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太陽に当たれなくても続けてきたよさこい。

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皆さん こんにちは

夢源風人の踊り子兼カメラ部の しほです。

まずは、簡単に自己紹介から始めます。


私の趣味は
絵を描くこと、写真を撮ること、ハンドメイド、アイドル鑑賞、YouTubeを見ること、お洒落なカフェを巡ること、食べることなど
結構多趣味です。

出身地は北陸の富山県です。
日本地図のどこの地域にあるのか分からない人が多いような県ですが、
日本海側に面していてホタルイカや白エビ、ブリなどの新鮮な魚が食べれるのが魅力の自然豊かな街です。

とても控えめな性格なのですが、慣れてくると結構喋ります。


どうぞ よろしくお願いします!😌


お祭りでは日差しが強い時、日傘をさしていることが多いです。


なんで日傘さしてるの?

女子力高め!など思われる方もいらっしゃるかと思います。

私は紫外線を浴びることができません。

しかし、日に当たれなくなってからも よさこいを続けてきました。

〜 踊り子のはじまり 〜

私は 2017年のハレ、晴れの時から夢源風人で踊ってきました。
興味のあることには進んで挑戦しにいく性格で、小さい頃から地元のお祭りでよさこいを見ていて、自分もいつか踊ってみたいと思っていました。
新しい趣味を探している時に偶然見つけたのが夢源風人でした。

チームに入りたての頃は 鳴子を鳴らしたのは初めてだったので、実際に踊りながら鳴らすことは想像していたよりも難しくて、振りチェックの日が終わるまでは周りに付いていくことに必死でした。

なんとかお祭りデビューを果たして、年間を通して沢山のお祭りに参加し踊ることで、よさこいに楽しさを感じるようになり、気が付くとよさこいも趣味のひとつになっていました。

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写真:いずみよさこい、瑞浪バサラカーニバル

ハレ、晴れの年が終わり 2018年 ココロ咲く夏のお披露目が始まる時期、

訳あって突然 日に当たれなくなってしまいました。


今年も1年間 普通に踊れると思っていました。

京都さくらよさこい、いずみよさこい、かえる祭り、能登よさこい、吹田祭り、高知よさこい、原宿表参道元氣祭スーパーよさこい、こいや祭り、安濃津よさこい、大阪大会、四日市よさこい、瑞浪バサラカーニバル …


また踊りたい と思っていたお祭りで踊ることができなくなった時、悔しさやショックがとても大きかったです。


外で踊れないのは致命的な問題でした。


しかし、その時は よさこいを辞めることはあまり考えられなくて、踊り子を続ける方法を探しました。


そして、紫外線を浴びる時間をなるべく減らすことで 踊ることが難しいと思っていた屋外のお祭りでも踊ることができるようになりました。

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写真:四日市よさこい 

8月には、参加することは不可能だと思っていた高知のよさこい祭りにも参加することができました。

真夏の炎天下で 日中は踊れませんが、夕方の日が落ち着いてきたくらいの時間から踊らせていただきました。
後夜祭では この地へ〜 にも参加させていただきました。

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写真:よさこい祭り 帯屋町にて。(写真使わせて頂いてます。)

こうして 今まで踊りを続けることが出来ていたのは、事務局の方、サポートしてくださるスタッフの方、メンバーの方、見守ってくださる周囲の方々のお陰でした。

周囲の人達と同じ様に普通に踊れなくなっても、踊らせていただけて本当に有り難いことだと思っています。

いつもありがとうございます!

〜 写真を撮りたいと思える瞬間 〜

日に当たれなくなってから初めて参加したお祭りは、かえる祭りでした。

屋外と室内の会場があり、室内の1演舞しか踊ることが出来なかった時、初めて踊らずに日陰からチームメンバー達が踊る姿を眺めていました。

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写真:かえる祭り (iPhoneカメラ)

その時は、iPhoneカメラで撮っていました。
写真を見返すと みんな笑顔が素敵でキラキラして見えました。
それから 何度かメンバーが踊る演舞を眺めてるうちに、せっかくの踊っている姿を写真に収めたい と思うようになりました。
踊ることが好きでしたが、よさこいを見ることもこんなに楽しいんだ!と気付かされた瞬間でした。自分にできることで、少しでもチームの役に立てたらと思っています。


〜 チームの良いところ 〜

夢源風人は、事務局さんやメンバーがしっかりサポートしてくれるので、安心して活動する事ができています。
個性の強い方も多いですが、皆んな心が優しい方々ばかり。
私は 踊れなくなってからは最悪な気分で、周囲に距離を置いて疎遠になりかけていました。そんな時でも、メンバーは気に掛けて優しい心で普通に接してくれました。
そんな環境だから今までやって来れたのだと思います。
チームにいることで、私の特技も活かすことが出来ていると感じています。
できないからと 諦めてしまう必要はないと思います。


新しくよさこいの代わりになるものを見つけようと思ったけれど、よさこい界にいる時が一番しっくりきて居心地の良さを感じるので、安心できるこの場所が私は好きなのです。

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参加できるお祭りは減ってしまったけれども、踊れる場所があることに感謝したい。

続けることで 何か意味を持たせたい 。

そう思っています。


よさこいは どんな人でも楽しむことができる 薬 です。

これからも 踊れる機会があれば踊れる限り積極的に参加していきたいし、色んなお祭りのキラキラした雰囲気を写真に沢山収めたいと思っています。


また お祭りで皆様とお会いできることを 楽しみにしています。

ご覧いただき、ありがとうございました。

巻き込まれ事故でした(笑)

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まず自己紹介
ちょこです。
ぴとぅでは、カメラ部に所属しています。
学生時、そんな学部でカメラの勉強は一通りしたような気もしますが。
カメラ部では動画のみ撮影しております。

びっくりするくらいインドアで腰が恐ろしく重く、そしてめちゃくちゃ人見知りです。

両親共に郷が高知県の西の果てなので、夏には毎年のように高知へ帰省していました。
帰省時は、フェリーが高知港に着いたら、市内観光もせずそのまま西の果てへ直行でした。
両親の田舎が大好きだったので、ホントによく帰っていたんです。
両親が帰らなくても帰っていたほどです。
っと田舎自慢したいところですが、ここでのコンセプトとは違うので聞きたい方は個人的に聞いてください(笑)

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高校生になるまで、よさこいというものがあるのを全く知りませんでした。
亡き祖父母からよさこいを聞いたこともなかったですし、
母も「大阪へ来るまでよさこいを知らなかった」そうで。
亡き父からよさこいの話を聞いたことがなかったので、きっと父も知らなかったのだと思います。(お父さん、知ってたらごめん)
きっと高知市内から遠すぎる土地柄もあったのだと思います。

なんなら高知と言えば「リープル」だと知ったのは、シンフォニー(2016年)のスタッフで高知へ行ったとき。
チームのメンバーと一緒に行った市内のコンビニで「高知と言えばやっぱりリープル買わな☆」と言われて(そうなの?!)と思いつつ「もちろん♬」と思いっきり知ったかぶりをしました。
リープルさん、あの時はごめんなさい。素直になれませんでした。

ついでに。
桂浜水族館はあるのは知っていたけど、社会人になるまで行ったことがありませんでした。
おとどちゃん、毎年のように高知へ帰省していたのにごめん。

今は、リープルも桂浜水族館も高知へ行った時は、必ず訪れて飲んでます☆


よさこいを知ったきっかけ

は、従兄です。
高校生時に、高知市内の専門学校に通っていた従兄がよさこい祭りに出るということで、親戚の伯父さんの家のテレビではじめてよさこい祭りをみました。
初めてテレビでみたよさこいを踊っている従兄は、かっこよかったです。
どこのチームで踊っていたのか知りませんが、キラキラしててアイドルのようだったのを覚えています。

でも、別に踊りたいなぁと思ったわけでもなく。
(こんな世界があるんやなぁ~)で終わりました。


で。
ちゃんとよさこい祭りを肉眼で見たのは2003年。
すっかり社会人になってからです。

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ちゃんと写真撮ってた私えらい(笑)
田舎への帰省時、たまたま市内で宿泊し、たまたまよさこい祭りをしていて、踊り子さんが楽しそうに笑顔で踊っている姿を見て(このお祭りは見るよりきっと踊る方が楽しいんだろうなぁ。私は踊らないけど。)と思って終わりました。

その次が2005年、後の旦那さんと田舎へ帰省時。
この時はよさこい祭りが開催されてるのを知ってて、折角高知に来てくれるのだから、高知のお祭りを見せたいと目的をもって見に行きました。
見た直後の旦那さん「凄いな~」っと感動しきりで、見せて良かったと思ったのをよく覚えています。

あとは。
題名の通り旦那さんがすっかりよさこいにハマってしまいまして。
私と子達だけ、先に西の果てに帰省。
よさこいを堪能した旦那さんが後から合流な形になったりして「お前の旦那は、またよさこい見に行きよるがか?」と親戚の方々から突っ込みを受けたりしつつ月日が流れます。


私がぴとぅを知ったきっかけ

は勿論旦那さん。
大東市であったお祭りに旦那さんが用事で行けなくなったので
「行けそうなら代わりに見に行って。何ならついでに撮って来て」
と言われて、何となく大東市であったお祭りに行ったときはじめてぴとぅの演舞を見たんです。
楽しそうに踊ってはるなぁ~と思ったのが第一印象。
動画も撮影はしたのですが、当時2歳の末っ子があまりにノリノリに手を叩いていたのを思わず撮っちゃったのでボツにされました。

なので今回蔵出し動画になります。
携帯で撮影してるので画質荒いです。
何も考えてないので逆光です。

2016年3月20日
あふさかんシンフォニー 大東ふれあいフェスタ

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その時は、まさかこの4か月後に長女と次女がこのチームでよさこいデビューして踊っているなんて。
私がこのチームのカメラ部に入りますって言うなんて夢にも思ってない時期ですね。

カメラ部に入ったきっかけ

ある日の祭りで旦那さんに
「そこ居るならついでにビデオ回してて」とビデオカメラを渡されまして。
何となく動かして撮ったのですが、びっくりするくらい出来が悪くて。
ボツ映像(消去)になりました。
それがすごくショックで。
旦那さんは、別に気にしなくても良いと言ってくれたのですが。

踊り子さんにとっては、大事な記録。
奥の方の踊り子さんも良い顔して踊ってるのをちゃんと撮りたい。
私の撮った映像が、世に影響するとかそういう大それたものでもないのですが、せっかく撮るならチームのみんなにちゃんと喜んでもらえるものが撮りたい。そう思ってしまったのです。

カメラ部へ正規加入

ちゃんとカメラ部に入ったのは16期「ハレ、晴れ」から。
シンフォニーの時は高知のスタッフ登録していただけだったんです。
似非カメラ部だったんですねw
カメラ部に入って良かったと思ったことは、「ちょこさんの動画好きやわ」って言って貰えた時。
愛。込めて撮ってます♡

2017年11月26日 四日市よさこい  諏訪公園メイン会場 「ハレ、晴れ」
https://youtu.be/nLFMsJItyTA

2018年8月11日 高知よさこい祭り 中央公園「ココロ咲ク夏」
https://youtu.be/ndJmOrYLtxI

2019年8月12日 高知よさこい祭り 高知城「郷-Sato-」
https://youtu.be/M6Ct7Cl1Usc

カメラ部で残念なことは我が子入れ食いで撮影できないこと。
やっぱり親なので子は気になります。
でも撮影してると入れ食いで見れないんですよね。
撮りながら、子が映ると手が止まりそうになります。
そんな子供で止まりそうになってる動画がちらほら。。
はい。
反省しています。<(_ _)>
撮影時は、チームのみんなに愛を込めるように心がけております。

巻き込まれ事故だったけど(笑)

きっと旦那さんがよさこいにハマっていなければ、田舎の祖父母も、父も亡くなって久しく、高知への帰省が遠のいていたと思います。
旦那さんがよさこいにハマって、子供達がよさこいデビューして、我が母も高知まで孫たちの追いかけをしてくれて。
まさか高知市内在住の従姉ご夫婦の家へ洗濯機を借りに自転車を走らせる日が来るなんて(笑)

また高知に帰ってこれるようになって旦那さんには感謝しています。

家族でよさこいやってみるの良いものですよ。

2021年3月20日
まるまんてんお披露目アンコール演舞

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またみんなでわいわい楽しく踊れますように。

おしょう(♀︎)です。

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夢源風人の踊り子兼カメラ部兼ちっちゃいものクラブの一員、おしょうです。
見た目は高校生と言われますが、20代半ばです。

夢源風人の追っ掛けをしている父に読まれることを覚悟して、ブログを書きたいと思います。

よさこいとの出会い

私がよさこいに出会ったのは、大学1回生の春。

先に大学のよさこい部に入部していた友人の誘いで部活動を見学することになり、その場で入部を決意しました。

それまでの人生は、全くと言っていいほどよさこいとは縁がなく、ダンスも未経験。ですが、踊りに興味はありました。

見学に行けば、クセが強くて面白そうな先輩方が歓迎してくださり、とても楽しそうな雰囲気。
週2回の練習会も丁度良い頻度だし、何より部室の時計が私の好きな某アニメのキャラクターだったことから、これは入部するしかないと強く思いました。笑

大学生活はしっかり遊びたいし、緩く運動できる部活やサークルは無いかと探していた私にとって、よさこい部はとても魅力的だったのです。(踊りは全く緩くなかった。笑)

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このよさこい部との出会いがきっかけで、大勢の素敵な仲間たちに出会うことが出来、私の人生はとても色鮮やかなものとなりました。

全ては大学に行かせてくれた両親のお陰だなと思います。

お父さん、お母さん、ありがとうね。

読んでたら連絡ください。

夢源風人

部活動の休憩時間中でも、大好きな仲間たちと休まず踊る程によさこいにドハマリしていた私。

大学2回生になり、大学のよさこいチームでは参加していなかった本場の高知よさこい祭りに参加したいと思い、部活の先輩と同期が所属していた夢源風人の体験会や練習会に参加することにしました。

当時の『あふさかん・シンフォニー』の衣装や曲、振り付けが好きで、同じ部活の2人の先輩と共に、まずは高知よさこい祭りまでを目標にした限定メンバーとして夢源風人に所属することを決めました。(この時、大学のチームと掛け持ち状態。)

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目標にしていた高知よさこい祭りに参加し、圧倒的な楽しさと最高なお盆休みの過ごし方、そして素敵な仲間たちに出会ってしまった私は、夢源風人でこれからも踊り続けたいと思い、正式メンバーになることを決めました。

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正式メンバーになってからでも、その後約1年間は大学のチームと掛け持ちをさせてもらっていたので、両チームが参加するお祭りでは、衣装チェンジや会場移動などで大忙し。
演舞が始まろうとしているのに着替えが間に合わず、着替えを手伝ってもらったり、MCさんに時間稼ぎをしてもらったりと、たくさんご迷惑をお掛けしました…。(苦笑)
それでも、皆さんは嫌な顔をせずに、優しく見守ってくださっていました。
ほんとに、優しい人ばかりなんですよね。

大学のよさこい部を引退してからは、夢源風人のみで活動するようになり、今に至ります。


カメラ部

約3年前から大好きなチームになにか貢献出来ればと思い、サポートする側にも回りたいと考えるようになりました。

私は写真や動画を撮ることが好きで、自らカメラ部に立候補し、踊り子兼カメラスタッフとして活動することにしました。

実際のところ、踊り子としての活動が9割なのですが、ごく稀に動画を撮影したり、自前の一眼レフカメラや何十万円とするカメラを他のスタッフさんにお借りして撮影したりと、緩く活動させていただいております。

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(撮ってるところ撮られがち。)


”撮ること”に興味を持ったのは高校生の時で、父にCanonのデジカメを買ってもらい、高校に持ち込んでは、よくクラスメイトを撮影していました。

今の時代で言う、”映え”写真を撮りたいからではなく、”大好きな人たちとの思い出を、忘れないように残しておきたい”という気持ちが大きかったからです。

今は時代や周りのカメラ好きの方々の影響で、カメラの魅力に気づいてしまい、”映え”を意識していないといえば大嘘になるのですが…。

私が撮影をする大きな理由は、今も変わっていません。


この気持ちを私史上最大限に表したものが、2019年の高知よさこい祭り期間中と、大阪から出発、高知を離れるまでを撮影・編集した、こちらの動画です。

  夢源風人 2019 「郷-Sato-」 高知オフショット集
https://youtu.be/MyBoDicQ1jQ

この動画で、メンバーにはただ楽しかった記憶を思い出してもらえたら嬉しいですし、初めて観てくださった方には、夢源風人の楽しさが少しでも伝わっていれば良いなと思います。

よさこいが無い生活でもそれなりに楽しいけれど、よさこいのある生活の方が何億倍も楽しいことを私は知っているので、また大好きな仲間たちと楽しく踊ったり、心置き無く撮影できる日を楽しみに、毎日健康に気をつけて生きて行きたいと思います。

またみんなで元気にお会いしましょう!‪‪

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ぴとぅカメラスタッフです

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blogを見てくれている皆様、こんにちは。
本日は、ぴとぅで数年写真を撮っている、ちはるが書かせてもらいます。

よさこいとの出会い`

2002年(だったはず?)の8月。
愛知県名古屋市で開催されている「にっぽんど真ん中祭り」に知り合いが出場するということで、友達と見に行ったことが
よさこい人生の始まりとなります。

よさこい撮影のきっかけ

あまり知られていないかもしれませんが
三重県津市で開催されている安濃津よさこいの学生実行委員として
大学時代に3年ほど活動していました。
当時は大阪、愛知、三重、静岡、北海道etcと各所の祭りのスタッフをして
色々なチームの人たちと交流の輪を広げていました。
そのときに現代表かなーみとも繋がりができました。

しばらく学生実行委員を続け、いざやめるとなったときに
今までよさこいを通じて出会った人たちとの記録が何もない!
と思うようになり、思い出のために写真を撮ろうとしたのがきっかけとなります。

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2006年こいやまつり。スタッフをやりながら最後の最後に撮影した一枚。

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2006年学生実行委員活動最後の安濃津よさこいのステージ。

ぴとぅの記録

ぴとぅカメラスタッフのblogなので
ここからは写真で時を進めてみましょう。

まずは写真を撮り始めた2006年!
四日市よさこい

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こいやプレイベント

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2008年
浜松がんこ祭

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こいや祭り

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2009年
浜松がんこ祭 

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まだぴとぅスタッフでもないのに集合写真を撮っていた(笑)

2011年
安濃津よさこい

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ぴとぅのカメラスタッフとしてチームに入った2013年。
京都さくらよさこい

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かえるまつり

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四日市よさこい

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2014年
京都さくらよさこい

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Worldあぽろん

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よさこい祭り(高知)

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2015年
安濃津よさこい

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2016年
よさこい祭り(高知)

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2017年
よさこい祭り(高知)

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原宿表参道元氣祭 スーパーよさこい

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2018年
京都さくらよさこい

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能登よさこい

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原宿表参道元氣祭 スーパーよさこい

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ゑぇじゃないか祭り

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2019年
大東ふれあいフェスタ

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京都さくらよさこい

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原宿表参道元氣祭 スーパーよさこい

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お写真紹介しましたが、
他の祭りはもちろん通常の練習の写真も沢山撮っています。
コロナの影響でしばらくの間、撮影の機会がないですが
今後も「夢源風人」の成長、踊り子の笑顔を撮り続けていきます!!

ぴとぅライフ

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自己紹介

著者 ちゅん
ぴとぅでは主にかめらまん。
広報のお手伝いもさせてもらってます。

一章 遡ること16年。

2005年夏、人生で初の高知県入りを果たした。嫁さんの田舎である高知の西へ向かう途中高知市内でお祭りがあるというので、寄り道がてら観に連れて行ってもらったのである。追手筋沿道には、爆音で演舞曲を奏でながら進むトラック(のちに地方車と呼ぶことを知るのだが、それは随分後のこと)の後ろには、たくさんの綺羅びやかに着飾った踊り子たちが、かっこよく、綺麗に、楽しそうに、踊り進んでくる。次から次へとチームがやって来るのだが、とにかく爆音で、衣装・踊り・音楽・小道具・トラック、どれ一つをとっても違う、何もかもが多彩すぎる衝撃的光景に圧倒された。この時が、「よさこい」との初めての出会いであった。。。

今思えば、この出会いが人生の分かれ道、「よさこいライフ」まっしぐらに突き進むことになるとは、当時の自分は思いもよらなかったであろう、なくらい変わった瞬間でした。
曲調がみんなノリやすくて、踊りも多彩だし、沿道の人々の空気感も楽しく、とにかく「よさこい」に惹きつけられて、何度もよさこいを観に高知へ行くようになった。ちょうど同じ時期に、同級生で友達の”ばんぶ”が偶然にも、「よさこい」を始めていたこともあり、仕事がらみでミラーレスカメラを手にすることになったこともあって、下手ながらも本格的に踊り子さんを撮るようになったのはホント不思議な縁である。

二章 外から中へ。

2011年からは、カメラ片手に「よさこい」で踊り子さんをたくさん撮るようになっていて、友達の”ばんぶ”が踊るチームさん「櫻嵐洛」や「颯戯FU-JA」、「百物語」を中心に、出会うチームさんを観て楽しんで、撮って楽しんで、呑んで楽しんでと、高知の夏を満喫するようになっていましたね。

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お気に入り会場はやっぱり、帯屋町筋です!距離感・空気感・踊り子のテンション、最高ですね。帯屋でたくさんのチームさん撮りました。”高知”を楽しむようになったのもこの頃から。3月にある高知のイベント「おきゃく」も2012年・2013年と通いましたよ。

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高知以外のお祭りにも行くようになったのは2013年頃からでした。

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友達の”ばんぶ”が踊るので、チームを追いかけて撮るようになったのは、ある意味必然でしたが、そんな2014年夏、「よさこい祭り」を一人で撮影しつつ楽しんでいた梅ノ辻競演場で、とある出来事が、、、沿道でお婆さんから声を掛けられたのである。
この後、孫が踊るチームが来るので、撮ってもらえないか?と、おっしゃられる。
そのチームさんが「踊り侍」で、もともと撮りたいチームさんだったのでお引き受けすることにしました。ただ、お孫さんの顔はわからずなので、たくさん撮るしかなかったわけです。なので、何度か「踊り侍」を追いかけて撮りました!一観客なのに、変な感じですね。。。撮った写真と写真集を後ほど送らせてもらったところ、残念ながらご本人さんは写っていなかったようです(笑)それでも、お友達が写っていたようで、喜んでいただけたようでした。おもしろいご縁でしたね。

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この頃から、チーム参加も意識し始めていたのでしょうかね。2015年3月の「おきゃく」では、”ばんぶ”がつないでくれた「風舞人」の方々と呑んだりしながらチーム参加してみては?と薦められたりもしました。

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そんなこんなで自由な「よさこいライフ」を送っていたわけですが、2015年4月の「さくよさ」で、「夢源風人」の「万華鏡」と出会い、この演舞に一目惚れ。今でも一番好きな演舞です。6月には、問い合わせしてました。そして、そのまま参加することに!ぴとぅかめらまんの幕開けとなりました。

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2015年からは、高知の夏をぴとぅかめらまんで楽しむようになりましたよ。詳しくはまた後で。
「よさこいライフ」=「ぴとぅライフ」となったわけです。
ちなみに「夢源風人」を認識したのは、2014年の「ゑぇじゃないか祭り」で「夏色に心踊りて夢ひらく」、初写真を撮っていたのは、2012年の「よさこい祭り」で「かざぐるま」なのです。(たまたまでしたけど)

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チームかめらまん、結構大変です。でも、最高の特等席で最高のアングルで最高のチームのみんなを観れる・撮れる・応援できる!素晴らしい時間を過ごせています。
唯一辛いのは、他のチームさんを観る・撮る・応援する機会が減ることですね。ちょっと哀し。

三章 ファミリー。

2015年からは「ぴとぅライフ」一色、チームで楽しく過ごさせてもらいつつも、家族ほっぽっての参加もなかなか簡単ではなかったわけで。お祭りやイベントには、だいたい子供たちも一緒に連れていくことが多く、でも、ぴとぅメンバーがいつも、子供たちと一緒に遊んでくれたり見てくれたりとフォローしてくれて、ものすごくありがたかったですね!ぴとぅのみんなに感謝!
2016年の5月には、ぴとぅBBQに子供たちと再び参加。(2015年にもぴとぅBBQがあり参加してたのですよね)このBBQで子供たち向けに「よさこい体験会」をしてくれたのを機会に、子供たちが「よさこい」を始めることとなり、こうなると僕一人では無理なわけで、嫁さんまで参加することになるという。(完全に巻き込まれ事故というやつです)を経て、家族揃ってぴとぅファミリーとなりまして、これまた我が家にとって大きな出来事となりました。

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それから、子供が振り覚える手助けも兼ねて、一緒にシンフォニーの振り落としに参加して、初めて振りを覚えたのも、今となっては嘘みたいなホントの話。(太鼓振りでした)
それからは「よさこいライフ」=「ぴとぅライフ」=「ファミリーライフ」となって、日々どっぷりと「よさこい」漬けですよね。。。笑
毎年、”高知”=「よさこい祭り」で帰る、そのまま高知を旅する、という流れの夏。いつの間にやら家族の恒例行事に。
「高知」よきかな。「よさこい」よきかな。「夢源風人」よきかな。

四章 かめらで撮るということ。

ぴとぅかめらまん。カメラ部所属で一番のお仕事は、お祭りやイベントでぴとぅのみんなを撮ること!ではなくて、ぴとぅのみんなに撮った写真・動画を共有すること。撮った写真を喜んでもらえたらそれが一番うれしいのですよね。そして、撮った写真をそのまま見てもらう、というわけにはいかなくて、出せないものを取り除き、ある程度の補正をかけて見やすくしたりと、この作業がなかなかに大変で、高知終わりは最も厳しいお時間なのですよね。何しろ、高知は年間で一番、一日当たりの撮影枚数が多いですからね。

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といった感じ(僕の場合)で、改めて見るといっぱい撮ってますね。それだけ踊り子も回数踊ってますけどもね。こんなにも残したい光景があるってことなんですよ。びっくりです。これでも連射はほとんどせず、一枚一枚狙って撮るし、交代で動画を撮ってたりもするから、もしかしたら大したことないのかも知れませんね。
カメラ部では、撮った写真を、減らして(僕の場合平均半分くらいになる)補正する作業をして、「ぴとぅ大感謝祭」までにパッケージングしてお渡しする流れが恒例となっております。
ボリューミーながらも、高知の振り返りをするのは楽しいもので、みんなの姿が作業の励みにもなるのですよね。みんないい顔してるのですよ。
ぴとぅかめらまんで嬉しかったことといえば、よさこい祭りでの地方車上からの撮影や、全国大会中央公園の櫓上からの撮影でしょうか。凄かった!各会場、目の前でみんなの笑顔が見れるのもたまりません!踊り子でもないのに、お客さんからうちわで扇いでいただけるのも嬉しいものです。

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ただ、炎天下にかめら2台持ちで前行ったり後ろ行ったり走り回るのはなかなかにキツイです。カメラ部共通で心がけていることが、できるかぎりメンバーみんなを撮ること!としているので、そのためには行ったり来たりがとても大事なことなんですよ。年々キツイですがw
でも、かめら持ったら楽しくて止められないのです。
そんなわけで「ぴとぅかめらまんライフ」を満喫しております。

五章 知る楽しさ、作り上げる楽しさ。

ぴとぅでは、広報にも参加させてもらっておりますが、広報がやっていることとは何?ということで。簡単に言えば、「情報発信」です。言い換えれば「魅力発信」であり、魅力を伝えたい”人”がいるわけで、その”人”とは、”チームの外の人”や”チームの中の人”、というチームの内外に向けた発信を行っているところです。
ぴとぅメンバー協力の下(みんないつもありがとう!)、伝えたい情報をまとめて、いろいろなツールを使用して内外へ発信しています。
例えば、PV映像。パロディなものから真面目なものまで!
ここ最近では、

2016年 https://youtu.be/kcgs1IKXOKc
2017年 https://youtu.be/a8F1snuSqX4
2018年 https://youtu.be/0kEdmh0cVJY
2019年 https://twitter.com/i/status/1242093246672584704
     https://twitter.com/i/status/1235037648395239424

といったものや、
メンバー限定webマガジン「みてぴとぅ」コーナー盛りだくさん。

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こちらもパロディ映像「ピトゥタイムズ」
ピトゥタイムズ PV撮影現場 取材プロデュサー 30秒
https://www.youtube.com/watch?v=JAug1E5QDuY
ピトゥタイムズ 拠点テレ取材 60秒
https://youtu.be/dl7ObLpiveY
特集 ピトゥ、月へ行く。あきべーエンジニア担当インタビュー
https://youtu.be/JlIR3YBUGKE
ピトゥタイムズ 会いたい
https://www.youtube.com/watch?v=HXQBsFbUbMA

エイプリルフール!
2019年エイプリルフール「ぴとぅ鳴子変えます!Project M」
https://pitwu.com/2019/03/naruko-fool/
Project M ~最高の鳴子に思いをかける者たち~
https://www.youtube.com/watch?v=Hx3YM3KABuY

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などなど、ゆるっと楽しい情報出しに挑戦しているので、これはこれで面白い体験(ロケ撮影やインタビューなど)をしながらも、ぴとぅの魅力を知るいい機会にもなって、一石二鳥的な立ち位置かもしれませんね!作り上げる過程では、たくさん知らなかったことを得れたり、協力してくれるみんなの、いつもと違う側面が見れたりするのはとても嬉しいし、ロケ撮影などがあると現場でのやりとりが楽しくてしょうがない!みんなでワイワイは笑顔が尽きない。もちろん、やるときは真剣にやっておりますとも、いいモノを作り上げたいのはみな共通ですからね。あと、動画編集とかまぁまぁ覚えたので、スキルアップしました!
普段ではできないことに挑戦する広報さん。レベル上げには最適です(何の?笑)

結び 目には見えない思いのつながり。

僕がぴとぅで一番共感することがこの言葉。
「目には見えない思いのつながり」
メンバーでこの言葉に共感する人も多いのではないかと思います。
ぴとぅに入って一番驚いたことが、代表が一年か二年で交代するシステムであること。凄くないですか?繋いでいくって簡単なことではないと思うのです。なのに、それを実現していってることが凄すぎて。まさに「目には見えない思いのつながり」を体現していってるのではないかと思うのです。このシステムについては、これから先もずっと続いてくれたら嬉しいですね。
また、メンバーのみんなもご縁を疎かにはせず、声かけあっていろいろなことを繋いでいっていることも多くて、いつも関心するばかりです。もちろん完璧なんて存在しませんから、至らないこともあるとは思います。それでも、チームとして物事の判断をする時に、「目には見えない思いのつながり」が根底に流れていることが感じられるので、このチームのとても良いところなのだと思っています。人がたくさん集まれば、ぶつかることは多々ありますが、「目には見えない思いのつながり」という、自分(個人)だけでなく、チームや周りの関わる人々の未来のことも考えて動ける良いチームだと思うので、夢源風人とご縁があって本当に良かった!
最後に、ぴとぅに入って良かった一番は、仲間であり、友達である、メンバーと繋がれたこと。ぴとぅで過ごす時間はもちろんのこと、ぴとぅ時間+αで「よさこい」関係なく、呑みに、お出かけに、
ゲームに、家族ともども一緒に遊ぶ時間は、楽しくて楽しくて。

「よさこいライフ」=「ぴとぅライフ」=「ファミリーライフ」とてもとても充実しております。

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12年くらい前の話

わたるんです。

では、簡単に自己紹介を、、、
・2008年10月にぴとぅのメンバーになる(8期がスタートした頃)

・12期までは踊り子として祭にも参加していた

・ぴとぅの公式サイトに関わっている

きっかけ

2008年4月、当時の職場でぴとぅのメンバーの人に出会いました。
それがきっかけとなり、今に至ります。

昼休みの食事中にほぼ毎日、よさこいの話をしてくる人がいました。ぴとうのメンバー(8期の副代表)の人でした。

半年くらいそんな日々が続いて、練習会の見学をさせてもらうことになり、
2008年10月のとある水曜日に大阪城公園に行きました。

見学するだけのつもりだったのですが、
鳴子を貸してもらって、振りを教えてもらうことに。

自分にできるのか心配であったものの、
その日のうちにメンバー登録しました。

高知よさこい祭りに向けて

その後の練習会はほぼ毎回参加して、
あと、イメージ・トレーニングをしたり。
メンバーになる前とは全然違う生活になりました。

練習の甲斐あって、高知のよさこい祭りにもなんとかいけました。

はりまや橋にて

広報の一員として

2年目からはぴとぅの公式サイトの管理にも関わります。
※当時は広報じゃなくてHP班という名称でした。

当時はほぼ何も知らない状態だったのでギャップを埋めるべく、入門書を数冊読み漁って、HTML, CSSを2ヶ月ほど、その後はPHPという言語を勉強。その後CMSというものを導入することになって、データベース(DB)の勉強。あとはGoogle Apps Scriptとか。その都度色々と吸収していきました。

最後に

これからもなんらかの形で関わっていくつもりです。

いつも誰かが繋いでくれた、よさこい

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初めまして。りこです(*´꒳`*)
よさこい 歴16年目、ぴとぅ歴6年目、気づけば人生の半分以上よさこいをやってました。笑
よさこいとの出会い、ぴとぅとの出会いお話しできたらなと思います。
少しの間、お付き合い頂ければ幸いです。(*´-`)

今思えば、自分の人生、よさこい人生、ずっと誰かからの繋がりで、繋がってきた人生だと思います。

★小学校の先生が繋げてくれたよさこい

小学校5年生の時に引っ越してきた大阪の学校で、よさこいを知ることになりました。
私は、夏休みに関東から引っ越してきたのですが、秋にある運動会で踊るよさこいの練習中でした。
よさこいというものを初めて知った瞬間です。
運動会では、毎年10月に開催される「大阪メチャハピー祭」の総踊り曲を踊る予定でした。
当時の私は、総踊りの中で声を出す「儲かりまっか」や「ぼちぼちでんな」などに少し抵抗があって、よさこいをそんなに好きにはなりませんでした。(思春期ですかね?笑)
次の年、これまた運動会で、「南中ソーラン」を踊りました。
これが運命を変えたと思います。
前年の時とは違い、すっかり大阪の学校にも慣れ、最終学年ということもあり、ものすごく気合いを入れて踊りました。友達とたくさん練習したことも覚えています。
運動会も無事終わり、すっかり南中ソーランの虜になった私たちに先生は、

「みんなでよさこい祭りに出てみないか?」

と誘われたのです。
私たちには、「出たい!!!」しかありませんでした。
その年の10月、学年の有志で(学年のほとんどの子がいた)「大阪メチャハピー祭」に出場しました。
(今思えば、保護者への説明や引率など、先生の苦労は計り知れなかったと思います。)
そこで、よさこいというものを知りました。
笑顔で、活気があって、みんなキラキラしていました。
いろんな踊りがあって、みんな違って、みんないい!!
私たちもよさこいをしたい!!!いつの間にかそんな気持ちになっていました。

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当時の写真見つかりました。ネット恐るべし。。

★親たちが繋げてくれたよさこい

出場した大阪メチャハピー祭りで見たあるチームの影響で、よさこいチームを立ち上げることになりました。
それは、「風神」です。
自分たちの演舞が終わってから、何チームか見て、このチームが目に留まりました。でも、遠方だったので、現実的にチームに入ることは難しかったのです。
そこで!なんとかよさこいを出来ないか?と立ち上がってくれたのが、私たちの親たちでした。

地元でチームを立ち上げよう!!

右も左もわからないまま、とにかくよさこいをしたい私たちを踊る場所を作ってくれた、親たちには感謝しかありません。
自分たちでチーム名を考えて、衣装や練習場所の確保、全て一からでした。
でも、全て親たちや先生たちの手助けがあって、なんとか立ち上げることが出来、そのチームは今でも存続しています。結成2年目の年の大阪メチャハピー祭りの大賞にあたる「メチャハピー賞」も受賞することが出来、一生忘れることのない思い出の一つです。

これが私とよさこいの出会いでした。

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おそらく、結成後一番初めに出たお祭り。下が鉄板のように焼けていて、裸足だったので、めちゃくちゃ火傷した覚えしかない、、、。笑笑

★かなみさんが繋げてくれた夢源風人

時は流れて、私は、新社会人1年目になりました!(飛びすぎやろ!笑)
もちろん、ずっとよさこいは続けていました。全ていろんなご縁があって、何個かのチームにお世話になっていました。そんな時です。
私は、GWに開催されるお祭りに笑輝というチームで参加していました。
その時、たまたま一緒に参加していたかなみさんに出会い、お互いゲストで参加していて、いろんなお話の中に夢源風人の話がありました。

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もうよさこい人生も長かったので、もちろんチームは知っていたし、一度見学に行ったこともありました。笑
当時は、あふさかんシンフォニーの年でした!動画を見て、まず踊りたい!と思いました!
その時にお話をし、見学に行くことになりました(^^)
見学後は、すぐチームに入る決断をし、秒で振りを覚え、すぐにデビュー!笑笑

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デビューは、これの前。デビュー時の写真なかった。笑

そんなこんながあり、今があります。

★最後に。。。

私がよさこいを始めるきっかけになったことは、ものすごくレアケースだと思います。(聞いたことない。笑)
でも、よさこいの魅力に触れて、それが輝いて見えて、そこに飛び込みたい!と思った気持ちは、皆同じではないかと思います。
どんなきっかけでもいいです。
よさこいをしている友人がいたら、
見に行ってみて下さい。
よさこいをたまたま近くでイベントしていたら、
足を運んでみて下さい。
きっと、その魅力に引き込まれると思います。
引き込ませますっ!!

そして、よさこいをやってみたら、いろんな繋がりに出会えると思います。
よさこいをやっている人は、いろんな趣味や仕事、よさこい以外に何かしている人がものすごく多いと思います。

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コスプレだって、しちゃいます!笑

私は、縁があって、夢源風人までたどり着くことが出来ました。
ブログ見てくれているあなたにも、たくさんの縁が届きますように。。。


読んでくれてありがとうございました!!!

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踊ることは生きること

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ベビーが生まれるのが先か、ブログ書き上げるのが先か—
と言われ、慌てて書き始めています。ぜろです。広報班として主にInstagramの更新をしています⭐︎

ブログの締め切りが予定日6日前。
ブログが公開されるころには、ベビーも公開されてるかもです。

4代目のわたし

よさこいと出会うまでが長かった、わたし。
ちゃんと鳴子を持って踊る「よさこい」を踊ったの、わりと最近です。

わたしと「踊り」との出会いは、幼少期。
物心ついた頃から「踊り」がすぐそばにある環境で育ちました。
日本舞踊や民謡が好きでお稽古に励み、踊ることが大好きな家族。
曾祖母、祖母、母と続き、4代目のわたし。
「足が痛いから、今日のお稽古は見に行くだけ」
と言って出掛けたのに、がっつり踊って帰ってくる祖母。わかる。
事あるごとに、「頭痛は踊ったら治る」という祖母。それも、わかる。
しっかり隔世遺伝してます。
ちなみに母は共感できないらしい。たぶん、それが普通。

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ちょうど50歳離れてる、祖母とわたし。
祖母は今もバリバリ踊っています!

初舞台は3歳くらい。
やりたい放題だったみたいだけど、地元の民謡、宮津節を踊り(?)ました。
ーやりたい放題だったみたいだけど。
そこから日本舞踊と三味線をはじめ、気付けば高校を卒業するまでずっと続けるほどにのめり込む。
辞めるという選択肢はなくて、受験や足の手術をはさんだりしたけど、生活から切り離すことはありませんでした。

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「汐汲」 高校2年生のとき

日本舞踊の次は、、、

大学は地元と離れてたところに進学したので、やむを得ず高校卒業とともに習い事はすべて卒業。
学生生活、何しよう—
大学でも踊ろう!絶対!どこで踊ろう?と「踊る場所」探し。
部活・サークル紹介を真剣に見て、心惹かれたのはチア!
(…日本舞踊どこいったん?)
仮入部期間はずっとチアでしたが、入部寸前で練習が週7であることを知り、断念。
週3って言ってた…のに…
勉強や実習との両立が不可能だと思ってチアを諦め、友達が行っていた「京炎 そでふれ! 京小町」に体験もせずに気づけば所属。

わたし、当時はすごく省エネで、勉強や実習に力を入れていたため、そこそこの参加率。
踊れたらそれでいい!というくらいの勢いで、しばらくは練習だけ参加していました。
エンジンがかかったのは、入部から5ヶ月後くらいの神戸よさこい参加後からだったような気がします。(どまつり、こいや祭りを華麗にスルー。)
それからは、お祭り楽しくて、実習中であろうが土日にお祭りがあれば出てました。

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「ほな、おおきに!」ってしてました。

初めての高知

そして引退&卒業。
また「踊る場所」を失い、転職先を探すかのように次の「踊る場所」を探しました。
社会人1年目。新しいチームができると耳にして見学へ。
練習場所近い!という理由で「かんしゃら」に加入。
実はここで初めて鳴子に触る!高知でよさこい祭りがあることをちゃんと知ったのも、このとき。
他のよさこいチームのことも、全然知らなかった。
当時、ぴとぅのことは知っていたけど、「大阪城公園でのパレード練で正面から向かってくるチーム」、「たぶん大人数のチームであること」くらいしか知りませんでした。
「かんしゃら」では、インストも経験させてもらいながら、解散(後に復活)の2015年までお世話になりました。

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初めての高知 2013
会場移動は電車と徒歩でした(!)

ぴとぅとの出会い

そして翌年は、「よさこいチームそら」で高知へ。
オフシーズンを迎える頃の四日市よさこい。
終わったらどうしよっか—

そう思いながら雨の中見た、自分たちのひとつ前のチームの演舞が忘れられませんでした。

『夢源風人 2016 あふさかんシンフォニー』

なにこれめっちゃ楽しそう!こいやでも見たけど、やっぱり楽しそう!
ここのチームで踊ってる全員が肯定され、認められて、楽しそうなのが伝わってくるのは何??
すごいことじゃない?
と、びっしょびしょになりながら見ていました。


そして次の「踊る場所」を求めて。
人見知りなわたしは、大人数のチームの体験会に行くのは相当なハードル。しかも1人で。
でも踊りたいから、と、腹をくくって心機一転、新たな気持ちで送った体験会行きたいですメール。
あだ名も記載しなくていいや、新たな気持ち、大事。と思って本名で送信。


しかし、返ってきた返事を見て驚愕。

「ぜろやんね?」

え、なんでバレてんの?
本名だけでなぜかあっさりと身バレする。
当時副代表のあきべーさんに、スマホ越しにちょっとキレました。

体験会は本当に楽しくて。
新しい世界でした。本当に。
かなりの人見知りなので、体験会に行くのは相当不安だったけど、
当時の代表、副代表さんに気にかけてもらい、安心して参加できました。
当時の会計のおじさんはちょっと怖かったけど、今はもう話せるよ。

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「ハレ、晴れ」で、ぴとぅデビュー!


そこから足の故障もあり、ぴとぅで高知に参加したのは翌年の2018年でしたが、
高知でのぴとぅの過保護っぷりに度肝を抜かれながら、1年越しの高知を満喫。
また来年、またまた来年。と気がつけばぴとぅも4年目に。
わたし、同じチームで4作目を踊るのは初めてです。

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ぴとぅでの初高知!

わたしが夢源風人に入ったのは、いくら思い返しても偶然の重なり…なような気がします。
偶然の重なりだけど、いつかどこかのタイミングで出会うべきチームだったんだろうな、とも思います。
「踊る場所」を求め続けて辿り着いた場所なのかもしれないけど、それは居心地がよくて、温かい場所。
踊りにまじめに向き合うだけ、でなく、それぞれがいろんな感情を抱いて、思いを感じて、繋がれる場所であることを年々感じています。
25年以上、いろんな踊りに触れてきたけど、踊りとともに感情が色付いていく感覚を味わったのはぴとぅに出会ってから。

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「踊ることは生きること」
と、スヌーピーが言ってましたが、これから踊っていく上でも、生きていく上でも大切な何かに出会えた気がする。
感情を出すのは苦手だけど、楽しんでます!好きです!
まだまだいろんな出会いを、楽しみにしています♡


5代目、踊るかな?

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僕とよさこいと高知

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はじめまして、こんにちは、お久しぶりです。
秦演舞場のある東秦泉寺生まれ(育ちは県外です)のぞえでございます。
今回人生で初めてブログを書きました。長くなるかもしれませんが最後まで読んでいただければ幸いです。

≪よさこいとの出会い≫

このブログを書くにあたって改めて母親に僕とよさこいの出会いを聞いてみました。すると冗談半分に「産まれる前からやないが(笑)」と返ってきました。嘘だろって思いました。詳しく聞いてみると僕の生まれる3ヶ月前の第46回よさこい祭りの本祭を母親が実家のテレビで観ていたそうです。その時にお腹の中で僕が動いたように感じたということでした。自分のことながら本当かよと思いました。追加で現実的な出会いを聞くと翌年の第47回よさこい祭り本祭を見に行ったことらしいです。地方車からの音にあまりびっくりしなかったことが印象に残っているそうです。
僕の記憶では5歳の頃にバスに乗って夜の愛宕競演場を観に行ったのが最も古い記憶です。バスから観た地方車のライトがとてもかっこよかったのがとても印象的でした。

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2020年8月11日の愛宕商店街

≪よさこいにハマったきっかけ≫

幼少期からよさこいと出会っている僕がよさこいにハマった理由をあえて家族に聞きました。すると「地方車」という答えがほぼ全員から帰って来ました。母親からは初めて追手筋本部競演場に観に行った時に会場より地方車の待機場所の方が目を輝かせていたのがとても印象に残ったそうです。
僕も自分の中で改めてハマったきっかけを考えてみました。男性の方は共感される方が多いと思うのですが小さい頃電車や車など乗り物に興味深々だったことはないでしょうか。僕もその一人でした。ただその興味の先が「地方車」でした。一年で二日間(本祭)だけで見える貴重な乗り物という認識でした。また昔は今以上に地方車がトラックでは無い感が強かったので少年心をしっかり掴まれました。それから今に至るまでよさこいの一番好きな要素になっています。

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2017年 夢源風人 地方車

≪観客から踊り子へ≫

僕は毎年よさこい祭りを見に行っていたのですが踊り子として参加したのは高校一年生の時でした。生まれは高知県でしたがその後はずっと県外に住んでいました。なので踊り子になるという選択肢は頭にありませんでした。そんな中で高校生の時に友達から地元のよさこい連に誘われました。その地元チームは高知にもちゃんと参加していたのでその誘いに乗りました。そしてその夏高知デビューをしました。その年は楽しかった記憶より暑かった記憶が強いです。その翌年二度目の夏で夜の追手筋本部競演場を踊ることが出来ました。その時はきれいな景色に涙が出ました。そして花メダルをもらうことが出来ました。その翌年には自分から申し込んで他チームさんで踊らさして頂きました。

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2016年の貰った花メダル

≪夢源風人に加入≫

大学入学のタイミングで関西に来ました。その際に高知で踊れるちゃんとしたチーム探しをしました。その中で『夢源風人』に出会いました。失礼ながらこの時まで全く知らないチームでした。ただ調べていく中でとても面白いチームに感じました。またちゃんと高知のことを大切に考えているチームでした。そして見学会に行ってみると楽しそうに踊る踊り子さんを目の前で見ることができました。その場で加入を決めました。

≪地方車の上へ≫

ぴとぅは班制度をしています。僕が所属しているMC班もその一つです。地方車大好きな僕にとって煽り・MCというポジションは長年の憧れの場所でした。そこに挑戦ができるチャンスがあるということでぴとぅに入って一年も経たないタイミングでMC班に入りました。
そして2019年第66回よさこい祭りで地方車に乗るという長年の夢を叶えることが出来ました。あの場所から見た景色は忘れがたいものがありました。

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2019年上町競演場で地方車に乗った時の写真

≪僕とよさこい≫

2020年はよさこい祭りは史上初めて中止となりました。ただ夏に高知に行かないには逆に気持ち悪かったので万全に対策をして静かな各会場巡りをしました。高知の町中を歩いて一切地方車に会えなかったのは分かってはいましたがとても寂しかったです。僕の人生においてとても重要で大きなピースになっている『よさこい』はこれから先もそして来世でも大切にしたいなと思います。

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2020年8月11日の菜園場商店街

最後にここまで読んでくださりありがとうございます。
もし次回があるなら今度は地方車だけにスポットをあてて書きたいなと感じました。今年は夏に高知で地方車に出会えることを願って終わりたいと思います。
ありがとうございました。

                            MC班 ぞえ

ぴとぅ史上最高のYESマン

こんにちは、タクトです。

気が付けば2015年からぴとぅでMCやってます。
なにやらブログを書くことになったのでなぜMCになったか書きます。

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1st YES(pact)

遡ること2014年。
当時ぴとぅでよさこいをやってた友達から「高知のスタッフしてみない?」とお誘いを頂き吹田祭りにぴとぅのスタッフで行ったのが全ての始まり。

当時は暇してました。
そんでよさこいってほぼ知らなかった。

なんかやることも無いし、とにかく誘われたら「YES」って言うようにしてました。どんな事するかなんで全くわからないまま受けました。

んで吹田祭り、人見知りおじさんなので緊張しました。
(当時、人との交流など主に会社くらいだったので、今となってはよく行ったなって思います。)
なんとか吹田祭りのスタッフ(ほぼ何もしてない)をやりました。

次はもう高知でした。

そんなにぴとぅの人達とも交流ができてないままに、
スタッフとしての手続きをし、知らない人がいっぱいのバスに乗り高知へ向かいました。
行きのバスは周りの人殆ど知らないので終始無言だったような。。。少し喋ったような。。。
隣の子金髪で怖くて話とか出来なかったおもひで。

暑いし、知らない人一杯だし、よさこいとかほぼ知らないし、肝心の友達も事務局等で忙しくてなかなか会えなかったり。
撮影とかした事のないけどビデオカメラ持って走って追手筋の撮影したり、
地方車に千賀先生(当時は誰か全く知らなかった)が乗ってくるタイミングで何故か同乗してビデオ撮影したり、
全国大会のひろめ打ち上げで泥酔したあきべ○さんを救助したり、
色々ありました。
人見知りには色々刺激的な高知よさこいでした。

うん、結果楽しかった。

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スタッフ中の写真、何このポーズ

2nd YES(pact)

そして高知の後もスタッフでこいやは行った、ほぼ行っただけに近い状況でした。

それから少し時は流れ11月頃だったかな?
再び友達からお誘いが来ました。
「バサカニで歌ってみない?」
確かそんな感じ。

答えは「YES」

なんでも「YES」期間だったので割と即答だったような。
演目は「アナ雪」
それから1週間に4、5日連続でカラオケに行って同じ曲だけを歌い続ける。デュエットって難しいよね。
やる事なかったのでずっと会社の行き帰りとかその曲聴いて勉強、、、
時間があるって素晴らしいことです。

そして本番当日、岐阜の瑞浪は3℃でした。
知らない土地で、知らない人たちの前で歌う。
割とグズグズだった。
緊張と寒さで少し失敗したりとか色々悲しい感じだった。
未熟だった、というか圧倒的に力不足、、
リベンジを誓いましたが、それからそういう機会もなかったな。
バサカニ寒かった、けど楽しかった。

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3rd YES(pact)

そのバサカニの帰りに、ぴとぅのMC班の人からMCやってみない?って言われた。
その時は有耶無耶になって答えてなかったけど、
今考えればそこがスタート地点。

それから年が明けて2015年1月
MC班の方から突然「MC本当にやってみない?」というLINEが来ました。

そこでも答えは「YES」

そしてぴとぅでのMCとしての活動がスタートしました。

2ヶ月後位にはデビューしてました。

今考えると恐ろしい話ですが、よさこい未経験者が2ヶ月くらいでMCデビューしてました。
今はチームの人数が多くなったので考えられない事です。

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さくよさの時の写真、始めたばかりにしてはそれっぽい!


万華鏡から始まり、「あふさかんシンフォニー」「ハレ、晴れ」「ココロ咲く夏」「郷-Sato-」(実は「夏色に心踊りて夢ひらく」も一回だけやりました。)
たまに気まぐれで踊ったり、踊らされたり、ラジバンダリ。

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初年度は何度かフリー素材とし告知画像にもなりました。
これ以外にも何度かあったような

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YESは自分を幸せにする

パイナップルの告知もしました。
この時演舞中にパイナップル食ったね。
こいやのやぐら会場の事は毎年1月から考えてます。
毎年あれが本祭なんじゃないかってくらいに。

色々ありましたが、とりあえずの「YES」から始まったよさこい人生。
他のみんなみたいに凄いよさこい熱がある訳でもなく、ただ自分が思うようにやってきたよさこいです。
まだまだ未熟者です。
ですが「何か楽しい」
そんな魅力のあるよさこい。

みんなも誘われたらとりあえず「YES」って言ってみるといい。

案外幸せだから

このWebサイトはぴとぅ広報班が管理しています。
太陽に当たれなくても続けてきたよさこい。
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皆さん こんにちは

夢源風人の踊り子兼カメラ部の しほです。

まずは、簡単に自己紹介から始めます。


私の趣味は
絵を描くこと、写真を撮ること、ハンドメイド、アイドル鑑賞、YouTubeを見ること、お洒落なカフェを巡ること、食べることなど
結構多趣味です。

出身地は北陸の富山県です。
日本地図のどこの地域にあるのか分からない人が多いような県ですが、
日本海側に面していてホタルイカや白エビ、ブリなどの新鮮な魚が食べれるのが魅力の自然豊かな街です。

とても控えめな性格なのですが、慣れてくると結構喋ります。


どうぞ よろしくお願いします!😌


お祭りでは日差しが強い時、日傘をさしていることが多いです。


なんで日傘さしてるの?

女子力高め!など思われる方もいらっしゃるかと思います。

私は紫外線を浴びることができません。

しかし、日に当たれなくなってからも よさこいを続けてきました。

〜 踊り子のはじまり 〜

私は 2017年のハレ、晴れの時から夢源風人で踊ってきました。
興味のあることには進んで挑戦しにいく性格で、小さい頃から地元のお祭りでよさこいを見ていて、自分もいつか踊ってみたいと思っていました。
新しい趣味を探している時に偶然見つけたのが夢源風人でした。

チームに入りたての頃は 鳴子を鳴らしたのは初めてだったので、実際に踊りながら鳴らすことは想像していたよりも難しくて、振りチェックの日が終わるまでは周りに付いていくことに必死でした。

なんとかお祭りデビューを果たして、年間を通して沢山のお祭りに参加し踊ることで、よさこいに楽しさを感じるようになり、気が付くとよさこいも趣味のひとつになっていました。

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写真:いずみよさこい、瑞浪バサラカーニバル

ハレ、晴れの年が終わり 2018年 ココロ咲く夏のお披露目が始まる時期、

訳あって突然 日に当たれなくなってしまいました。


今年も1年間 普通に踊れると思っていました。

京都さくらよさこい、いずみよさこい、かえる祭り、能登よさこい、吹田祭り、高知よさこい、原宿表参道元氣祭スーパーよさこい、こいや祭り、安濃津よさこい、大阪大会、四日市よさこい、瑞浪バサラカーニバル …


また踊りたい と思っていたお祭りで踊ることができなくなった時、悔しさやショックがとても大きかったです。


外で踊れないのは致命的な問題でした。


しかし、その時は よさこいを辞めることはあまり考えられなくて、踊り子を続ける方法を探しました。


そして、紫外線を浴びる時間をなるべく減らすことで 踊ることが難しいと思っていた屋外のお祭りでも踊ることができるようになりました。

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写真:四日市よさこい 

8月には、参加することは不可能だと思っていた高知のよさこい祭りにも参加することができました。

真夏の炎天下で 日中は踊れませんが、夕方の日が落ち着いてきたくらいの時間から踊らせていただきました。
後夜祭では この地へ〜 にも参加させていただきました。

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写真:よさこい祭り 帯屋町にて。(写真使わせて頂いてます。)

こうして 今まで踊りを続けることが出来ていたのは、事務局の方、サポートしてくださるスタッフの方、メンバーの方、見守ってくださる周囲の方々のお陰でした。

周囲の人達と同じ様に普通に踊れなくなっても、踊らせていただけて本当に有り難いことだと思っています。

いつもありがとうございます!

〜 写真を撮りたいと思える瞬間 〜

日に当たれなくなってから初めて参加したお祭りは、かえる祭りでした。

屋外と室内の会場があり、室内の1演舞しか踊ることが出来なかった時、初めて踊らずに日陰からチームメンバー達が踊る姿を眺めていました。

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写真:かえる祭り (iPhoneカメラ)

その時は、iPhoneカメラで撮っていました。
写真を見返すと みんな笑顔が素敵でキラキラして見えました。
それから 何度かメンバーが踊る演舞を眺めてるうちに、せっかくの踊っている姿を写真に収めたい と思うようになりました。
踊ることが好きでしたが、よさこいを見ることもこんなに楽しいんだ!と気付かされた瞬間でした。自分にできることで、少しでもチームの役に立てたらと思っています。


〜 チームの良いところ 〜

夢源風人は、事務局さんやメンバーがしっかりサポートしてくれるので、安心して活動する事ができています。
個性の強い方も多いですが、皆んな心が優しい方々ばかり。
私は 踊れなくなってからは最悪な気分で、周囲に距離を置いて疎遠になりかけていました。そんな時でも、メンバーは気に掛けて優しい心で普通に接してくれました。
そんな環境だから今までやって来れたのだと思います。
チームにいることで、私の特技も活かすことが出来ていると感じています。
できないからと 諦めてしまう必要はないと思います。


新しくよさこいの代わりになるものを見つけようと思ったけれど、よさこい界にいる時が一番しっくりきて居心地の良さを感じるので、安心できるこの場所が私は好きなのです。

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参加できるお祭りは減ってしまったけれども、踊れる場所があることに感謝したい。

続けることで 何か意味を持たせたい 。

そう思っています。


よさこいは どんな人でも楽しむことができる 薬 です。

これからも 踊れる機会があれば踊れる限り積極的に参加していきたいし、色んなお祭りのキラキラした雰囲気を写真に沢山収めたいと思っています。


また お祭りで皆様とお会いできることを 楽しみにしています。

ご覧いただき、ありがとうございました。