのよさこい祭り。行きのバスの中で、初対面の方多数の中で自己紹介をするという地獄を味わいながらもたどり着いた高知。その後、14年も続けていくことになるとも知らずに。
行きのバス内、とてもワクワクしてそうな顔(・_・)
以前はホテルに着く前に、前入り班が組み立ててくれた地方車を見に行って、地方車から大音量で流れる曲で踊って、気持ちを高めるというようなことをしてたんです。
そしてホテルに着いて、どうしようかなぁと思っていると同室の子(練習で何度か話したことのある「たけなみくん」)が「たいが、前夜祭行くで!」と声をかけてくれたので、付いて行くことにしました。(私、従順)
そして訳も分からず、ロスインから中央公園まで徒歩で向かいました。今と昔で何が変わったかなと思い返すと、2006年は高知駅会場がなく、高知駅も新駅舎になるまでだったかなぁ。。。
なんやかんや10分~15分くらい歩いてたどり着いた中央公園。既にすごい人数の観客がいて、それはそれで圧倒された。(聞いてないやん、よさこい祭りがそんなに大きいお祭りだなんて。だって、大阪ではそんなに観客集まらないし。)
審査員席の下で三脚を構えていたオジさんの横を陣取り、ドキドキしていると♪ダンダンダダンッ!ダンダンダダンッ!!と、始まったチームの演舞。
十人十彩2006は、その当時持っていた私の「よさこい」の概念をいとも簡単に崩しました。
音の迫力、洗練された衣装、振りの完成度、隊列美、そのすべてがかっこよくて、凄かった。どれくらい凄かったかというと、凄かった以外の語彙が消し飛ぶくらい凄かった。
上の動画は何回も観たし、携帯の着メロを十人十彩2006にしてたくらい大好き。
私は未だ、この演舞を越えるモノに出会えていない。もちろん演舞の質とかクオリティ、創造性とか考えると、今のよさこいの方が進化していると思う。進化していなければならないとも思う。ただ、その時の知識、気持ちや経験との相互作用から考えると、十人十彩の2006を越える作品はない。
この年の十人十彩は前夜祭グランプリ、よさこい大賞の2冠に輝きました。やっぱり、凄いっっっ!
そして、この時のたいがくんに教えてあげたい。
「あなたは何年後かに十人十彩2006の振付師、田村千賀に出会えるよ。」と。
出会ってから何年かすると、毎朝LINEで朝の田村千賀動画が送られてくることになるよ、、、と。(snowで、超絶カワイイ先生が毎朝拝めるよ☆)
心が爆発した1日目の夜の追手筋
前夜祭の衝撃をそのままに、始まった夢源風人2006でのよさこい祭り。
こんなに暑いなんて聞いてない!
こんなに踊るなんて聞いてない!!
こんなに楽しいなんて聞いてない!!!
人見知りひきこもり少年の感情は揺さぶられまくってた。
当時体験したこと、思ったこと。(一部抜粋)
お客さん、めっちゃ団扇で仰いでくれるやん。
待って、唐揚げとビールを差し出してくれるけど、踊ってる途中やで??
隣の人と目を合わせて踊るの楽しいっ!
きゅうりで乾杯って何?そんで味噌つけるのは意味わからん。
個人賞って何?めっちゃ嬉しいですけどーーーー!!!
何でバスが通るん?
終わりたくない、終わりたくない、終わりたくない、、、
ヒトはカルチャーショックに出会い続けると、壊れます。(経験談)
感情の波にさらわれ、高知の温もりに酔わされ、土佐の夏に踊らされ、、、気づけば、夜の追手筋の待機。向こう側で待機している別チームと一緒に気持ちを盛り上げ、スタッフの方のgoサインとともに、光に照らされた会場へ走り出す。高ぶる感情とは裏腹に、「終わりたくない、終わりたくない、終わりたくない、、、」という切なさがこみ上げる。まだ明日があると分かっているのに止まらない。
多分、それまでの私とは違う私がそこには居た。あふれ出る感情に心は爆発してた。隊列が横だった「ちゃむさん」に泣きながら、笑いながら、感情をぶつけるように踊ってた。
その光景はニワトリの私でもすごく鮮明に覚えてる。きっと、あの時、私の「よさこい人生」は動き出したんだと思う。
夢源風人に出会えて良かった。
「よさこい」がそんなに好きではなかった私を受け入れてくれたチーム。
いつまでたってもほとんど話さないのに、声をかけてくれたメンバー。
一人にならないように気にかけてくれた、スタッフ。
2006年の高知で感じたのは、「目には見えない思いのつながり」でした。
私の大好きな言葉です。
あとがき
まだ続くんかぃ!って思ったあなた。
同じことを私も思っています、奇遇ですね。取り留めもまとまりもないことをよくこんなにつらつらつらつらと書けるものですね(・_・)
これ、最初はですね。2012年くらいまでを書こうと思ってたんですよね。でも、タイトルとか考えてるうちに、2012年が減り、2011年が減り、、2008年も2007年もDelete。2006年一年分しか書ききれませんでした。
2006年以降を書くかは、ここまで読んでくださった皆様の反応次第です☆
最後に、、、
今年のよさこい祭りはないけれど、来年の高知の空はきっと青空です。
必ず、心が爆発するような空間と時間があなたを待っています。そう、2006年の私のように。
2006年の私(全く何もどこも変わってないですねぇ)